O-LEXブログ blog

英語のオシゴトと私 第19回―真島由朱
語学とコンピュータと、教えるという仕事と

 おもしろい。おもしろい。それは単純に、おもしろい。
 私を今まで動かしてきたものは結局、その感覚に尽きる。

 

 さて、初見では誰もが決して読めない私の名前「由朱(ゆうあ)」。この漢字自体に意味はなく、画数が11画だ、というのがポイントだ(妹がひとりいるが、彼女の名前もまた11画)。つまり私の両親は姓名判断派で、11画・・・その画数に込められた子どもへの望みは「早く自立すること」だった。
 自立、すなわち「自分で金を稼げる人間になる」こと。そこで選んだ「手に職」、それが「語学」だったわけである。金がないから塾や予備校は一切なし、進学は国公立大学しかアカン、自宅から通える範囲で・・・と親に厳命され、選べた候補はただ一つ。大阪は箕面の山奥にある、「大阪外国語大学」である。十いくつある専攻言語から、私が選んだのは・・・英語、ではなく、ドイツ語だった。「なんかかっこいい気がした」と、当時18歳であった本人は主張していた。

 

 ドイツ語を学ぶのはおもしろかった。英語と最も近しい兄弟言語。語彙の多くはその根をひとつにしているが、文法ではいろいろな違いがある。「国語と英語の点数がいいから、とりあえず文系行くか」的な捉え方しかしていなかった高校時代から、大学に入って私は初めて「語学」の楽しさを知ったのだ。せっかく外国語大学に入ったのだからと、ドイツ語だけではなくイタリア語やフランス語、ロシア語など色々手を出してみた。

 

 違う文字、異なる文法。色とりどりのルール、そして文化。
 おもしろい。おもしろい。それは単純に、おもしろい。

 

 大学に入ってコンピュータ室が自由に使えるようになったのも大きかった。インターネットに自由に触れることができるようになったのだ。英語やドイツ語のサイトが簡単に見られる。遠い遠い国の人々が書いたモノをスクリーン上で読めるのだ、それも瞬時に! 今でこそみんなスマートフォンを持ち歩くのが当たり前な時代なわけだが、当時やっとガラケーを手に入れたレベルの私にとって、まさにそれは情報革命のようなものだった。

 

 ネットワークで繋がる。別の国にいる相手にメール。自分で好きなようにウェブサイトを作る。
 おもしろい。おもしろい。それは単純に、おもしろい。

 

 だがしかし、語学とコンピュータでおもしろがっていた私の楽しい生活は無情にも叩き潰される時が来た、あの地獄のような就職氷河期という化け物に。就職先なく大学を卒業した私は行き場を失い、見事ニートとなった。世を儚みすっかりやさぐれ、一時期は匿名掲示板に張り付いて時間を溶かす荒んだ生活をしていたものの、なんとかコンビニバイトを見つけフリーターへとジョブチェンジした。
 そんな時だった。大学の所属ゼミの先生が高校講師の口を紹介してくださったのだ。渡りに船とばかりにそれに飛びつき、私は「高校の先生」になった。

 

 初めての勤務校での経験は、辛いことも多かったが、とても考えさせられるものだった。就職も進学もしないまま卒業する生徒も多く、「何で英語なんてせなアカンのや、俺んち貧乏やから海外なんて一生行かれへんで」と言う生徒たちを前にして、私はどうやって英語を教えたらいいか、自分なりに懸命に考えた。研究会や学会に行き、方法を学ぼうとした。
 だって、語学を学ぶことは、おもしろいことなのだから。

 

 私は生徒にも知ってほしかった。母語とは違う言葉を、それを学ぶことによって拡がる世界を、「違う」ものがある、「違う」ものを知る、そのおもしろさを。
 また、どのように語学を教えるか、を考えること自体もおもしろいことだった。当然苦しい時やうまく行かなくて凹む時もある。
 けれども、生徒が「わかった!」と言ってうれしそうな顔を見せてくれた時。その時こそが、この職務で何より素晴らしい瞬間。

 

