執筆者リレーエッセイ

「残念な英語学習者」にならないために ―石井智子

 
 香港在住の友人がいる。日本では20代で外資系投資銀行の管理職になった女性だ。香港に移住してから、中国語を学ぼうと地元の大学に入学した。そこには日本で大学を出たものの、就職できない若者が中国語をマスターして職を見つけようと留学してくるという。彼女によれば、このような日本人の若者にはいくつかの共通点があるのだそうだ。それは:①英語ができない。②リサーチしてpaper(学期末レポートや小論文)を書ける、という意味での基礎学力がない。③コミュニケーション能力が低い。
 
 先日もテレビで学生ローンを借りて大学を卒業したのに就職できなかった若い韓国女性のドキュメンタリーをやっていた。韓国だけではない。大学を卒業したのに職が見つからなくて学生ローンを返済できない若者の存在は日本でもアメリカでも社会問題になっている。大変な時代になったものだ。高校生の皆さんが本物の学力を身につけて、こんな時代を生き抜いて欲しい、と願わずにいられない。皆さんが30代40代になった時、労働環境はどうなっているだろう? 将来に備えて今からどんな勉強をすればいいのだろう?
 
 今年9月17日の「敬老の日」の時点で日本人の24%は65歳以上の高齢者だ。国民の4人に1人が年金生活の高齢者である国の国内市場だけを相手にしていたら生き残れないから、日本企業はコンビニ・外食チェーン・サービス業まであらゆる業種が続々とアジアの新興国へ進出している。このような状況下では労働環境はボーダーレス化する。
 
 私の友人のオランダ人はドイツのブラウン社、フィンランドの携帯会社ノキア、アメリカのマイクロソフト本社と転職し、仕事人生のほとんどで英語を使い、住む場所もベルギー、フィンランド、アメリカと変わった。①仕事で使う言語は母国語ではなく、②住む場所は母国ではなく、③同僚はさまざまな国籍の持ち主、という時代が来ようとしている。外国人学生を採用するユニクロとか、英語を社内公用語にする楽天のような会社は珍しくなくなる。
 
 だから、私は皆さんになるべく早い時期に英語を身につけて欲しい、と思う。まず、英語が話せること。帰国子女のような発音でペラペラしゃべる必要はない。今や英語を使う人間の圧倒的多数は英語を母国語としない人々なのだから、堂々と訛りのある英語を使って差し支えない。高いお金を払って英会話学校に行く必要もない。NHKラジオ英会話とCDを聴きながら、英語教科書の音読だけで充分だ。英語を話す機会があったら参加して、実際に英語を話して自信をつけること。私自身この勉強法で会話に不自由したことはない。
 
 それよりも重要なのは英語を読み書きする能力だ。高校生の時期からペーパーバックやAsahi WeeklyMainichi Weeklyといった英字新聞など、やさしい英語を多読して欲しい。英語学習においては読むことが最も大切だ。理由は2つある:①英語で考える習慣を身につけるため。②英語で情報収集できるようになるため。
 
 文法的誤りがないのに「この英語は通じないなあ。」という英語を書いたり、話したりしている人を見かける。日本語で考え、それをそのまま英語に置きかえているため日本人以外には通じない英語になっている。多読によって英語の発想法・ロジックを身につけて欲しい。
 
 ある程度英語が読めるようになったら、日本で発行されている英字新聞などではなく、是非ともNewsweekTimeなどの海外の新聞・雑誌を読んで欲しい。日本語で情報収集するのと英語でそれをやるのとでは、見える景色が全く違ってくる。日本語で手に入る情報は必ず日本のメディアのフィルターがかかっているからだ。将来の仕事に役立つ情報収集には英語の多読が欠かせない。
 
 次に英語を書けるようにしておくこと。英語にはスピーチから論文に至るまで同じ基本的な構造(序論・本論・結論が1:2:1の比率になっている)というものがあって、これがわからないとpaperも書けないし、スピーチもできない。
 
 高校生ならまず、英語で日記をつけるとか外国にメル友をつくることから始めるとよい。ある程度英語を書くことに慣れたらテーマを決めて書いてみよう。国公立大学には入試に英語の論文やエッセイを課すところがあるので、その問題をやってみよう。学校にネイティブスピーカーの先生がいて書いたものをチェックしてくださるのが一番いいのだが、いなければお金を払ってでもネイティブスピーカーに見てもらうこと。英語を書くことだけは独学ではだめだ。
 
 こんな勉強をしていたら受験勉強の暇がない、と思うかもしれないが、この勉強で受験英語の準備は充分だし、これで入れないような大学には行かないことだ。一歩国外に出れば日本の大学など誰も関心がないのだから、どの大学に進学しようが大勢には影響がない。そんなことより、高校時代の貴重な時間とエネルギーを見当違いな英語の勉強に使って、「残念な英語学習者」にならないことだ。
 
 

【プロフィール】石井 智子(いしい ともこ) 
立教女学院中学・高等学校英語科教諭。立教大学大学院修士課程修了(英文学)、テンプル大学大学院にてTESOL(英語教授法における教育学修士号)修得。
旺文社『全国大学入試問題正解 英語』校閲者。東進ハイスクールセンター模試問題作成者。著書に『日本の行事を英語で説明する辞典』(ナツメ出版)、『まる覚え英検熟語・単語集(2級・準2級・3級・4級)』(中経出版)などがある。
『オーレックス和英辞典』『コアレックス英和辞典』『レクシス英和辞典』で本文執筆を担当。

Coining New Words ––Nadia Mckechnie

 
My daughter goes to an English reading class on Saturdays. All the children in the class have at least one parent with whom they speak English at home and all of them go to Japanese schools. The class is very helpful for parents like myself who are trying to raise our children to be not only bilingual and bicultural but also biliterate1.
 
Recently, the children have been doing a term project on the famous American children’s writer, Dr. Seuss (Theodor Seuss Geisel, 1904-1994). You may be familiar with some of his titles like The Cat in the Hat or Green Eggs and Ham, or even our particular favorite, Wacky Wednesday. Dr. Seuss was a very innovative and creative writer who liked to make up or “coin” funny, nonsense words.
 
Last week my daughter’s teacher set the children the homework assignment of coining a new word themselves. (In case you are interested, one of the words my daughter came up with was hand-snack – a snack you can both open and eat with one hand while using the other hand to do something else like send a text or hold a book. I guess this coinage is a sign of the busy, multitasking time in which we live.)
 
This got me thinking about just how many words I use every day that simply didn’t exist when I was growing up. (This was, of course, in the “olden days” when a mac2 was still a raincoat, a mobile3 was something hanging above a baby’s bed, and a cyberbully4 would have sounded like a character from the popular children’s TV show, Doctor Who5.) Although new words have, as a matter of course, been coined as they become necessary throughout history, it is definitely the case that, due to the digital age, new words are becoming part of our common vocabulary much more quickly than in the past. But, which words will fall out of fashion again and which ones will stand the test of time? Although there are countless new/newish coinages, usages and neologisms (newly coined words which have yet to be accepted into mainstream language), here are a handful of words that I like or think are useful:
 
Sandwich generation – The growing generation of people who are finding themselves having to both take care of children, and care for elderly relatives at the same time.
A very succinct term that has become quite a buzzword as “sandwich generation problems and issues” increase.
 
Blogosphere – The world of websites and blogs and those who inhabit them.
For me, this fun, “sci-fi” word conjures up images of a world where people float in outer space like astronauts, connected to their laptops for life support!
 
Carbon footprint – The amount of carbon dioxide and other emissions that can be attributed to a particular person or group, mainly due to their use of fossil fuels.
I think this slightly older expression will continue to be relevant as we look for greener solutions for our energy needs. Other usages of “footprint” are cruelty footprint, as in “You can reduce your cruelty footprint by buying only cruelty-free cosmetics.” and digital footprint, as in “Have you checked your children’s digital footprints?”
 
Vintage – Denoting something that is of high quality or classic design.
In the past, the adjective vintage was most often used to describe fine wine or cars. However, nowadays you can’t open a fashion magazine without coming across vintage used to describe “secondhand” clothing, as in “She wore vintage cocktail dress to the party.” Somehow, vintage sounds so much more stylish and elegant to me than “secondhand” – which was the only word available to describe the vintage clothes I used to buy from street markets when I was a teenager!
 
Edamame – Green soybeans.
A fashionable food with a healthy image, sometimes served with hot pepper sauce in restaurants in my hometown, London. Edamame definitely sounds more appetizing and exotic than “soybeans.”
 
And finally,
 
Mouse potato – Someone who spends too long sitting in front of a computer screen, playing games, watching YouTube, etc.
This coinage is a newer version of the expression couch potato (meaning someone who watches too much TV). Although this expression will probably become obsolete along with the mouse, it still makes me smile whenever I hear it.
 
 
Key:
1 biliterate – able to read and write in two languages.
2 mac – short for macintosh or mackintosh – a generic term for a kind of rubber raincoat. These days, a popular brand of computer!
3 mobile – a freely moving structure often hung above a baby’s bed to offer visual stimulation. These days, the short form of “mobile phone.”
4 cyberbully – a person who bullies or harasses someone digitally by sending them nasty messages, etc. Also, cyberbullying as in “He was a victim of cyberbullying.”
5 Doctor Who – a long running, award-winning TV show produced by the BBC. The Cybermen were characters who first appeared in the series in the 1960s.
 
 

【プロフィール】Nadia McKechnie(ナディア・マケックニー)
 イギリス・ロンドン出身。これまで20年以上、英語教材制作と指導に携わる。『英会話フレーズ道具箱』『ダイアローグ リスニング』(旺文社)、『コトバで相手を怒らせないための“正しい”英語・礼儀作法』(マクミラン ランゲージハウス)の執筆、『全国大学入試問題正解・英語』(旺文社)などの校閲に多数関わる。また、NHK基礎英語2、3をはじめ、教育からコマーシャルにわたる幅広い分野でナレーターとして活躍。
 『オーレックス英和辞典』『オーレックス和英辞典』では英文校閲を担当。

記憶の不思議:酪農と英語,あるいはイクラとチェコ語―小崎充

 
 この春休み,ふだん全然一緒に遊んでやっていない罪滅ぼしに子供たちを連れ(正確に言うと彼らの母親の運転する車の助手席に乗せられ),あの有名な「マザー牧場」を初めて訪れてみた。乗馬をしたり,子ブタのレースを楽しんだりしている息子たちの姿を見ながら,心の奥底にしまわれていた自らの幼少期の記憶が蘇ってきたが,特に乳搾り体験をする少年たちが(そんなに遠くはないと自分では思っている)はるか昔の自分の姿に重なって見えた。と同時に,懐かしく強烈な牛舎の臭いも鼻に飛びついてきた。(食事中でなくてよかった。)
 
 ソビエトによる日本漁船の拿捕事件が頻発していた時代に,北海道の東の果て近くにある小さな町で育った私の周りには,英語が溢れかえっていた。冷戦期の米ソ対立の時代に,「悪意を持った隣人」という雰囲気を醸し出していたロシア人のことばを学ぼうとするものは非常に少なかった。だからと言って,北方領土返還運動にアメリカを巻き込もうとして皆が盛んに英語を学習していたということは,もちろん,あるはずがない。
 
 当時,人口がやっと2万人になるかならないかというその町は酪農の町で(牛は人間の2倍はいた。おまけに,学校のグラウンドをエゾシカが走っていたり,山に行けば羆が出たりすることもあった。),私の母の実家も酪農を生業としていた。両親が共働きだったせいか,3歳年上の兄とともに,物心ついたときからしょっちゅう母の実家に預けられていた私は,否応なしに英単語だらけの酪農文化に浸って育つことになる。
 
 酪農で英語?と思われるかもしれないが,酪農家の毎日は実は英単語と切り離せない。飼育していた牛の種類はホルスタイン(Holstein)で,これは元々英語ではないけれど(ちなみに,ドイツ語起源だそうな。),餌となるのは主に牧草のチモシー(timothy:「オオアワガエリ」という和名は,恥ずかしながら今回調べて初めて知った。)や,それをサイロ(silo)で発酵させたサイレージ(silage:辞書によると,この単語はensilageからsiloの影響で語頭のenが欠落したという面白い単語)。秋にはビート(beet:テンサイ、サトウダイコン)やデントコーン(dent corn:家畜の飼料用トウモロコシ)を収穫して餌にすることもあった。牛の世話にはフォーク(fork)やレーキ(rake)を使い,乳搾りにはミルカー(milker = milking machine:搾乳器)が活躍した。まだまだパイプライン型ではなく,バケット型のものであった。
 
 こんな風に英語が当たり前のように日常に登場する生活の中で,ある日なじみのない単語が耳に飛び込んできた。それは「トワイン」であった。当時は刈り取った牧草を機械で直方体の形にぎゅっと圧縮し,2本の細紐で縛るのが普通だったが,その細紐のことをトワインと呼んだ。その頃はもうすっかり毎日の牛の世話にうんざりしていて,この紐のことを特に気にかけはしなかったが,その後何年も経って,確か大学1年の何かの英語の授業中,それがtwineという「より糸,麻紐」を表す語だということに気づくことになる。その語の意味を知ったとき,子供の頃,重い牧草の束を持ち上げる度に手に食い込んだトワインの乾いた痛みと牧草の青い匂いが心の中に鮮やかに浮かび上がった。
 

牧草の束。ただし残念ながらこの紐は「トワイン」ではない


 

 無意識のうちに記憶に刷り込まれたまま忘れ去られていた情報が突然,外国語の学習により息を吹き返す。断片でしかなかった小さな知識が,その他の情報と結びつき,自分の頭の中で意味のネットワークを形成していく。そんな経験に魅了された私は,ことばの研究から離れることができなくなっていった。
 
 大学3年になってチェコ語を習った時には,「魚卵」を表す単語がロシア語と同じ語源のjikraであることを知り,それが子供のころからの好物であるイクラに結びついた。ちなみに,英語では魚の卵を表す語としてroeという単語があるが,これは産卵前の塊になったままの卵を指す語で,どうもイメージとしては美味そう(mouthwatering)な感じのしない語である。そのため,最近では,鮭のイクラを表すのにsalmon caviarという表現がよく用いられる。「キャビア」というとチョウザメの卵を塩漬けにした高級食品であるが,イクラもキャビアと呼ばれるとずいぶんと高級な食べ物のように感じられるから不思議だ。(本家のロシア語では,キャビアはчёрная икра(チョールナヤ・イクラー、「黒い魚卵」の意)で「イクラ」と呼ばれていることもまた面白い。)
 
 話が逸れてしまったが,こんな些細な記憶でも何かのきっかけで突然心の中に舞い戻ってくることがあるのが記憶の不思議であり,心やことばの研究者が解き明かそうとしている謎である。チェコ語を教えて下さった(著名であり,かつ毒舌な)言語学の先生は,よく大学近くの食堂で一緒にカレーライスを食べながら,私に向かって「意味はやるな。意味にはまると抜けだせなくなる」と忠告して下さったのだが,そのアドバイスが,意味を扱えば記憶の研究を避けて通れなくなるという意図であったと,今ようやくわかりつつあるところだ。それもまた記憶の不思議だと思いつつ,次の研究計画を練っている自分がいる。
 
 
 

【プロフィール】小崎 充(こざき まこと)
国士舘大学理工学部(健康医工学系)教授,2010年より同学部教務主任。東京外国語大学,同大学大学院を修了。専門は認知言語学を中心とした認知科学。
『オーレックス和英辞典』で「使い分けテーブル」、『コアレックス英和辞典』で「語の使い分け」を担当。
(写真は脳内を流れる血液中のヘモグロビン量を調べるポータブル型光トポグラフィを装着した筆者)

意識と無意識――柏木厚子

 
 
 イギリスで英語を勉強していた頃に「英語を話したいなら英語で考えなさい!」とイギリス人の先生に言われたことを今でも覚えています。一応は“I’ll try.”と答えはしましたが、「英語で考えろと言われてすぐに英語で考えられるぐらいなら苦労はしない」とつぶやいていました。
 
 小学校から大学まで全て日本の学校という典型的な「純ジャパ」の私にとって英語というのはずっと「読む」ものでした。中高の授業も見事なほどの「文法訳読方式」。大学の英語の授業は中高にさらに輪をかけたような伝統的授業で、禅についての英文を一人一人順番にひたすら訳した記憶があります(今から考えるとこれは鈴木大拙著『禅と日本文化』からの一節だったのですが、18歳の私には「??」でした)。
 
 そんな私がイギリスに留学したのは24歳の時。たどたどしい英語を話すのが精一杯で、英語で考えるなんて夢のまた夢でした。もちろん決まったフレーズは言えますが、少し込み入った話になるとまず日本語で考え、英文を組み立て、考えながら話していました。イギリスで2年、アメリカで2年の留学を終え日本に帰国した私のスピーキングは最初に比べればかなり流暢になっていましたが、その段階でもまだかなり日本語から英語に訳していたのを今でも覚えています。「英語で考えることなんて無理かもしれない、私って一生このままかも」と諦めの境地にいたと思います。
 
 ところが、留学から帰ってまず就職したところはサイマル・インターナショナルという帰国子女の牙城のようなところ。普通に日本語を話すように流暢に英語を操る彼女たち(女性が圧倒的に多かったです)は本当に別の生き物のようで、ショックを受けました。かなりミーハーですが(私も若かった…)、帰国子女たちが本当に格好よくて憧れたものです。
 
 その頃、言語習得理論では非常な影響力を持っていたStephen Krashenの「モニターモデル」という考え方がありました。簡単に言うと「学校で習った英語っていうのは実際のコミュニケーションでは全く使えない。実際に使える英語というのは、英語を聞いたり読んだりする中で無意識に習得したものだけだ」ということで、受験英語で青春を送った私などからみると「私の立場無いよね」と正直思いました。でも、周りの帰国子女たちの颯爽とした姿に憧れた私はKrashenの言う「無意識の習得」とやらに賭けてみようと思ったのです。
 
 それからは、日本にいながら自分をとにかく英語漬けにしました。英語のみを聞き、読み、話す。ひたすら「無意識」を信じてそれを続けていた29歳のある日、何を話していたかは忘れたのですが、日本語で考えずに英文がぽっと口をついて出てきました。「えっ、今のどこから出てきたの?」という不思議な感覚を今でも覚えています。それからは、そういったエピソードが加速度的に増え、30代の前半には「英語で考える」ということができるようになっていました。また、同時期に、英文を聞いただけで直観的に「それはちょっと変、言わないよ」という判断もできるようになっていました。つまり「無意識の習得」が起こっていたということでしょう。
 
 ある意味、Krashenのおかげで「英語で考える」ことができるようになったとは思うのですが、実はKrashenの言うことを全部信じているわけではありません。Krashenは「意識的な学習は自然な習得にはつながらない」と主張しましたが、私は自分の受験英語、つまり意識的な学習は確実に自然な習得につながったと感じているからです。白井恭弘氏が著書の『外国語学習の科学』(岩波新書)でも書いているように、意識的な学習はふつうに聞いているだけでは気づかないことを気づかせることによって、自然な習得を促進させる役割があります。文法をしっかりと理解していること、ある程度の語彙を形式的にでも知っていることは自然な習得をスピードアップさせる力があるということです。
 
 私の所属している学科は学生全員が留学することが必修ですが、学生には大体大きく分けて2タイプあります。1つ目のタイプは「全てが説明できないと納得しない」タイプ。このタイプは文法が好きで辞書が好きで、細かいことにこだわる傾向があります。昔の私ですね。2つ目は「語学の勉強なんて机でするものではない、留学すれば何とかなる」タイプ。根拠のない楽天家で、英語ができないのは学校の教え方が悪いから、と密かに思っています。
 
 どちらも不幸です。最初のタイプには「大丈夫、今、分からなくてもいつか分かるから。自分の脳を信じて、とにかくインプットを入れてごらん」というアドバイス。2番目のタイプには「今、しっかりと基礎を固めておかないと、英語のシャワーを浴びてもザルが水を通すように全部流れていってしまうよ」というアドバイスをすることにしています。
 
 意識的な学習と無意識の習得、この2つのプロセスをうまく利用できるようになったら学習者としても一人前になったと言えるのでしょう。
 
 
 
【プロフィール】柏木 厚子(かしわぎ あつこ)
昭和女子大学人間学部教授、2009年より同学部国際学科学科長。早稲田大学法学部を卒業後、イギリス留学を経て米国コロンビア大学大学院より応用言語学・英語教授法修士号取得。
『オーレックス和英辞典』では校閲・「日本紹介」執筆を担当。

ある英語教師の苦労もしくは苦行について――楠部与誠

 
 
 昨年の夏、私はロンドンのレストランでsteak and kidney pieを食べた。私は内臓料理が苦手である。腎臓なんて食べたいとは思わない、絶対に。では、なぜそんな無茶をしたのかと聞く人がいるかもしれない。きっかけは、今教えている英語の教科書にある。steak and kidney pieが話に出てくるのである。

 俊という名の登場人物は、夏休みを利用してロンドンにいる親戚の家に遊びに行く。そのロンドン滞在中の出来事がいくつか切り取られて教科書には載っているのだが、ある日訪れたレストランで俊はsteak and kidney pieを注文するのである。fish and chipsやsandwichesでは面白さに欠ける、と教科書の執筆者たちは考えたのかもしれない。代表的なイギリス料理で、なおかつインパクトのあるものとしてsteak and kidney pieは選ばれたのだろうか。
 だとしたら、そのねらいは十分に成功したと言える。steak and kidney pieについて説明した時、教室がざわついたのである。fish and chipsやsandwichesでは決して得られない関心の高まりである。そして、実はその関心の高まりが私の苦労の引き金となる。ある生徒が当然のごとく、「先生は食べたことがあるんですか?」と聞いてきたのだ。想定できた質問であったし、別に虚を突かれたというわけではなかったが、一瞬たじろいだ。生徒たちの熱い視線が私一点に集中したからである。

 ここで教師は大方2つのタイプに分けられる。授業のノリを優先して堂々とホラを吹けるタイプと、事実を優先して正直に答えるタイプ。私は前者タイプの教師にちょっぴり憧れはするが、嘘が上手くつけない後者タイプの教師である。だからこの時も、「いや、ないんだ」と弱々しく答えた。
 こちらにぴんと向けられていた生徒たちの視線が四方八方に解かれていく。「やっぱり、たいしたことねぇーな」とクラスの大半が思ったに違いない。だから、私は焦ってつい余計な一言を付け加えてしまったのである。「今度の夏、研修でイギリスに行く。その時必ず食ってきてやるよ」教師としての意地が苦手意識を凌駕した瞬間であった。負けず嫌いの教師にはこの種の苦労が絶えない。
 こうして、昨年夏のイギリス訪問には、ケンブリッジでの研修という素敵な目的のほかに、ロンドンでsteak and kidney pieを食べるという「苦行」が追加されたのであった。
 