 そして今私がおもしろがっているものは、この新型コロナ禍で皮肉にも一挙に拡がったオンライン授業・・・中でもGoogle社のG suite for Educationをどう学校生活に使うか。Google for Education認定トレーナーの資格も取り、さらに知識を深めていくつもりだ。
 勤務校にG suite for Educationが入ってまだ半年を越えたくらいだが、すでに様々な面で利活用されている。授業でのグループワークや文書作成はもちろん、LHRでの諸連絡やアンケート実施。修学旅行の事前・事後学習や総合的な学習をGoogleスライドなどを使って行うなど、今まではできなかったおもしろいことがたくさんできるようになってきた。
 そしてその活動は電子データとして蓄積され、生徒たちの学習や学校生活に役立っていく。もっと環境が整備され、もっと皆で使い込んでいけば、きっと授業も行事も学校生活も、さらにさらに愉快になっていくだろう。

 

 おもしろい。おもしろい。それは単純に、おもしろい。
 私を今まで動かしてきたものは結局、その感覚に尽きる。

 

 これからも、私は英語科教諭として、おもしろがっていく。
 語学とコンピュータと、教えるという仕事を。

 

【プロフィール】真島 由朱(ましま・ゆうあ)
人間を始めて今年で40周年。ホモ・サピエンスをやっていくには適性がやや低いらしく、まだちょっと足取りがおぼつかない中堅教員。大阪外国語大学外国語学部地域文化学科ドイツ語科卒業。氷河期時代の就職戦線に敗れ、ニート・フリーター→そこから常勤・非常勤講師を経て(アホなので何回も教員採用試験にすべった)教諭に。
現在の勤務校は大阪府立箕面高等学校。2021年2月よりGoogle for Education Certified Trainer(認定トレーナー)になり、なおさらインターネットとICT技術を使った授業運営などに前のめりになっている。

博士(他称)の(ちょっと長めの)つぶやき 第1回
「コロナの年」のWord of the Year

ごあいさつ

 長年旺文社オーレックスサイトの@olex_editorsツイッターをご覧いただいている皆様、お久しぶりです。博士(他称)です。
 このたび@olex_editorsさんから、字数制限のない所でもう少しつぶやいてみないかというお誘いをいただきました。ということで、@olex_editorsを離れてから少々時間が経ちますが、この場をお借りして、辞典編集に関係のあるようなないような「よしなしごと」のあれこれを、ちょっと長めにつぶやいてみようかと思います。
 博士(他称)の過去のツイートを覚えていらっしゃる方ならご承知かと存じますが、ややもするとtrivialな話題に傾きがちなことは自覚しております(辞典編集のための自作格言「重箱の隅をいくつ集めても重箱にはならない」)。
 それではしばしの間お付き合いください。


 

 米英の有力な辞典出版社が毎年11月に「今年の言葉」Word of the Year(以下WOTYと略)を発表していることは、@olex_editorsツイッターでも折に触れて紹介してきました。

 2020年は、中国に端を発し、瞬く間に世界中に広がった新型コロナウイルスCOVID-19の惨禍によって人類の歴史に大きく刻まれる年となりました。加えてアメリカ合衆国では4年に一度の大統領選挙が行われました。この大変動の年に米英の出版社がWOTYに選んだ語は何だったのでしょうか。

 米国を代表する辞典出版社Merriam-Websterが選定した2020年のWOTYは “pandemic”でした[*1]。同じく米国のオンライン辞典サイトDictionary.comもやはり“pandemic”をWOTYに選びました[*2]

pandemic  [疫病が)全国[世界]に広がる
 ➖ C全国[世界]的流行病
(『オーレックス英和辞典 第2版』より)