 
 8月のある日曜の昼下がり、私は覚悟を決めてレストランに向かった。テムズ川沿いにあるそのレストランは遅めのランチを楽しむ人々で賑わっていた。古い建物を改装して作られた店内は、温もりのある落ち着いた内装で統一され、テラス席からはタワーブリッジが間近に見える。そんな居心地と立地の良さから、新鮮な肉料理を提供してくれるというこのレストランは観光客にも人気らしかった。私は窓際の小さなテーブルに案内された。
 「steak and kidney pieをください」と私は唐突に注文した。
 「steak and kidney puddingならあります。pieもpuddingも同じですよ」
 「では、それをください」

 しばらくすると、steak and kidney puddingはテーブルに運ばれてきた。小さなホールケーキほどの大きさと厚みがあり、見た目にもずしりと重たい。
 

 
 一口食べてみた。何の味、何のにおいと言えばいいのだろう。婉曲的な表現が思いつかない。「イギリス料理は素材の味を楽しめるようにできている」とどこかで聞いたことがあるが、腎臓そのもの(その機能も含意する)の素材の味と言えばよいだろうか。もっとも、私には到底その素材の味は楽しめなかったが。
 その印象的な味とにおいは、頑張って本体を飲み込んだ後もなかなか消えてくれない。そこでたまたま注文してあったビールをぐいと飲む。そしてまた食べる。そしてまたビールを飲む。ひたすらこの作業の繰り返しであった。途中でビールをお代わりしたのは言うまでもない。そうやって、全部を食べきったのである。

 食べ終わってしばらくすると、ウェイトレスがやってきて、“Did you enjoy your food, sir?”というお決まりの質問をしてきた。enjoyという言葉に私の思考は多少混乱したが、すぐに気持ちを立て直して、“Yes.”とぎこちなく答えた。この時ばかりはうそをついた。疲れていて正直に返答するのが面倒だったというのもあるが、上品なレストランで「ちょっとおしっこ臭かったです」と答えるのはどうも憚られたのである。
 ぎこちないYesであったが、ウェイトレスはそれを真に受けたようだった。考えてみれば当然である。ちょっとお洒落なレストランに男一人でやってきて、steak and kidney puddingを単品で注文し、ビールを2杯も飲みながら、がつがつとそのpuddingを比較的短時間で食べ終えたわけである。傍目には、よっぽどsteak and kidney puddingが好きな日本人観光客と映ったに違いない。

 さて、夏休み明け。生徒たちはsteak and kidney pieのことなんかすっかり忘れていた。何も聞いてこないので、私も何も語っていない。だから、ここに記した私の苦労を生徒たちは知らない。教師の苦労、生徒知らず。生徒の苦労はわかってあげたいけれど、その逆は別にいいのかもしれない。やっぱりちょっと寂しいけれど。
 
 
 

研修で滞在したケンブリッジのHomerton Collegeにて

【プロフィール】楠部 与誠(くすべ よしなり)
武蔵高等学校中学校教諭。
『オーレックス和英辞典』では、PLANET BOARD と巻末付録「よりよい英文をプロデュースするために」を担当。

むかしむかしあるところに辞書の好きな男の子がいました  ―石井康毅

 
 海外の事情や英語学習に役立つ話は、他の執筆者の方々に任せて、私は辞書が大好きで、それが高じて仕事にまでしてしまった人の話を書かせていただきます。
 
[小学生時代]
 小学校の時、国語の宿題の中に「意味調べ」というものがありました。「教科書の文章を読んで、意味の分からないことばや、気になることばがあったら国語辞典で調べて、ノートに意味を書きましょう」というものでした。10個も調べれば十分なところなのですが、私は一度気になると放っておけない性格で、この宿題が出るといつも、かなり遅くまでかかって、とにかく辞書を引いては、それを書き写していたことを覚えています。気になることが全て解消するととてもすっきりした気分になり、何かに取り憑かれたかのように(?)辞書を引きまくりました。その頃から、「辞書によって書いてあることに違いがある」ということに薄々気が付いていたような気がします。今思うと、この経験が私が辞書に興味を持つきっかけだったのでしょう。
 
[中学生時代]
 中学生になると、英語の勉強が始まります。NHKラジオの英語講座を聴き始め、中学1年で『基礎英語』、2年で『続基礎英語』、3年で『上級基礎英語』と聴き続けました。今よりも番組の区分数が少なかったNHKのテキストは、辞書を引かなくてもなんとかなる学校の教科書よりも、文法も語彙も進度が速かったため、だんだんと英和辞典を引くことが増えてきました。『続基礎英語』の頃には、テキストを隅から隅まで読んで理解しようと思うと、小学校の卒業記念でもらった中学生用の一番易しい英和辞典では足りないという場面が増えてきて、大人用の辞書を引くようになりました。ところが、家にあった英和辞典は父が大昔に使っていた辞書でした。それが何だったのかは今では分からないのですが、古くて規模も多少心許ないこともあり、新しい辞書を買ってもらいました。それが旺文社の『Comprehensive英和中辞典』でした。これが私の(大げさですが)辞書人生の本格的な始まりでした。その時から、辞書にない見出し語や語義があると、それが載っている新しい辞書がほしくなるという「病気」が始まりました。
 
[高校生時代]
 高校生になってからも、ラジオを聴き続けました。1年生で『英会話』、2年生で『やさしいビジネス英語』と進みました。さすがに『やさしいビジネス英語』は高校2年生には相当難しかったのですが、辞書と格闘しながら聴き続けました。高校生にもなると教科書も一気に難しくなり、分からない表現の意味が明らかになるまで調べないと気が済まない私には苦難の時代(?)でした。手持ちの辞書で一通り調べ、それでも分からないことは学校の図書館で大型の辞書で調べるようになりました。古典や漢文でも、図書館の大型辞書をひたすら引いたことを覚えています。そのうち、いちいち図書館に行くのも面倒になり、高校2年生の時くらいに、研究社の『新英和大辞典』(第5版)や、英語の先生が英作文の授業で引いていた『新編英和活用大辞典』などを買いました。さらに英英辞典にも手を出し始めました。最初に買った英英辞典は、先生が「面白い辞書が出た」と紹介してくれたCollins COBUILD English Dictionary (第2版)でした。COBUILDに加え、高校生のうちにOxford Advanced Learner’s Dictionary of Current English (第5版)、Longman Dictionary of Contemporary English (第3版)、Cambridge International Dictionary of Englishをそろえて、英和で足りない時には引いていました。これらの辞書が出たのが全て1995年で、私が英英辞典に興味を持ったのがちょうどその時だったということに、今思うと何か運命めいたものを感じます。
 そんな、辞書に囲まれたちょっと(ものすごく?)変わった高校生だった私は、高校2年生の頃には、「将来は英語の辞書を書きたい」、「もっと使いやすい英語の辞書を作りたい」と思うようになっていました。当時よく使っていた研究社の辞書の執筆者のところを見ると、東京外国語大学の先生の名前が多く挙がっていたため、深く調べもせずに「東京外大に行って大学の先生になれば辞書を書けるんじゃないか」と考え、英語が好きで得意だったこともあり、外大を目指しました。
 
[大学生時代]
 その希望は叶って外大に入学したわけですが、辞書好きはますます進化(?)します。英語辞書の最高峰であるOEDもたまに引くようになりました。持っている辞書の数も着実に増え続けていったのですが、英語に関するいろいろなことを学ぶ中で、辞書以外にも興味がわいてきました。ひとつは比喩です。もうひとつは大量のテキストデータをコンピューターで処理することで、母語話者の直感でも決して得られない面白いデータが多く得られるコーパス言語学です。学部の卒業論文では、これら全部に関わる、コーパス・比喩・辞書をテーマにした研究をしました。(これらの分野は10年ちょっと経った今でも私の主要な研究テーマです。)
 
[そして念願の辞書執筆へ]
 コーパス言語学を学んで、テキスト処理をしたりしていた関係で、外大の馬場彰先生と野村恵造先生から、旺文社の『レクシス英和辞典』でコーパスからのコロケーションデータ抽出を手伝わないかと声をかけていただきました。これが、辞書制作に携わった初めての経験です。その後、大学院在学中には、『コアレックス英和辞典』の本文執筆の経験もさせていただきました。その後は他の出版社の辞書でも執筆に参加する機会をいただき、大学の教員にもなれ、高校生の頃の夢は叶ってしまいました。でも叶ったのはまだ半分です。「もっと使いやすい英語の辞書を作りたい」という夢はまだこれからです。
 これからも好きな辞書を仕事にして、少しでもよりよい辞書作りに、そして英語を学ぶ多くの人たちが外国語を学ぶ楽しさや奥深さを知るきっかけとなるような、より使いやすい辞書を作るということに貢献できればと考えています。
 
 
 
【プロフィール】石井 康毅(いしい やすたけ)
成城大学社会イノベーション学部准教授。専門は認知意味論、コーパス言語学、辞書学。
『オーレックス英和辞典』では連語のコーパス検証とコンピューター関連語の執筆・校閲を担当。

はるかなるフォートラダデール――井上輝伸

 
 
 浜辺に人だかりができ、ホイッスルの音がかすかに聞こえる。海にのんびりと浮かんでいたTと私は、どうやら自分たちを呼んでいるようだ、と海岸に向かった。ライフガードの若者が近づいてきて、“Sharks!!” と叫んだ。この一言に、Tと私の顔は引きつったにちがいなかった。それまで、私たちは何度も沖合に出ては、ぷかぷかと漂いながら、建ち並ぶしゃれたホテル群を眺めて泳ぎを楽しんでいた。おそらく、岸からは100メートル以上離れていたことだろう。彼が指差したボードには「30フィート(約9メートル)先には泳ぎ出るな」とあった。理由はサメに襲われないためである。1968年、フォートラダデールでのある日の出来事。
 
 フロリダ州フォートラダデール(Fort Lauderdale)は、マイアミから北に40キロほどにある保養地で、1960年に封切られた青春映画 “Where Boys Are” の舞台となり、コニー・フランシスの同名のヒット曲とともに一躍全米にその名を知られることとなった。北の州からイースターの休暇でやってきた女子学生たちが出会う様々な男性との出会いと結末は、当時の変わりゆくアメリカの大学生の性のモラル、青春の性行動(sexuality)を浮き彫りにした。この映画をきっかけに、毎年イースターには、全米各地から学生たちが大挙してフォートラダデールにやってくることとなった。
 
 “Volunteers To America” ――それが私たちの参加していたプログラムの正式名称だった。米国国務省と文部省(当時)の間で取り交わされたもので、私を含めた20代の男女10名が選ばれ、6名は地域のコミュニティーセンターに、4名は学校に配属となった。名称の通り、アメリカで、ボランティア活動に従事するのが目的だったが、Tと私は6名の仲間だった。1961年、米国政府は、Peace Corps(平和部隊)を立ち上げ、3年後の1964年には、その国内版であるVISTA(Volunteers In Service To America)を創設した。Volunteers To Americaは、いわばVISTAの“外国人版”だった。日本をはじめ韓国、アルゼンチン、コロンビア、ブラジルなど14カ国からの若者が参加した。VISTAは、War On Poverty(貧困との戦い)をスローガンに掲げている。
 