 米英の辞典検索サイトの記録によりますと、pandemicの検索件数は2020年2月ごろから徐々に増え始めていましたが、3月11日にWHOがCOVID-19はpandemicであると宣言したのを機に爆発的に増加したのだそうです(後述のNOWコーパスのデータも参照)。3.11は世界的大災厄を記憶に留める日付として、従来に増して重い意味を担うことになったわけです。
 語源はギリシャ語の“pan-(すべての)”+“dēmos(人々)”。“pan-”は連結形として英語化し、Pan-American (汎(はん)米主義の)などの新造語の構成要素として活躍?しています。“dēmos”を語源とする英語にはdemocracy(民主主義)、demagogue(デマゴーグ)などおなじみの語の他、pandemicの兄弟語といえるendemic(風土病(の))、epidemic(流行病(の))があります。
 大抵の英語辞典の見出でpandemicとpandemonium(万魔殿、伏魔殿)が仲良く並んでいるのも意味深な光景です。pandemoniumは英国の大詩人Milton(1608-1674)の造語で、“pan-”とギリシャ語“daimōn”がラテン語化した“daemonium(デーモン、悪魔)”を組み合わせて地獄の首都の名称としたもの。転じて現在では「大混乱、修羅場」の意味の普通名詞としても使われます。
 すぐそばにあるPandora’s box(パンドラの箱)といえば、ギリシャ神話であらゆる災いと罪悪がそこから出て世界中に広がったとされる「諸悪の根源」ですが、主神Zeusに託されてこの決して開けてはいけない箱を人間界に持ってきて、好奇心に負けて開けてしまった女性の名がPandora。語源は“pan-”+“dōron(贈り物)”。とんだ贈り物もあったものですが、どうもpandemic界隈には縁起でもない語が多いですね。

 英国のCambridge社が運営する辞典サイトCambridge Dictionaryが選んだ2020年のWOTYは “quarantine”でした[*3]

quarantine U❶(防疫のための)隔離(状態);隔離期間;隔離所 ❷検疫(制度);検疫停船期間[港]❸(社会的な)制裁隔離,締め出し
❶・・・を隔離[検疫]する ❷(政治的・経済的に)・・・を孤立させる,締め出す
(『オーレックス英和辞典 第2版』より)

 この語、見るからに英語っぽくない雰囲気を漂わせていますが、それもそのはずで、語源はイタリア語の“quarantina (数字の「40」の意)”。14世紀イタリアの港湾都市では、外国船は伝染病の侵入を防ぐため40日の間接岸を許されなかったという故事にちなみます(他にも諸説あります)。
 この語が英語の文献に初めて現れるのは17世紀初頭とのこと。「検疫」を表す単語をわざわざ外国語から借りてきたということは、英国にはそれまで検疫制度がなかったのでしょうか。

 英国の出版社CollinsとMacmillanは揃って“lockdown”を2020年のWOTYに選びました[*4][*5]
 カタカナ語の「ロックダウン(都市封鎖)」も、コロナ禍から生まれた新語として、今や新聞やテレビで見聞きしない日とてありません。
 ところで『オーレックス英和辞典 第2版』のlockdownは「《米》囚人の独房への拘禁;厳重監視」の語義だけで、「都市封鎖」に類する語義は採録していません。

 実はlockdownは、辞典編集の観点から見るといささか複雑な背景を持つ語なのです。この機会に少し掘り下げてみましょう。

 まず、“lockdown”をWOTYに選出したCollinsのCollins English Dictionary(略称CED:オックスフォード系でない英国製の大型英語辞典として貴重な存在)の語義記述の概要は以下のとおり(Collinsのサイトで全文を見ることができます[*6]。以下、本稿の英語辞典引用箇所はすべて同様)。

lockdown in British English NOUN
1. a security measure in which those inside a building or area are required to remain confined in it for a time
2. the imposition of stringent restrictions on travel, social interaction, and access to public spaces

 大意は《英国用法》「1 建物や区域内のものがしばらくの間中に閉じ込められたままでいることを命じられる保安上の措置;建物などの一時的封鎖」「2 旅行・社交・公共の場へのアクセスに厳しい制約を課すること」といったところでしょうか。
 Collinsのサイトの検索ページにはWebster’s New World College Dictionary 4th(略称WNWCD:米国の「非メリアム系ウェブスター」を代表する中型(カレッジ版)辞典。伝統的に米語用法を重視することで知られる)のlockdownも掲載されています。

lockdown in American English NOUN
an emergency security practice in which prison inmates are locked in their cells and denied the usual privileges of dining, showering, etc. outside of them

 大意は《米国用法》「刑務所の収監者が独房に閉じ込められ、独房の外でなら受けられる食事・入浴など通常の恩恵を与えられない緊急保安対策」。
 見てのとおり2つの辞典の掲げる意味はかなり異なりますが、CEDは“in British English”、WNWCDは “in American English”の「地域ラベル表示」を付けていることから、英国・米国という国(地域)による違いであることが分かります。また『オーレックス英和辞典 第2版』の語義はWNWCDにほぼ一致しています。
 次に同じく“lockdown”をWOTYに選出したMacmillan社のオンライン辞典Open Dictionary(ベースになっているのはMacmillan English Dictionary for Advanced Learnersだと思われます。この辞典は英系非英語母語話者向け学習英語辞典として、OxfordのOALD、LongmanのLDOCE、 CollinsのCOBUILD、 CambridgeのCIDE/CALD(いわゆるEFL辞典のBig 4)と並ぶ高評価を得ていましたが、現在紙版辞典の刊行は停止されています)を見ると、また少し異なる(新しい)情報が得られます[*7]

lockdown NOUN COUNTABLE/UNCOUNTABLE
1 MAINLY AMERICAN an occasion or time when prisoners are locked in their cells
2 MAINLY AMERICAN an occasion or time when access to a place is restricted because of some danger
3 a time when large numbers of people are ordered to stay at home either most or all of the time

 Macmillan Open Dictionaryが挙げる語義は3つ。「1 《主に米用法》囚人が独房に閉じ込められる期間」「2 《主に米用法》場所へのアクセスがある種の危険のために制限[禁止]される期間」、「3 多くの人が大部分のもしくはすべての時間、自宅にとどまることを命じられる時;外出禁止令発動期間」。Macmillan社のサイトではOpen Dictionaryの語義3に2020年3月24日と記されています(新規追加か更新かは不明)。英国が1回目のロックダウンに入ったのが2020年3月23日ですから、いち早く最新情報を取り入れています。こういうところがオンライン辞典の強みですね(履歴が見えないのは少し不便)。
 また、Macmillan Open Dictionaryは語義1,2が《主に米用法》で、語義3が地域ラベル表示なしですので、「英国では主に語義3の意味で使われる」ことになります。
 CEDが語義2「 旅行・社交・公共の場へのアクセスに厳しい制約を課すこと」を《英国用法》としていることと併せて、「一般人の行動の制限、外出禁止(令)」に当たる用法(カタカナ語の「ロックダウン」もほぼこの意味ですね)は英国起源であることが推定されます。
 なお、CEDの語義1《英国用法》「 建物や区域内のものがしばらくの間中に閉じ込められたままでいることを命じられる保安上の措置;建物などの一時的封鎖」と、Macmillan Open Dictionaryの語義2「 《主に米用法》場所へのアクセスがある種の危険のために制限[禁止]される期間」はほぼ同じことを言っているように見えますが、地域ラベル表示が正反対なのは不思議です(ひょっとしたらCEDのミス?)。

 以上の記述に加え、Merriam-Webster, Dictionary.com, Oxford University Press, Cambridge Dictionaryなどのオンライン辞典サイトをnetsurfして、“lockdown”の来歴を整理してみました。

・lockdownは1970年代初め、米国で「囚人の独房への一時的収監;拘禁」の意味で使われ始めた。前出のWNWCD4の他、Webster’s New CollegiateAmerican Heritage Oxford American Englishなど名だたる米系の中・大型辞典の多くはこの語義だけを、またはこの語義を第1語義として採録している。
・「囚人を独房に収監すること=独房に鍵を掛ける」からの連想で「建物に鍵を掛けて封鎖する」の意味が生じた。建物から発展して、特定の地域、場所を封鎖する意味にもなった。英米どちらで先に使われ始めたかは不明。
・「独房の囚人、転じて封鎖された建物[場所]にいる人」の立場で考えて、「人がある場所に閉じ込められる」→「そこから出られない状態を強いられる」→「外出禁止(命令)」の意味が生じた。
・「外出禁止(命令)」の意味は、英国のCEDが《英用法》とし、同じく英国のMacmillan Open Dictionaryが「英国では主にこの語義で用いる」としていることから、おそらく英国起源の比較的新しい用法と思われ、最近では米国でも使われている。

 ちなみに、Merriam-Websterの2020年WOTY特集ページはpandemic以外の注目すべき語として11語を列挙していて、quarantineは5番目に出てきますが、lockdownはありません[*1]。Dictionary.com のWOTY解説でもlockdownは比較的軽い扱いとなっています[*2]。これらの資料を見る限り、米国では「外出禁止(命令)」を表す言葉として、lockdownよりもquarantineの方が普通に用いられていると考えていいようです。英国のCambridge Dictionaryのquarantineの2番目の語義(「外出禁止[制限]令」に相当)に“mainly US”《主に米用法》とあることも、この推定の補強材料となります[*8]

quarantine noun
[U] mainly US  a general period of time in which people are not allowed to leave their homes or travel freely, so that they do not catch or spread a disease