 
 私たち6名は、アトランタ郊外で約1か月、トレーニングを受けた。講義では、大学教授らからアメリカ社会の成り立ち、貧困の現状、VISTAの活動などについて学び、一方の実践では、国籍の異なる者同士ペアを組んで、アトランタ市内の貧しい家庭で2週間のホームステイをしたのである。その後、私たちはそれぞれの「任地」に向かった。フォートラダデールでは、はじめ、私とホンジュラスから来たCが、そしてTとはブラジルのNがルームメートだった。しかし、約2週間後、Nはノイローゼ気味となり、急きょ帰国してしまい、一方、私とCとの共同生活も、ささいなことからギクシャクし出した。スタッフに相談し、結局Cは単独で、私とTはペアを組んで活動することになった。Tは大学を3月に卒業したばかりの空手4段の猛者だった。
 
 ある日、Tと私は、近くの小学校で日本事情を紹介したいと思い立ち、市の教育委員会に出向いた。対応してくれた2人の男性に、滞在の趣旨を話し、活動の手始めに、地図などを用いて日本事情を子どもたちに紹介したい、と申し出た。するとすぐに、近くの小学校の校長に電話をかけて、交渉してくれた。驚いたことに、その場で即OKが出た。さすがはアメリカ、と感心した。翌日、私たちは、久々にネクタイを締めて、校長室に向かった。その日から、Tと私は、即席の先生となり、次々と、クラスを訪問しては、日本の紹介を始めた。ある4年生のクラスでは、一通り話し終わって、何か質問は、というと、一斉に手が挙がる。Do you have cars in Japan? といったたわいない質問に交じって、「日本は共産主義の国か?」という意外なものもあった。理由はすぐにわかった。教室に持ち込んだ地図では、日本は赤く塗られていた。日本人が英語を話すのが珍しいらしく、どのクラスでも、どこで英語を習ったのだ、と聞かれたのを覚えている。
 
 黒人社会では、情報は子どもたちを通してあっという間に広がる。夕方、近くの店にビールを買いに行くと、道端でたむろしている黒人たちに呼び止められることがしばしばあった。当時、まだ、ベトナム戦争は終結していなかった。“Hey, Charlie, come here.” と何度も声をかけられた。Charlieとは、ベトナム人のことである。側によって話し始めると、俺はこいつを知っているぞ、息子の学校で教えているジャパニーズだ、となり、怪しいものでないことが明らかになる。その場を離れるときには、Take it easy.(がんばれよ)の声が飛び交った。
 
 Tはやがて、黒人地区のYMCAで空手教室を開いた。ある日、突きの練習をしているときに、こんなことがあった。「イチ、ニ、サン、シ…」とTが号令をかけて「ロク」まで来た時、十数人いた生徒たちは、一斉に構えを解いてTを見つめたのだった。一瞬、戸惑ったTだったが、すぐにそのわけがわかった。「ロク」の号令が、Look! に聞こえたのだった。「ちがう、ちがう、そうじゃないってば、こっちを見て」――そんな風に彼らには聞こえたのだろう。思わぬ単語の発音が似通っているため、起きたハプニング。
 
 ずっと後になって、映画Jawsを見たときサメの恐ろしさを身に沁みて感じた。あのとき、もしライフガードの若者に注意されていなかったら、どうなっていたかと思うと恐ろしい。若気の至りとは、こんなときに使う表現かもしれない。
 
 任期を終えた後、17万円也で購入したダッジ・ダート64年型で、ニューヨークからロサンゼルスまで単独横断の旅に出た。さまざまなハプニングに巡り合う、まさにexciting journeyであった。機会があれば、またご紹介したいと思う。
 
 
 
【プロフィール】 井上 輝伸(いのうえ てるのぶ)
青山学院大学文学部英米文学科卒。1968年~69年、Volunteers To Americaプログラムに参加。1973年より、都立高校で英語を教える。趣味は、陶芸観賞、旅行、野菜作り。
『オーレックス英和辞典』では校閲を、『コアレックス英和辞典』では文化コラムを担当。

Tsunami or Tidal Wave? ――舘林信義

 
 今年3月の東日本大震災のニュースを見聞きし,被害に遭われた多くの人に深く同情すると同時に,そのニュースをテレビは勿論ですが,新聞,特に英字新聞を見ながら,思い出したことがあります.
 
 かなり前の話になりますが,仕事の関係で何度かハワイ島を訪れました.そして仕事の合間にそこのハイスクールの先生などに案内されて島のいろいろな場所を訪れたりもしました.ある時,ハワイ島の東側にあるヒロを訪れ,そこの海岸に近い地域の一角に建っている時計,そしてヒロから少し離れた海岸にある記念碑の説明を受けました.時計は “Tsunami Clock” と呼ばれ,記念碑は “Tidal Wave Memorial” と呼ばれていました.
 
 ヒロとその付近の海岸は,20世紀に入って非常に大きな津波に2度襲われています.ひとつは1946年4月1日,もうひとつは1960年5月23日で,はじめの大津波ではヒロだけで96人,2回目には61人が死亡したそうです.その時計と記念碑が,一方が “tsunami” ,他方が “tidal wave” と呼ばれていることにちょっと興味をひかれませんか?
 
 「津波」のことを何十年か前までは英語で “tidal wave”,ある時期あたりから “tsunami” と呼ぶことが多くなった,とおぼろげながら理解していたのですが,この際英語の辞典ではどうなっているのだろうか,と手許にあるいくつかの辞典で調べてみました.
 
 まず最初に Shorter Oxford Dic.(SOD) から:1952年版(1944年第3版の重版)には “tsunami” の見出しはなく,“tidal” の見出し中の語釈のひとつとして “tidal wave:the high water wave caused by the movement of the tide; (erroneously) an exceptionally large ocean wave caused by an earthquake or other local commotion” とあり,これによればtidal wave を「津波」の意味に使うのは誤りとしています.(しかし「津波」を英語で何と言うのか,には触れていません.)
 
 SOD の第4版(1993)にはtsunamiが見出し語として出ていて,次のように説明されています:a long high undulation or series of undulations of the surface of the sea caused by an earthquake or similar underwater disturbance, traveling at great speed and in shallow waters often building up enough height and force to flood the land. Also called seismic sea-wave, tidal wave.
 
 その他,私の手許にある辞典だけを中心に話を進めますと,Concise Oxford Dic.(COD) の第4版(1951)にはtsunamiはなく,tidal wave だけがあり,1990年の第8版には入っています.Webster’s New World Dic.(College版) の初版(1953) にもtsunamiはなく,第3版(1988)は収録しています.主として学習者向けの辞典,例えばCOBUILD English Language Dic.の初版(1987)を見てみますと,そこには入っていませんが,私の手許の2003年版には入っています.
 
 その他の辞典では,tidal waveの語義のひとつとして,例えば American Heritage Dic. (AHD)の第4版(2000)や New Oxford Dic. of English (NODE)の第2版(2003) など “= tsunami” という扱いにしているものもありますが,多くの場合 nontechnical usage (or term)とかnot in technical useと断っています.例えば Webster’s New World College Dictionaryでは tidal wave を “nontechnical term for a tsunami or a similar wave caused by strong winds and not actually related to the tides” と説明しています.
 
 ところで,1950年代までは “tsunami” という日本語語源の語がどの英語辞典にも出ていなかったのが,その後1960年前後から1980年代の間どういうきっかけで見出し語として採録されるようになったのでしょうか.
 
 本格的に調べたわけでもないので恥ずかしいのですが個人的には,そのきっかけとなったのがハワイの大津波ではないか,と想像しています.とにかくハワイの津波のニュースがかなり広く世界に伝わり,そしてハワイに非常に多く在住していた日系人たち(ハワイの全人口の2割以上といわれています)が母国語である “tsunami” を日常語として頻繁に使ったことから,その語が英語の語彙中にしっかりと根を下ろしたのではないかと思っています.ちなみに雑誌 “The Economist” の今年3月19日号にこんなことが書いてありました. “That ‘tsunami’ is one of the few Japanese words in global use points to the country’s familiarity with natural disaster.”
 
 最後にTidal Wave MemorialとTsunami Clockに戻りましょう.前者はヒロの北西30数キロほどのところにありますが,その碑には1946年4月1日の津波で命を落とした主に中学生や先生たち24人の名前が刻まれています.一方,後者の時計も1946年の津波に襲われましたが,幸い壊れずにその後もきちんと動いていたようです.それが1960年5月23日,再び津波に襲われた午前1時4分に止まってしまい,その後そのままの時間で保存されて,津波で命を落とした人々への追悼のしるしとされている,と聞いています.
 
 
 
【プロフィール】舘林 信義(たてばやし・のぶよし)
上智大学文学部英文科卒.1953年,旺文社入社.在職中及び退職後も含め20年余辞典編集にかかわる.一方,日本LL教育センターの一員として小学生,中高生の英語教育にも微力を傾ける.辞書を引くのが趣味? +クイズ解き,ただしやさしいものに限る.
『オーレックス英和辞典』『オーレックス和英辞典』では,文型解説・校閲を担当.

「京のぶぶづけ」の言語学―語用論と社会言語学の接点― ――野村恵造

 京都では、訪問先のお宅を辞するときに、「まあ、ぶぶづけ(お茶漬け)でも一杯どうどす」と勧められても座り直してはいけない。単なるお愛想なのだから固辞するのが“お約束”。帰るそぶりを見せていないのに言われた場合は、帰宅を促す合図と心得るべし。その真意が察知できない者は、「やぼなお人やわ」と末代まで笑い物になる――。
 実際には、京都人である私自身、そんな場面に出くわしたことはなく、「ぶぶづけ」も死語に近いので、この習わしはもはや“都市伝説”と言えるかもしれない(少なくとも拙宅にお招きした時はそんな深読みはご無用)。しかし、そこまで極端でなくても、嫌味なまでの“持って回った言い方”はしばしば耳にしたし、東京に来て20年になるが、しばらく“東国(あずまのくに)”の直截的な物言いに違和感があったことも確かだ。

   * * *

 方言の“らしさ”は、特有の発音や語彙、文法だけでは説明がつかない。このような“言葉を用いた振る舞い”にも方言ごとの特徴があるからだ。英語の二大方言であるアメリカ英語とイギリス英語もまたしかり。旅行作家のビル・ブライソンが言うように“almost every Briton learns on his first day in America”(ほとんどのイギリス人がアメリカに足を下ろしたとたんに思い知る)のだが、なまじ英語を話す者同士という意識がある分、かえって始末が悪い。
 イギリス人はなかなか打ち解けようとせず(reserved)、感情の表出もストレートではないと言われる。控えめな表現(understatement)が発達し、お得意のユーモアも毒をオブラートに包むための方便と考えれば納得がいく。
 それに対して、アメリカ人は人なつっこくて(friendly)、回りくどいことも嫌いだ。異文化コミュニケーションの専門家パトリック・シュミットの見立てによると、“Americans are more direct than the British when it comes to expressing pleasure, giving compliments freely or revealing personal details to people they don’t know well.”(アメリカ人は、イギリス人と違って、喜びや賛辞を派手に表現するし、知らない相手にだって平気で個人情報を教える)。
 もちろんアメリカ人といっても一様ではないが、社会人類学者のケイト・フォックスがいう“brash American approach”(せっかちなアメリカ式接近法)はつとに知られている。初対面のアメリカ人に、満面の笑みで“Hi! I’m Bill from Iowa.”(やあ、オレ、アイオワから来たビル)などと言いながら握手を求められてたじろぐイギリス人を容易に想像することができる。