 なお、2015年のWOTYに“😂‘Face with Tears of Joy’ emoji(うれし泣きの絵文字)”を選ぶなど、常にWOTYに対する社会的関心を集めてきた英国のOxford University Press (OUP)は、2020年は「ひとつの言葉で的確に対応できる年ではない」という理由でWOTYを選出しませんでした[*9]

 参考までに、2020年のWOTYに選ばれた3語について、NOWコーパス(News on the Web:英語圏のウェブベースの新聞や雑誌からの最新データを含む)における出現回数を2019年→2020年で比較してみました[*10]

pandemic  2,316 → 1,764,663(697倍!) 
quarantine  3,984 → 251,759 (63倍) 
lockdown 7,693 → 581,793 (75倍)

 世界を揺るがすような未曾有の社会的大変動は、必ず「それ」を言い表すための新しい表現を必要とし、生み出します。新語が作られることもあれば、従来あまり使われなかった語や忘れられていた語が(時にはまったく新しい意味で)使われることもあります。その意味でも、2020年のWOTYに選ばれた3語は、現在の英語が文字どおり「言葉のるつぼmelting pot」の只中にあることの鮮やかな証拠となるでしょう。
 次の機会には、主に新語・新語義の生成という観点から「COVID-19の時代の英語」について考えてみたいと思います。
 それではまた。


*1  Merriam Webster’s Word of the Year 2020
https://www.merriam-webster.com/words-at-play/word-of-the-year 

*2  The Dictionary.com Word Of The Year For 2020 Is …
https://www.dictionary.com/e/word-of-the-year/

*3  Cambridge Dictionary’s Word of the Year 2020
https://dictionaryblog.cambridge.org/2020/11/24/cambridge-dictionarys-word-of-the-year-2020/

*4  The Collins Word of the Year 2020 is …
https://www.collinsdictionary.com/woty

*5  Open Dictionary Word of the Year 2020
https://www.macmillandictionaryblog.com/open-dictionary-word-of-the-year-2020

*6  Collins online dictionary
https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/lockdown

*7  Macmillan Dictionary Blog The English Learners Dictionary
https://www.macmillandictionary.com/dictionary/british/lockdown

*8  Cambridge Dictionary
https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/quarantine

*9  Oxford Languages  Word of the year 2020
https://languages.oup.com/word-of-the-year/2020/

*10  English-Corpora.org
https://www.english-corpora.org/now/

 

【筆者プロフィール】
少し前まで @olex_editorsの中の人。辞典の蘊蓄、園芸に関する投稿多数。今はバッハを歌ったり絵を描いたり植物の世話をしたりの日々。

英語のオシゴトと私 第18回―村上裕美
素敵な外国の方々との出会い

 大学で英語および英語教育を指導させていただく今の私にとって、振り返ってみると、幼少期の体験が原点となっています。
 私が初めて外国語として英語に接する機会を得たのは、幼稚園の時でした。ベルギー人の神父様が知人の家から我が家にいらっしゃることになり、私が知人の家から自宅に着くまでご案内したときのことを、今も鮮明に記憶しています。自宅につくまでの分かれ道や曲がり角のたびに、神父様が私の顔を優しい笑顔で見つめてくださり、進む方向を指で訪ねてくださる。その時に、指で示して答えると、“Oh, good girl.” や “Left?”,“Right!”,“This way?” などと繰り返し言って、コミュニケーションをとってくださいました。その声の調子や、温かい眼差しから、違う言葉でも理解してもらえること、なんだかわからないけれど、褒めていただいていることを全身で感じた日となりました。神父様の繰り返し発しておられた言葉が耳に残り、その日以来、神父様の英語のフレーズを反復して口にしていたそうです。このささやかな経験が、英語という言葉が私にとり身近で、ある種の自己肯定感を持つことができる言葉となりました。
 中学校の3年間は、姉妹都市交流でアメリカから日本に留学中の方と家族ぐるみの交流があり、私の茶道や華道のお稽古にお連れして、拙いながら通訳したり様々な場所に出かけていたことから、私にとって、英語は学習対象ではなく、言葉が異なる方と交流できる大切な言語として位置付けられていました。高校の3年間は、毎週土曜日に、日本赤十字社大阪支部主催のLanguage Schoolでアメリカ人講師による、発音指導はもとより、英語漬けのオーラル指導やディベートなど、通常の高校での英語学習では受けられない英語教育を受けることができました。この時のアメリカ人講師の先生の指導法や教育への情熱、このあとの私の人生に大きな影響を与えることになります。大学生になると、Language Schoolで受けた教育を活かし、社会貢献する活動として日本赤十字社大阪支部の語学奉仕団に参加しました。通訳ガイド班に所属し、主にツアーガイドを行い、多くの国々の方々と交流させていただく機会を得ました。このころから、大学卒業後の進路を考え、通訳や外国語を使うことが求められる外資系企業への就職も考えていました。しかし、大学4年生の教育実習の経験が私の進路を大きく変えるきっかけとなりました。
 高校での教育実習の期間、参観させていただく英語の授業で机に伏して寝る人が多く、興味関心が持てない気持ちを全身で表わす人があまりに多かったことに衝撃を受けました。私は、英語を学ぶことが大好きだったことから、その反対側の人の気持ちに初めて向き合う機会になりました。一人でも英語嫌いの人をなくしたいと願う気持ちがむくむくと湧き上がり、Language Schoolで出会った生涯の恩師のような指導がしたいと願うようになりました。大学院に進学と同時に、ご縁をいただき、公立高校と私立高校にて英語非常勤講師を3年間務めさせていただく中で、自分にできることの小ささを痛感するとともに、教員の育成が重要であると痛感しました。大学院を修了後、現職の関西外国語大学にて教壇に立たせていただき、様々な種類の授業を担当させていただきながら、まず自分が、学習者のニーズに応え、学びがいのある授業を提供できるよう、日々努力しています。また、英語教員育成の任においては、英語学習の楽しさや異文化理解の楽しさを指導できる教員の育成に励んでいます。
 英語が大好きで、英語を使うことが生活の一部になっていた時には、思いもしなかった英語教師というお仕事につかせていただいていることを、感慨深く思うと同時に、大好きな英語に関われる喜びを噛み締めています。そして、教育実習の際に決意した思いをしっかり胸に刻みながら、次代を担う英語教員育成という責任を遂行できるよう努力しています。ベルギー人神父様との出会いから始まった英語とのわり。そのような素敵な出会いを生徒・児童の皆さんにも経験してもらいたい、そして英語への関心を持ち続けてもらいたいと願っています。

 


【プロフィール】村上 裕美(むらかみ・ひろみ)
関西外国語大学短期大学部英米語学科准教授。大谷女子大学大学院文学研究科英語学英米文学専攻博士後期課程修了(単位修得修了、文学修士)。2011年熊本学園大学大学院国際文化研究専攻博士後期課程修了(単位修得終了)。専門は、文体論および英語授業学研究。2006年~2015年日本リメディアル教育学会関西支部長。代表的な著書としては、『学びのデザインノート:MH式ポートフォリオ 大学英語学習者用』(単著、ナカニシヤ出版、2012)、『大学教員のためのFD手帳:MH式ポートフォリオ 大学教員用』(ナカニシヤ出版、2013)、『英語授業学研究の最前線 JACET応用言語学研究シリーズ1』(ひつじ書房、2020)など。