   * * *

 異なる方言の“言葉を用いた振る舞い”を比較した実証的な研究はまだ少ないが、英米差に関する調査を二つばかり紹介しておこう。
 It’s a nice day, isn’t it? やHe didn’t come, did he? などの付加疑問(tag-question)は、「……だ」と言い切らずに、相手に事実を確認したり同意を求めたりする形式だが、英語学者グンネル・トティらの研究によると、英では米のおよそ9倍の頻度で出現する。イギリス人が付加疑問を多用するのは、断定を避けて柔らかく表現することを好むためと考えられるが、他方、「少ないながらも米で付加疑問が用いられる場合、その半分が、確認を求めるというより、会話を仕向けるためのきっかけとしての用法だった(英では約3割)」という分析結果は、積極的に話しかけるアメリカ人的特徴の表れと解釈することができる。
 もう一つ。かつては単なる無駄話とされてきた“small talk”(親睦のためのちょっとした会話)は、近年、それらが果たす人間関係を築くための機能が見直されているが、語用論(pragmatics)学者のクラウス・シュナイダーが行った調査は、パーティーでの出会いの場面で行う若者の会話にも英米差が存在することを検証している。英では挨拶のやり取りから少しずつ段階を踏むが、最後まで互いの素性を明かさずじまいのことさえあるのに対して、米ではいきなり自分の名前を名乗り、そのことによって相手にも同じことを求めるパターンが多かった。つまり、英ではHi. ― Hi.、米ではHi. My name is Nick. (What’s yours?) ― (Hi.) I’m Kate. が典型的な会話の始め方だと言える。

   * * *

 これらの英米差は、語用論でいう“配慮(politeness)”の概念で、ある程度説明がつく。人は誰でも消極的に「縄張りを犯されたくない、邪魔されたくない」と思う一方で、積極的に「評価されたい、アプローチされたい」とも願う存在だが、どちらの欲求を尊重するかは文化によって異なり、前者に配慮するのが英、後者に配慮するのが米、ということになる。
 社会言語学者のデボラ・タネンは、「イギリス人はホントに失礼な国民だわ」と憤慨するアメリカ人観光客のエピソードを紹介している。彼女がカフェのボックス席でくつろいでいると、イギリス人が黙って向かいの席に座る、というようなことが度々あった。「アメリカだったら、Do you mind if I sit down?(座ってもいいですか)でも、Is anyone sitting here?(誰か座っていますか)でも、とにかく一声かけてから座るのに!」――。
 だが、イギリス人にも彼らなりの論理がある。相手の存在に気づいていることを示す(acknowledge)のがアメリカ流の配慮かもしれないが、イギリス人は、空席であることが明らかなのに、わざわざ確認の質問をすることによって返事を無理強いするほうが配慮に欠けると考える。表し方が違うだけで、どちらも相手に配慮しているのだが、そのアメリカ人は、自分たちのとは違った流儀がありうることに思いが至らなかったわけだ。
 戦後の日本の英語教育ではアメリカ英語が優先されている。学習者に目標として提示される“英語らしさ”は実質的に“アメリカ英語らしさ”であり、その中には、アメリカ英語に特徴的な発音や語彙、文法に加えて、“アメリカ英語らしい振る舞い”が暗黙のうちに含まれている。
 しかし、そもそも英語自体が、あまたある言語の一つでしかないが、アメリカ英語はさらにその中の一つの特殊な方言にすぎない。世界の英語の現状を考えると、英語を均質のものととらえ、学習のモデルとしてアメリカ人母語話者だけを想定する見方は、もはや時代錯誤だとさえ言えるが、日本の英語教育の現場では、“アメリカ英語的な振る舞い”を普遍的なコミュニケーションのスタイルと錯覚する危険性が常に潜んでいるように思える。

   * * *

 「リレー・エッセイ」向けの原稿とするにはいささか堅い内容になったが、私自身の関心分野である、人間関係に配慮した“言葉を用いた振る舞い”を研究する語用論と、地域、階級、民族性、ジェンダー、年齢などに対応する“言葉の変異”を扱う社会言語学(sociolinguistics)の交わるところを少し紹介させて頂いた。
 私も今では京都弁と共通語のほぼ完璧なバイリンガル(!)になったと自負しているが、しかし、それは発音や語彙どまりであって、“言葉を用いた振る舞い”は依然として京都人のままだ。語用論は自身のアイデンティティと分かち難いようだ。

*本稿は2010年6月15日付 The Daily Yomiuri 紙掲載の A Window on English (vol.14)を一部改稿したものです。

【プロフィール】野村 恵造(のむら・けいぞう)
『オーレックス英和辞典』『オーレックス和英辞典』『コアレックス英和辞典』編者。東京外国語大学大学院准教授。英語学(語用論、社会言語学)。
辞書や検定教科書などの編集を通じて、理論的な研究の成果を英語教育に還元する方法を模索している。
The Daily Yomiuri に“A Window on English” のコラムを連載中。

As same asの不思議――林 龍次郎

 
 
sameには定冠詞
 sameという英単語について述べてみたい。誰でも知っている単語だが、学生の書く英語を見ているとどうしても気になることがあるからである。
 sameという語の前にはほとんどと言っていいほど定冠詞theが伴う。このことが多くの学生の頭に入っていないのである。ときにtheの代わりにthisやthatが生じたり、口語の省略表現、たとえばレストランでの注文の場面で「私にも同じものを」の意味で “Same here.” や “Same for me, please.”と言ったりすることはある。しかしふつうは必ずthe sameだと思っておいて間違いない。ところが、日本人学生の多くは(おそらく)何も考えずにsameを定冠詞なしで用いているのである。
 

as same as?
 もっとも気になるのはas same as …という言い方である。これはもちろん正しい英語ではない。A is as same as B.とは言えず、正しいのはA is the same as B.である。しかし日本人学生の書く英語にはas same asがしばしば出現するのである。以前からこれがとても不思議であった。大学の同僚の教員もこのことを指摘していたので頻出するのは間違いないのだろう。“as … as ~”は言うまでもなく「~と同じぐらい…」という意味であるので「…」のところにsameを入れると「同じぐらい同じ」ということになって意味をなさないというのは明らかなはずである。as same asが英語のコーパスには現れることはないのか、信頼できるコーパスを検索してみたところ、アメリカ英語のCOCA (Corpus of Contemporary American English)には1例、イギリス英語のBNC (British National Corpus)には4例が見つかり、ゼロではなかった。とはいえ、これらは会話における崩れた言語使用の例である。(なお、検索エンジンのGoogleによってas same asをインターネット全体で検索してみると、実はこれが物凄い数ヒットするのである。ネット上の用例がいかに頼りにならないかがわかる。このような英語を書くのは日本人など非母語話者だけでなく、母語話者にもいるのかもしれない。)
 
 日本人の作文でas same asが生じるのは主に「…と同じように、…と同じぐらい」という副詞的用法の場合のようである。このようなときはin the same way as …のように言い換えると正しい英語になる場合が多い。「その子どもたちは大人と同じようにふるまう」ならばThe children behave in the same way as adults.である。そもそもsameにこだわらない方がよいのかもしれない。sameを使わずにjust as …, just like …, を使うか、場合によってはas well as …を用いるとうまく表現できる。「知識や技術と同じぐらい辛抱強さが必要になるだろう」はPatience will be needed as well as knowledge and skill.でよい。

sameにまつわる「伝統」
 さて、sameの語法に関して日本で伝統的によく教えられてきたことがある。This is the same watch that I lost last week.のように関係代名詞thatを用いたら「私が失ったのと同一の時計」という意味で、This is the same watch as I lost last week.のように関係代名詞asを用いたら「私が失ったのと同種の時計」という意味だというものである。しかし、このようなことはまったく事実に合っていない。asもthatも区別なく用いられるのである。『オーレックス英和辞典』では、sameのこの件に関して「意味が異なると言われるが、実際には区別なく用いられている」という語法注記をわざわざつけた。しかしこれは日本の教室での伝統を考慮してのことで、本来はこの注記自体蛇足に近いものであり、この場合のasとthatの違いなど初めから気にしなくてよいことなのである。このような実態に合わない「規則」を覚えてきた学生が今も存在して、sameにほとんどの場合theがつくという事実を知らないとしたら、誠に滑稽なことと言わざるを得ない。定冠詞theを前に伴うことは、辞書の表示としては((通例the ~))などと書かれるだけになるが、本当はこちらの方こそ注記にして目立たせるべきなのかもしれない。
 
 英語教師は文法・語法について、些細な部分と基本的で必須な部分との区別をよく意識し、バランスよく力をつけさせていくことが必要である。
 
 
 
【プロフィール】林 龍次郎(はやし りゅうじろう)
 聖心女子大学教授。専門は英語統語論、語彙論、意味論、語法研究。著書に『アルファ英文法』(研究社)など。
 『オーレックス英和辞典』編集委員。『コアレックス英和辞典』監修。

英語学習では第1ステージで
「コアとなる基本的語彙」を身につけよう ―花本 金吾

 
 語学マスターの過程でぼくは少なくとも2つの段階[ステージ]を考えておくのがよいのではないか、と思う。第1のステージは、特段に専門的でなく、ごく普通の程度の英文であれば、それほど苦労しなくても読み書きできるレベルを達成することである。具体的には、大学入試程度、英検でいえば準1級程度のレベルを目指すことである。このステージの最大の目標は、「コアとなる基本的語彙」力を身につけることである。
 
 しかしせっかくこのレベルに達しても、その後の英語との向き合い方によっては早くも下り道をたどり、やがては元の木阿弥、とまでは言わないにしても、とても使い物にならないレベルに下げてしまう人は多い。41年に及ぶぼくの大学教師としての体験では、大学入学時がいちばんよくて4年後の卒業時には英文がまったく読めなくなっている者も思いのほか多いのである。これは第2ステージの構築の仕方が悪いのである。この国際化の時代にあって英語ひとつくらいの外国語はますます切れ味の良い状態に高めていかなければ、青春時代の相当の時間と労力を使って第1ステージを構築した甲斐がない、といったくらいの気迫が欲しい。第2ステージの質を高めるには、第1ステージに引き続いて、どんどん英文に接し続けることである。英字新聞や雑誌類をはじめとする定期刊行物に広く目を通すほかに、自分の好みの分野について英文で読みあさる、英語のニュース放送や映画に耳を傾ける、Twitter, Facebookなどのsocial networksを利用して英文を書きまくる、といった行為を日常生活の一部にすることにより、あえて海外留学しなくてもいくらでも実力を高めることが出来る。最近は社内での英語使用を決めている会社が増えている。このことは、国際化の時代にあって競争に伍していくには、英語が必須であることを如実に示すものである。
 
 第1、第2ステージにかかわらず、基本となるのは「努力を持続させる」ことである。時には無味乾燥に思えることがあっても、明日に喜びの報酬があることを信じて日々の努力を積み重ねることである。何ごとを成し遂げるにもそれ相応の意志力が必要であるが、語学習得にもそのことはおおいに言いうる。
 