英語のオシゴトと私 第17回―丸山大樹
ぼくはただ、おいしいラーメンが食べたいだけなんだ

 自分は英語教員になるべきではなかった。この職に就いてもうすぐ20年になろうとしている今でもよくそう思う。
 親が教員だったせいか、何となく自分は教員になるものだと思っていた。特に勉強熱心でもなかったし、周囲からの人望があったわけでもなかったのに、ただ、何となく。案の定、大学の教職課程では、担当の先生に「君みたいな人がなぜ教員になろうとするのか理解できない」と言われ、教育実習の研究授業では、「こんなひどい授業は初めて見た」と言われた。でも当時は、若かった。少しだけ落ち込みもしたが、そのうちなんとかなると思っていた。
 大学を卒業後、母校で非正規の講師として働きはじめた。生徒たちは皆優しかったので、面と向かって厳しい評価を聞いたりはしなかったが、自分自身はよくわかっていた、この授業ではダメだ。教育実習で酷評された授業と、そう変わらない授業を毎日繰り広げていた。ラーメンは放っておけばのびるが、英語教員は放っておいても伸びなかった。そして当時(2000年代初頭)は、様々な面で学校に「余裕」が残っている頃で、同僚には「別に講師がいなくても学校は回るけどね」と軽く言われたし、インターネット上には「教員がつらいなら辞めればいい。代わりはいくらでもいる」という声が散見された。
 最初の2年は何回か辞めてしまおうかとも思った。しかし、曲がりなりにもプロになった以上、そして、結婚をして新たな家族が増えたこともあって、なんとかしなければならないと思い、とにかく勉強をすることにした。TOEICや英検など英語の資格試験も何度か受けて、人様から文句を言われない程度の点数も取った(その節は旺文社の参考書に大変お世話になりました)。また、授業を少しでも良くしようと、専門書や実践家のブログを読み漁り、授業理念やテクニックを学んだ。
 しかし、勉強すればするほど、英語と授業は奥が深く、上には上がいることを思い知った。全国には、英語でも授業でも「怪物」のようなすごい人がたくさんいることがわかった。その中の1人が、松井孝志さんだ。松井さんの圧倒的な英語力に裏打ちされた緻密な授業実践は、例えるなら材料一つ一つにこだわる職人が作った塩ラーメンのようだ。おいしいラーメンがあれば食べに行ってみたいと思うように、松井さんに会ってみたいと思ったことは自然な流れだった。東京で行われたセミナーで松井さんから直接ライティングの指導を受けた。その後、松井さんが主催した「山口県英語教育フォーラム」に2回参加し、この原稿の執筆を紹介していただいた好村直子さんともお会いした(好村さんとは2019年末に開かれた松井先生の文字指導セミナーで数年ぶりに再会し、一緒に激辛ラーメンを食べに行った)。
 他にも、英語教育学会や大学の先生や企業が企画する勉強会にも参加した。また、何年か前には自分も県内の研究会のまとめ役になった。素晴らしい授業実践や英語教師たちに出会うことを10年ほど繰り返し、顔は広くなったが、やはり授業はそんなに上手くならないし、英語もできるようになったとは全く思わない。
 それでも時々、「英語の授業が楽しみです」とか、「先生のおかげで英語が苦手じゃなくなりました」とか(気を遣って)言ってくれる生徒がいて、たまらない。「授業をやるのが難しいです。怖いです」と言う若手教員に、「大丈夫、俺も20年経ってもそうだから」と何が大丈夫か全くわからないアドバイスしかできない中堅教員だが、これからもきっと退職まで、授業と英語を恐れ(畏れ)ながら、勉強し続けるのだと思う。
 何人もの仲間が、現場を去った。教員を取り巻く状況は、以前とは比べ物にならないくらい厳しい(上からもいろんなものが降ってくる)。自分が良い教員だと思える日は来なくても、いないよりはマシだということに確固たる自信を持って、おいしいラーメンを食べながら頑張っていきたい。

 

 

【プロフィール】丸山 大樹(まるやま・ひろき)
1979年長野県大町市生まれ、飯山市育ち、雪国のやつはだいたい友達。中央大学文学部英米文学専攻で八王子ラーメンの研究に没頭し、卒業後、長野県立高校英語科教員として飯山照丘高校、飯山北高校、阿南高校に赴任し県内のラーメンを食べ歩く。2016年から飯山高校勤務。昨年度は夏の野球部甲子園出場で泣き、3月の卒業式でクラスを送り出して泣き、この4月からは教務主任という罰ゲームを課せられ毎日泣いている。でも、気の良い生徒や保護者の皆様、愉快な同僚に囲まれ、涙の数だけ強くなれるよ。長野県教育文化会議外国語研究会会長、新英語教育研究会長野県事務局長。

英語のオシゴトと私 第16回―工藤泰三
色覚異常が英語教師になるきっかけに…?