 様々な方がこの拙文を読んでくださるものと思う。第1ステージ構築中の方なら、まず「コアとなる基本的語彙」と「基礎的文法」をしっかりものにしてもらいたい。文法は文の構造さえ理解できればいいので、難しい理論や学説などは不必要であり、従来の、いわゆる学校文法で十分である。冒頭でも述べたが、努力の中心は語彙力をなるべく大きくすることに向ける。
 
 ぼくは独学で英語を学び、認定試験(かつては大学入学資格検定試験と呼ばれた)によって高校卒の資格を得たが、そのころ利用した旺文社初代社長赤尾好夫氏の名著『英単語・熟語の綜合的研究』は、その「コアとなる基本的語彙」をマスターさせてくれた思い出の一冊となった。語根・接頭辞・接尾辞、派生語、同意語、反意語といったものをフル活用し、いわば科学的に単語を関連付けることによって記憶を容易にすることを狙ったものであった。現在ではこの流れを汲むものは多いが、ボリュームの豊富さやソーンダイク分析に基づく使用頻度にまで踏み込んでいた点で、ぼくは今でも第一級品として推奨したい気持ちである。
 
 ペースの速い現代という時代には、当然のことながら新しい語や表現は枚挙にいとまがないほどに日々作り出されている。「コアの基本語」だけではどうにも太刀打ちはできない。どんどんと新しいものを読み、時代についていくことが必要である。われわれの辞書もその流れに取り残されないように、常に脱皮を繰り返したいと願っている。
 
 
 
【プロフィール】花本 金吾(はなもと きんご)
 早稲田大学名誉教授。専攻はアメリカ文学・アメリカ語法。旺文社の『全国大学入試正解・英語』の校閲のほかに『英熟語ターゲット1000・3訂版』『基礎英作文問題精講・改訂版』(いずれも旺文社)など著書多数。
 趣味は切手収集、旅行。アメリカ合衆国では48州の文学ゆかりの地を訪ね歩いた。
 『オーレックス英和辞典』編集委員、『オーレックス和英辞典』専門執筆。

英語と仕事と子どもと私(そして、父) ―狩野みき

 
 オーレックス和英辞典のお仕事をいただいたのは、もうすぐ8歳になる長女がまだ1歳半の時だった。3度のメシの次に仕事が好きな私は、娘が生まれたらバリバリと仕事復帰しようと思っていたのだが、体をこわしてしまい、養生のために家でしばらくおとなしくしていた。辞書の話をいただいたのは、そんな時だった。
 
 新しいタイプの和英辞典を作っているんです、生き生きとした用例を作って下さい、と言われた。願ってもない話だった。大好きな英語の仕事だし、日常生活を切り取ってきたような用例が望ましいということだし、何よりも、自宅で自分の好きな時間に仕事ができる、ということが嬉しかった。小さい子を持つワーキング・マザーは、子どもの急な発熱や保育園のお迎えなど、職場の人たちに「すみません」と頭を下げて仕事を途中で放り出さなければいけないことが少なからずある。そして、「仕事も子育ても中途半端」と自己嫌悪に陥ったりもするのだが、今回はそういう心配は不要なのだ。
 
 そうして、娘の世話をしながら用例を作る生活が始まった。「この子もいずれ親の手を離れていくでしょう」「最近忙しくて肌の手入れをしていません」などの「手」や「手入れ」の項にある用例は、私の当時の生活を文字通り「切り取った」ものだ。
 
 このような慣用的な日本語を自然な英語に変えるには、日本文をまず、日本語独特の表現・文化を引きずっていない「中間表現」に一度変換することが必要だ。その上で英訳し、出来上がった英文全体を眺めて、不自然な表現がないかどうかチェックして完成バージョンを作る(そして最終的には、校閲を経て辞書に掲載という運びになる)。
 
 例えば、「最近忙しくて肌の手入れをしていません」を英語にする場合は、まず「最近私は忙しいから、肌の面倒をみてあげていない」と変換する。この「中間表現」を作る時のポイントは、幼稚園児でもわかる日本語にすることだ。慣用表現や難しい単語をまだ理解できない子どもに話しかけることを想定すると、おのずと「日本語独特の表現・文化を引きずらない」日本語ができ上がる。
 
 さて、「最近私は忙しいから、肌の面倒をみてあげていない」を英訳すると I haven’t taken care of my skin because I’ve been busy lately.となるが、これをしばらく眺めていると、because以下が少々wordy(言葉数が多い)なことに気づく。そこで、too … to 〜(あまりに…なので〜できない)構文を使って、最終的に辞書に掲載された、I have been too busy to take care of my skin lately.とするのである。
 
 「この子もいずれ親の手を離れていくでしょう」は少々厄介だ。実は、英語にはoff our hands (手を離れて)というぴったりの表現があるのだが、この表現を知らない場合は、まず中間表現「この子もいつか、私たちがいなくても一人でやっていけるようになるでしょう」に変換しなければならない。これを英訳すると One day my daughter (あるいはson) will become able to get on without us. になるが、やはり少々wordyなので、become able to get on without usはbecome independent of usとし、One day she’ll become independent of us.を完成バージョンとする。
 
 ちなみに、「この子も」の「も」はtooとして訳すべきか悩むところだが、これは「ご多分にもれず」という意味で、比較対象が明確になっていないため、割愛した。また、「この子」という日本語は、親が愛情を込めて使うことの多い表現なので、若干よそよそしい響きのあるMy daughter (son) ではなくShe (He) を使った。
 
 こうして自分で納得のいく用例が頭の中で出来上がると、いそいそとコンピューターに打ち込んだ。しかし、いくら自分のペースで仕事ができても、悩みはあった。仕事が楽しければ楽しいほど、仕事なんかしないで子育てに専念すべきではないか、といつも迷っていた。
 
 仕事と子育てとの狭間で悩むと、思い出すのが父の言葉だ。 「うちの会社の課長や係長がね、『産休をとって復帰するって言ってもね、ブランクが2年3年になると、いくら有能な女性社員でも使いものにならないんですよ』ってこぼすんだ。だから、こう言ってやった。『女性は、出産と子育てというすばらしい経験を経て、ものの見方も考え方も、人間としても何倍も大きくなって帰ってくる。そういう女性の社会貢献度は計り知れないぞ。3年間ブランクがあったから現場では使えないって?じゃあ、3年間ハーバード大学にでも留学していたと思えばいい。もしかすると、本当に留学したよりも多くのことを学んで帰ってくるかもしれないのだから』」。
 
 もちろん、私のような者が仕事をしていられるのは、周囲の協力があってのことだ。でも、それとは別に、私はずっと、父のこの言葉に背中を押されてきたのだと思う。実際に現場でワーキング・マザーを部下として扱う課長さんたちにしてみれば、父の発言は単なるきれいごとに過ぎないのかもしれないけれど。
 
 果たして私がハーバード留学並みの貢献をオーレックス和英辞典にできたかは疑問である。ただ、昔に比べれば、母親になった私の「切り取り得る」日常にはわずかながら幅ができたことは確かだ。
 
 オーレックスでは、用例作りだけでなく、他の人が作った用例のチェックもさせていただいた。「そんな理屈は小さい子どもにはわからない」という用例に、「小さい子どもでも、理屈はちゃんと説明すればわかりますよ」などと偉そうにコメントしたりもした。少なくとも娘はそういう子どもだった。そして数年後、長男が生まれて、どんなに理屈を説明しても、やはりわかってくれない子どももいる、ということを日々実感している。
 
 
 
【プロフィール】狩野 みき(かの みき)
 慶應義塾大学大学院修了。英字新聞の記者を経て慶應義塾大学、聖心女子大学、ビジネスブレークスルー大学にて講師を務める。『女性の英会話 完全自習ブック』(アルク)『知られざる英会話のスキル20』『知られざる基本英単語のルール』(共にDHC)ほか、辞書・教材の執筆多数。ニンテンドーDS『スヌーピーといっしょにDSレッスン』(学研インデックス社)監修。日本最大級の無料英会話学習サイト「英語伝」にて、「つかえる英会話集」「女性の英会話劇場」を好評連載中の他、独自の英会話学習サイト「To Be」にて「正しい手順で話す英会話」を指南中。http://to-be.roundtable.jp/
 『オーレックス和英辞典』では、用例執筆・校閲を担当。

スパイになりそこねた少年 ―河野一郎

 

<(戦時中も購読していた中学生向け英語ニュース紙。週1回郵送されてきた。当時1部3銭。)見よ、爆撃機に印されたあざやかな日の丸マーク! あわれ、無残に吹き飛ぶ星条旗とユニオンジャック>

 幼い頃は一時、密偵、つまりスパイになりたかった。山中峯太郎作(『敵中横断三百里』を、『大東の鉄人』を、『見えない飛行機』をご存じだろうか?)の少年冒険物語に出てくる我らが《日東の健児》は、英語、ロシア語、中国語を地方訛りまでまねて自在にあやつり、満蒙の奥深くまで潜入し、祖国日本のため外国の重要な国家機密を手に入れてくる。もちろん2、30ページに一回は素性を怪しまれ、あわやという場面に遭遇するのだが、何せ度胸のすわった語学の天才ゆえ、無事に幾多の危難を乗り越える。後年、わたしが語学専門の大学に入学し、英語を専攻し、第2外国語にロシア語を選んだのも(英文学作品を翻訳し、プーシキンを原文で読みたかった―というのが表向きの理由だったが)、実はこの幼時の願望が熾(おき)になってくすぶっていたからに違いない(マサカね)。

 幼い愛読者がいちばんハラハラし、落胆に近いショックを味わったのは、某国国境の検問所で鋭い目つきの秘密警察に日本人ではないかと疑われ、「おい、靴を脱いで見せろ。足の親指と次の指のあいだに隙間があったら逮捕だ」と詰問される場面だった。日本人であれば、子どもの頃から下駄や草履をはいているから鼻緒の当たる足指のあいだが開いている、というのだ。もちろん、わたしは読みふけっていた『少年倶楽部』を伏せ、靴下を脱ぎ、自分の足指を何度となく眺め、そして落胆した。これではスパイになり、お国のために活躍することもできないではないか。わたしは親を恨んだ。その後十数年、敗戦国留学生としてアメリカ西海岸に上陸してみると、悔しや海岸ではだれもがゴムのzoriを[OLEX和英にはまだ入っていません、編集部の方、そのうち入れておいてください。Nap(p)a cabbage(白菜)などといっしょに]履いているではないか。なんだったんだ、あの心配は!

<愛国少年の夢を砕いた米軍投下のビラ。1945年8月10日頃、ひそかに拾い隠し持っていたもの。拾って所持していることを知られると厳しく罰せられた。今回初めて公開>

 スパイになりそこねた少年は、英語の教師になり、英米文学の翻訳を手掛け、OLEXの校閲にも参加した。電話口で(3分間くらい)応対し、短い文書のやり取りをする限りでは、nativeかと思わせる術(すべ)も身についた。だが何年か前、ニューヨークの日系企業関係者から聞いた話では、人事担当の電話窓口には耳のいい人物を雇っており、求人広告を見て問合わせてくる相手を即座にどの地方の出身で、何国系か、そして教養の度合いなども(まるで“My Fair Lady”のHiggins教授のように)一瞬のうちに察知し、「申しわけございません。その部署はつい先ほど決まってしまいました」と断るのだそうだ。もちろん雇用均等法などに引っかかるので、ここだけの話ですが、と念を押された。こういう担当者にかかれば、似非(えせ)スパイなどはたちまち見抜かれてしまうに違いないのだが、10歳の少年の考えはそこまで及ばなかった。

 留学生時代には、「おまえはやけに古臭い言い方をするね。She’s in the family way.だって? うちのおばあちゃんが使ってたかな。Where can I wash my hands? だなんて女々しいこと言うなよ。Where’s the john? でいいんだ。Will you show me the geography of the house? —なんだいそりゃ?」などなど、何度言われたことだろう。だがわたしはくじけなかった。どうせスパイになりそこねたんだ。おれは戦前派古式英語でゆくぞ。あげくに、あいつはおかしな古い言葉を使う面白いやつだと評判が立ち、おおぜいの友達ができ、デートの相手にも事欠かなかった。その後下駄を履かなくなったら、足指のあいだの隙間はいつの間にかなくなっていた。

 

【プロフィール】 河野 一郎(こうの いちろう)
 東京外国語大学英米語学科卒。大学在学中にフルブライト奨学生の前身「ガリオア留学生」として、カリフォルニア州立大学サンディエゴ校に留学。後に同大学客員教授。東京外国語大学およびフェリス女学院大学名誉教授。
 著書に『翻訳上達法』(講談社)、『誤訳をしないための翻訳英和辞典』(DHC)、『ねずたんとねこたん』〔創作童話〕(講談社)、翻訳書にカポーティ『遠い声 遠い部屋』(新潮社)、E.ブロンテ『嵐が丘』(中央公論社)、『ロレンス短編集』(岩波書店)、『英米童謡集』(岩波書店)など。『オーレックス英和辞典』では校閲ならびに「和英表現」欄を担当、『オーレックス和英辞典』では校閲委員。
 趣味はコトバと水泳。所属プールでは日本古式泳法を披露し、まわりの冷笑を買っている。かつて敵の城に忍び込む忍者が得意とした絶滅寸前の泳法である。

英語の先にある出会い ―笠貫葉子

 

 どんな人と出会い、どんな交流を叶えるかによって、人生の豊かさは大きく変わり得る――常々思うことですが、私は留学先のイギリスで生涯忘れられない二人の紳士と出会い、改めてその思いを強くしました。「イギリスにおける二人の父」とも言えるSamとMike。彼らのお陰で、憧れの国だったイギリスは故郷のような懐かしさを覚える国となったのです。

 今の時代、留学は随分身近なものとなり決して珍しいことではありませんが、それでも本人にとっては人生の中でも特に大きなチャレンジであることに変わりはないように思います。言葉や文化の違いはもとより、未知の環境に「外国人」として身を置く感覚などは実際に経験するまではなかなか分かりにくく、そこへ飛び込んで行くには少なからず勇気も必要です。私は「いつか留学したい」という思いはずっと抱いていたものの、その「いつか」がいよいよ現実として目前に迫った時、膨らむ希望と共に一抹の不安も感じていました。

 そんな不安は、留学先で出会う人達との交流を通して払拭されていくこととなります。私はロータリー財団国際親善奨学生として留学したため、現地のロータリー会員が一人、担当者としてお世話して下さることになっており、それがSamでした。渡英の日、夜のマンチェスター空港に降り立つと、私の名前を書いたプラカードを持ってSamが迎えてくれたのですが、会うのは初めてでも優しい人柄は一目で察せられ、安堵したことを今も鮮明に覚えています。滞在先の大学寮に着いた時には既に夜中でしたが、Samは翌朝の朝食に困らないようパンやミルクなどを前もって買い揃えてくれていました。助かったということ以上に、こちらの立場に立って何が必要かを考えてくれた心遣いが嬉しく、留学してすぐに心優しい人と出会えたことを幸せに思ったものです。その後、ご自宅にも度々招かれましたが、大学の寮に一人で滞在する身にとってSamの家で感じる「家庭ならではの安らぎ」は何よりのものでした。クリスマスのように家族の皆が集まって過ごす行事に招かれたことはもちろん、何気ない日常のひとこまを共有できたことも、とても嬉しかったのです。連れだって歩く親子のように、Samと一緒に犬の散歩をしたり近所に新聞を買いに行ったりしたことが、懐かしく思い出されます。

 一方、Mikeとは留学生のために開かれたパーティーで出会いました。彼も偶然ロータリー会員でしたが、Samよりも大学近くに住んでいたため、大学寮から駅までバスで数十分の道のりを車で送迎してくれたり、勉強に疲れた時にはお茶に招いてくれたり、ご近所だからこそできる日常的な手助けをしてくれました。とりわけ印象深いのは、日本から訪ねて来てくれた母が一週間ほど滞在した後に帰国した日のことです。その日、ロンドンの空港まで見送りに行って戻ってきた私を、Mikeは最寄りの駅まで迎えに来てくれましたが、それは車の方が便利だからというだけではありませんでした。母と離れて一人になった私の寂しさを察して、一度Mikeの家に寄り、共にひと時を過ごして寂しさを和らげてから寮に戻るよう、計らってくれたのです。異国で親と離れる時の気持ちを慮ってくれた心遣いに、涙が溢れた出来事でした。


<右がSam、左がMike。Samは190cmもの長身!>

 留学を終えて日本へ帰るという日、マンチェスター空港まで見送りに来てくれたSamとMikeとの別れは、どれほど惜しまれたことでしょう。ただ、別れを辛く思うと同時に、遠い異国で別れ難い人と出会えたことの幸せを、その時しみじみと感じました。彼らにしてみれば当り前のことをしていただけかもしれませんが、それは国や文化を越えて通じる優しさであり、それによってどんなに心温まる思いがしたか分かりません。異国を訪れた際には文化の違いだけではなく、人としての共通点に身をもって気づくことも貴重な経験になるように思います。異文化の中で戸惑うことがあったとしても、大切なところは共通していると分かっていれば、文化の違いを優劣つけることなく認めることも容易になるはずです。

 もっとも、「心」は同じであっても時として表現には違いがあると気づくことにも、大きな意味があります。この春、未曾有の震災に際してSamやMikeから届いたメールには、いずれも “Thoughts are with you.”とありました。定型表現とはいえ、離れていても心は共にいてくれるのだと感じられ、胸を打たれる一言でした。日本語では「お見舞い申し上げます」に相当しますが、英語の表現を直に受けとめることで、彼らの気持ちが真に伝わってきたのです。思えば、留学中には幾度となく彼らに御礼を言う機会がありましたが、そうした時に返される “My pleasure.”という一言が、私はとても好きでした。日本語の「どういたしまして」に表れる謙遜の気持ちとはまた違う、「(その厚意は)自分にとっても喜びですよ」という発想が素敵に思えたのです。このように言葉にはその言語圏の発想が反映されていることを思うと、意思疎通のためだけでなく英語圏の見方を感じ取る上でも、英語を学ぶ意義は大きいように思います。

 最近では、大学でもTOEICなどの試験対策を掲げた授業が増えていますが、試験は学習の目安として一つの「目標」にはなり得ても、「目的」になってしまうと英語が肝心の「人」から離れてしまう気がします。そこは学生が履き違えてしまうことのないように教員も注意を払う必要があるでしょう。教壇に立つ一人として、英語に関する知識を伝えるだけでなく、国を越えた出会いの可能性が広がる素晴らしさを伝えられるように、そしてそうした出会いに学生が夢を膨らませながら英語を学べるように、これからも努めていきたいと思っています。

 

【プロフィール】
笠貫 葉子(かさぬき ようこ)

日本大学准教授。専門は認知意味論、語用論。
東京大学大学院在学中、England北部にあるLancaster Universityに留学。
『オーレックス英和辞典』では中心義の執筆を担当。

Reading for Two Purposes  ―James M. Vardaman

 
   When I first came to Japan, I had very little knowledge of the country and even less knowledge of Japanese.  Spending 18 months in Japan was simply going to be an adventure, and I intended to see everything in Nara and Kyoto and experience various Japanese traditions.
 
   I quickly found myself enormously frustrated at having to depend on someone to translate for me and explain everything I saw.  That became an even more powerful motivation for studying the language.  I carried a small Japanese-English dictionary in my pocket, sewed a durable cover on it and used it to add to my meager vocabulary.
 
   But the dictionary I counted on only explained one word at a time.  It did not help explain phrases very well, and it did not tell me when to use words.  It was my constant companion, but it was not always dependable.
 
   One of the best gifts I received during those days was a Japanese-English taiyaku version of Kawabata Yasunari’s Izu no odoriko.  Among its merits were that there was a story to provide context for learning Japanese.  Further, it was one of the most well-known works of a great Japanese novelist.  Not only was I able to learn language, but I could also learn something about Japanese culture. But the really significant element was that it was possible to read one sentence or one paragraph at a time in Japanese, without a dictionary, and then read the English on the facing page.
 
   I stress “without a dictionary” because, as every language student knows, when you have to look up a word, your concentration momentarily stops.  By the time you find the word, you have lost the flow of what you are reading.  Because the taiyaku format allows you to understand the fundamental meaning without this break in concentration, I have become a strong advocate of that format—for learners of both languages.
 
   Fortunately, nowadays there is a wide selection to choose from.  Examples on bookstore shelves today include Okakura Tenshin’s The Book of Tea, Nitobe Inazo’s Bushido, as well as books on Japanese customs, celebrations, events, religions and history.  For the native English reader, these are great ways to learn about Japan while learning vocabulary in Japanese.
 
   In addition, I believe books in the taiyaku format can be a great resource for Japanese who are learning English.  You may learn something about Japanese culture that you did not already know, and you will discover how to explain it in English.  A reverse case is a volume like What Young Americans Know about History (Amerika no shogakusei ga manabu rekishi kyokasho).  Not only can you learn English by reading, but you simultaneously learn about American culture, which will prove invaluable in conversing with Americans.
 
   Dictionaries as fundamental tools are getting better at explaining context and illustrating usages, so we should not set them aside.  But the next time you are in a major bookstore, peruse the taiyaku section and you may find a book that fits your interest perfectly.
 