 「お前は色弱だから理系は無理だ」・・・これは私が高校3年生の時にミシン屋兼電気屋の父から言われた言葉です。この言葉がなければ、今ごろ私は英語教育には携わっていなかったかもしれません。
 私が将来の職業として教職を意識し始めたのは16歳のころでした。小さいころはプロ野球選手、小学校中学年あたりではなぜか印刷業、中学で吹奏楽を始めてからはテューバ吹き、高校でバンドを始めてからはベーシストなど、いろいろな「将来の自分」を想像しながら高2の夏を迎えました。
 その時ふと思い出したのが、中学のころ友人と定期試験前によくやっていた勉強会です。比較的成績の良かった私はいつも指導役になり、父の店の事務所に集まった友人たちとともに夜遅くまで(時には朝まで)勉強していました。成果がどれほどあったのかはよくわかりません(どちらかというと、単にみんなで集まって遅くまでワチャワチャやるのが楽しかったのでしょう)が、教えることで自分自身の理解を確認することができましたし、試験が終わった後に友人から「助かったよ、ありがとう」なんて言われると「あ、そう?」なんてそっけない振りをしながら内心喜んだりしていました。
 その思い出に導かれるように教職を目指すことにした私でしたが、問題なのは「どの教科の教員になるか」ということでした。当時の私はバンド活動にうつつを抜かしっぱなしだったので、成績も超低空飛行、得意な科目などありません。志望する教科は高3になってから考えることとし、とりあえず高3は文系の日本史選択にし、あわせて自由選択で地学を履修することにしました。地学を選択したのは、国立大学受験には理科のいずれかの科目を共通一次試験で選択する必要があり、私の高校では地学だけが高3の授業で全範囲をカバーしてくれる理科科目だったから、という切羽詰まった理由からでした。ところがこの地学、勉強しだすと面白くて面白くて、いくら学んでいても全く苦痛に感じることはありませんでした。模試の成績も地学だけは全国トップレベル(と言っても受験者数はいつも他科目に比べ圧倒的に少なかったですが)になり、調子に乗った私は「よし、地学の教員を目指そう」と決心し、両親にもそう伝えたのでした。
 ・・・そこで返ってきたのが冒頭の父の台詞です。今でこそ色覚異常で職業適性を判断することはほとんどないでしょうが、当時はまだ学校の健康診断でもしっかり色覚検査をしていた時代で、色覚は今よりも重視されていました。電気回路に使う抵抗器も表面に塗られた色の組み合わせで抵抗値を表示しているし、地学分野でも星の色によってその表面温度を判断するなど、理系の分野では確かに色覚は文系の諸分野より大事なのかもしれません。私は半ばポカーンとしながらようやく「あ、そ、そうか・・・」と返事をしたのを覚えています。
 その後私は、きわめて粛々と、模試の成績が地学に次いで良かった英語の教師を目指すことを選択し、教育学部の中学校教員養成課程英語専攻に進みました。英語の教師になった人の多くはきっと、英語の魅力や面白さに惹かれてその道を選ばれたことと思いますが、そんなわけで私はそれには当てはまらないタイプの英語教師なのです。ときどき「こんな私が英語を教えるような仕事をしていていいものだろうか」と疑問に感じることもありますが、英語という言語を単に「かっこいい」とか「おしゃれ」とかという目で見ることなく若干の距離を置いて見られる点、「英語は苦手/嫌い」という生徒・学生に対し英語の道具的有用性を超えた視点で英語の学習意義を語れる点などは、かえって利点なのかもしれません。
 そんな私が最近研究の中心に据えているのが内容言語統合型学習(Content and Language Integrated Learning: CLIL)です。英語と地球的課題(global issues)を絡めて扱い、生徒・学生の高次思考を高めながら地球市民意識を涵養することをねらいとした授業実践を行っています。やはりどうやら私は、英語そのものを対象とした学習(教授)よりも、地学のように学際的要素を持った学習(教授)の方が好きなようです。

 

【プロフィール】工藤 泰三(くどう・たいぞう)
桜丘中学・高等学校(東京)英語科教諭、筑波大学附属坂戸高等学校外国語科教諭を経て、現在は名古屋学院大学国際文化学部准教授。横浜国立大学教育学部卒業、Saint Michael’s College MATESL Program修了。日本CLIL教育学会(J-CLIL)西日本支部副支部長、外国語教育メディア学会(LET)中部支部事務局長などを務める。

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