 
 
 
【プロフィール】ジェームス・M・バーダマン(James M. Vardaman)
米国テネシー州生まれ。早稲田大学文化構想学部教授。著書に『日本人がかならず間違える英語』(中経出版)、『英語で話す日本史』『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』(ジャパンブック)、『外国人によく聞かれる日本の宗教』(IBCパブリッシングより近日刊)等多数。『オーレックス和英辞典』では、英文校閲を担当。

英語と私 ―― その出会いから現在まで   ― 大場 智彦

 
「英語少年」時代

 東北、宮城の片田舎の中学で英語と初めて出会って、その面白さに魅了されて以来、私と英語との付き合いも40数年になりました。英語に関わることなら何でも知りたい、触れてみたいという好奇心旺盛な中学生だった私は、すでに「将来は英語の先生になる」という強い願望を持つまでになっていました。それには当然、英語への関心を掻き立ててくれる尊敬すべき英語の先生との出会いもきっかけになったのですが、亡父の影響も大きかったように思えます。父親は禅宗の寺院の僧侶で、日本史の高校教師という仕事も兼ねていました。戦時中はビルマ(現ミャンマー)でビルマ語の通訳と現地の日本語学校の教師という経験もしており、語学に関してはかなり理解があったのです。中学時代には父親にねだって、当時画期的な教材だった旺文社の「カセットLL」を買ってもらい、繰り返し聴いたものです。そして、父は英語を本気モードで勉強する次男の私に対して、「英語をやるなら東京の大学へ行け。カトリック系でもかまわないぞ」とまで言ってくれたのです。感謝、感謝です。
 
東京での学生時代

 東北の英語少年は「外国かぶれ」になる前に「東京かぶれ」でした。第一志望の上智大学に入学できて有頂天になった私は、東京で初めて経験するすべてに驚き、感激する毎日でした。日々東京に溶け込んでいく自分を誇らしく思ったものです。軽薄でしたね。肝心の勉強の方は、英語の達人揃いの同級生たちに圧倒されて、英語に対する自信がゆらぐこともありましたが、気軽に話しかけられる英米出身の先生たちと稚拙なりに英語で語り合い、英米文学、英文法、英会話、英語史、翻訳、政治・経済英語、商業英語などさまざまな講座を貪欲に受講することで、英語を多方面から見る視点を身につけることができたと思えます。好きだった歌を楽しむために所属したグリークラブ(男声合唱団)で、多くの英語の歌に触れることができたのも、英語に対する感性を磨く貴重な経験になりました。東京という土地、大学という学びの場は、東北の英語少年を大きく伸ばしてくれたのです。
 
英語教師になって

 運よく都立高の採用試験に合格し、最初に着任したのが定時制高校でした。学力的、経済的な事情をかかえている生徒たちに、私が受けてきた英語教育を基準にして授業をするのは当然無理なことでした。しかし授業中、生徒たちに前を向かせるために、何を言えば聞いてくれるか、英語の面白さをどう伝えればいいのかという判断のコツを身につけたのは、新米教師だったこの頃の経験が基礎になっているような気がします。こちらが若かったこともあり、生徒もよくついてきてくれました。悩んだことも多かったのですが、いい思い出です。以来約30年。多くの生徒が大学進学を目指す職場を4校経験しています。時代や地域によって、また英語の学習に対する生徒の考え方や意欲によって、生徒が授業に求めるものには差がありますね。経験の長い先生方は同感されるでしょうが、最近は「英語はできるようになりたいが、手早く簡単に」という意識が強いような気がします。いわゆる「カリスマ先生」の授業をただ座って受けていれば英語ができるようになる、という「魔法」のようなものを信じているのではないでしょうか。その魔法が本当に効くならば、学校の試験、模擬試験にも反映されるはずです。自ら学びたいという意欲を持って時間をかけなければ知識は身につかない、という原則は辛抱強く伝えていきたいものです。
 
今、実感していること

 最近、学校現場でも、「はったり」を用いた手法で生徒をわかった気にさせる傾向が強くはないでしょうか。理解させることと、理解した気にさせるということは全くの別物です。授業においては、生徒が教師の説明なしでは理解しにくい事柄を、丁寧に説明することに主眼を置くべきでしょう。そのためには、豊富な実例を入れた「引き出し」を数多く教師が備えていて、いつでもそれらを開けられることが大切です。その引き出しを増やすために、我々は常に英語に関する知識と情報を吸収していたいものです。生徒の疑問にいつでも答えられる、またはすぐに調べてあげられる、そのような現場の教師でありたいものです。私の場合は幸いなことに、30代から教材や辞書の編集に参加させていただく機会を得て、少しずつではありますがその引き出しを増やしています。生徒がつまずきそうな項目をどうすればうまく、簡略に説明できるかを常に意識する習慣は、日常の授業での説明や英作文の添削作業で活かされています。また、その授業や添削作業で積んだ経験が次の引き出しを作ることに役立っています。『オーレックス和英辞典』では主に「語法注記」を担当させていただきましたが、長年増やしてきた引き出しをうまく反映させることができたと自負しております。生徒の学習だけでなく、多くの先生方の「引き出し作り」のお役に立つことができれば幸いです。
 
 
【プロフィール】大場 智彦(おおば ともひこ)
東京都立青山高等学校・英語科教諭。著書に『大学入試英語リスニング対策・強化編』(旺文社)、『セレクト70英語構文』(文英堂)など。『オーレックス和英辞典』では、英語学習者がおかしがちな語法上の誤りを○×で示し、説明を付した「語法注記」欄を担当。
 
 
 
➥大場先生は、旺文社・大学受験パスナビと神田外語グループのコラボレーションサイト「英語のチカラ for Teachers」の『先生 熱血Voice!』コーナー(vol.5)でも、英語の指導法について熱く語っておられます。

日本人のようなアメリカ人、アメリカ人のような日本人
―山田暢彦

「私はアメリカのニュージャージー州で生まれ育ち、18歳のときに日本に帰ってきました。」

父の仕事の関係でアメリカに生まれた私は、18歳で日本の大学に入学するまでアメリカで育った。にもかかわらず、自己紹介をするときはいつも、「日本に帰ってきた」と話す。
アメリカで生まれ育ったのだから、「日本に来た」と言った方が表現としては正確なのに、なぜ「帰ってきた」という感覚なのだろうか? 自分でも不思議に思うことがある。同じ環境で育った兄弟は、日本に住むのは考えられないと言う。私はと言えば、日本に来て12年が経とうとしているが、特にアメリカに戻りたくなることはない。むしろ、年を追うごとに、自分の中の「日本人」に目覚めていく思いがしている。

たとえば、富士山を見て、嬉しいような誇らしいような気持ちになる。散っていく桜に寂しさを覚えながらも、その潔さに感心する。また、「縁」という見えないつながりを大切にする心や、思い通りにいかないことも「仕方ない」と受け入れる、身を委ねるような姿勢、「おかげさまで」などの表現に見られる、「生かされている」という感覚。こういった和の心が好きだ。
酒の席で、飲みかけのグラスに「まぁまぁ」とつがれると、何とも言えない温かい気持ちになる。欧米では「酒の強要」と取られかねないこの習慣も(一歩間違えれば、確かにその通りだが)、私にとっては、ウェットで人間くさい、ありがたいもてなしだ。
こういった日々のシーンの中で、日本との精神的つながりを確認するのである。

しかし一方で、私の人格のベースを形成しているのは長年のアメリカ生活だと言える。
ハンバーガーとピザとコーラは、私の食の嗜好にしっかりと組み込まれている。冬にコートを着ずに出かけることがあるし、雨が降っていても傘をささないこともある。ファッションには無頓着で面倒くさがりなのも事実だが、もっと根底には、Don’t sweat it!(いちいち心配するな)という、アメリカ仕込みの強気な態度があるように思う。
アルバイトをしながら英語教室を立ち上げた当初、ぎりぎりの生活に不安を覚えながらも、その不安を逆に楽しんでいたことを思い出す。ポジティブシンキングや、自由・独立への憧れ、道を切り開く苦労を楽しむ心は、アメリカ生活で自然と身についたものだろう。

こうして改めて振り返ると、自分でも「日本人」なのか「アメリカ人」なのかが、よく分からなくなってくる。a genuine Japanese who just happened to be born and raised in the U.S.(たまたまアメリカで生まれ育った生粋の日本人)のように思えるし、an American who has been totally captivated by Japan (完全に日本に魅了されたアメリカ人)のような気もしてくる。
かつてはこの中途半端なポジションに葛藤を感じ、すっきりしない気持ちがつきまとっていた時期もあった。
しかし、最早そのことで悩みはしない。結局、日本人かアメリカ人かは、関係ないのだ。それよりも、「日本人のようなアメリカ人、アメリカ人のような日本人」として育った自分を活かして、いかにこれから社会に対して、自分なりの貢献・還元がしていけるか。今はそれが、私のアイデンティティーになっている。

私が英語教育の世界に入ったのは、大学時代に友人に英語を教えたことがきっかけだった。難関校の大学入試を突破した友人が、いざ会話をするとなると、週末にしたことや自分の趣味など、ごく簡単なことさえもスムーズに話せないことにショックを受けた。その時に、私は日本の英語教育のために何かやれることがあるのではないかと感じた。そして、大学卒業後に、英語教室を立ち上げた。

教室の出発点は、「6年間英語を勉強しても多くの日本人が英語を話せないのは、なぜだろうか? どうすれば、話せるようになるのだろうか?」という疑問だった。私なりに辿りついた答えは、「中学英語」である。学校英語への批判もあるが、私は、日常会話、旅行、ビジネスなど、あらゆる英語の基本は中学英語だと信じている。中学英文法を使いこなせるようになれば、言いたいことはほとんど言えてしまうのだ。

日本の学生や社会人がこれから目指すべき英語は、決して、いわゆる「ネイティブの英語」ではないのではないかと思う。むしろ、留学やビジネスなどの実践の場面で必要なのは、中学レベルの基礎文法を上手に駆使して、「スピーディーに」「具体的に」そして「わかりやすく」話す能力であろう。
たとえば、Tell me about yourself.(あなた自身について話してください)と聞かれて、1分程度で、すばやく、論理的に話せるか。「『回転寿司』とは何?」「影響を受けた人物は誰?」「この事件についてどう思う?」などの問いに、具体性のあるまとまった文章で、シンプルに回答できるか。この力が大切なのであって、ネイティブのような気の利いた言い回しや小難しい表現、完璧な発音などは、二の次ではないか。
そのようなスキルの養成には、これまでの英語教育で決定的に足りなかった「発信」のトレーニングが不可欠だろう。日記、作文、会話、スピーチなどを通して、事実や意見を表現する訓練をしたり、効果的に伝えるための「語彙力(とりわけ、動詞)」「文体」「話し方」なども磨いていく必要がある。そのお手伝いをし、世界に通用する日本人英語スピーカーを一人でも多く育てることが、「日本人ネイティブ」としての私の役目であると考えている。

私は今回、オーレックス和英辞典において、用例の英訳という最高の貢献の機会をいただいた。「発信力」に焦点を当て、日本の英語教育を変えるという重要なテーマを掲げる本辞典に関わることができて、私は大変幸せである。このような活躍の場に巡り合えたことに心から感謝すると同時に、これからも、日本の英語教育のためにできることを一生懸命考えて、精進していきたいと思う。

【プロフィール】山田 暢彦(やまだ のぶひこ)
英語教室Beam International代表。著書に『山田暢彦先生の英語』『TOEICテスト本番攻略模試』(ともに学研)など多数。『オーレックス和英辞典』の用例英訳を担当。

B級英国案内 ― 川村晶彦

私と辞書との本格的な関わりが始まったのは、1999年秋からのエクセター大学留学の時で、以来、辞書とも英国ともなかなか切れない縁が続いています。初めて家庭を持ったのがエクセター、2度目の留学もバーミンガム大学。最初の子育てに追われたのはウォリック大学勤務の時でした。英国と聞いて思い浮かべるものは人それぞれだと思いますが、私にとっての英国は、カントリーサイド(田舎)の美しい風景と大聖堂、それからカレーに中華といったところでしょうか。なぜロンドンでなくカントリーサイドなのか? なぜローストビーフでなくカレーに中華なのか? 疑問に思われる方も多いと思いますが、それが私、というか我が家にとっての英国です。

 

ドライブせずして英国を語るなかれ カントリーサイドの魅力

 <ウスター州のマナーハウスで家族と>

バーミンガム滞在中は、ご縁があって、英国ドライブと辞書の大家である筑波大学の磐崎弘貞先生にしょっちゅうドライブに連れて行ってもらいました。「ロンドンなんか一度で十分。英国に来たならカントリーサイドを回らなきゃ」というのが磐崎先生の持論です。一度で十分というのは極端にしても、やはり英国に来たらカントリーサイドがオススメなのは間違いないと思います(興味のある方はぜひ先生の『ドライブすればイギリスの素顔が分かる』(亜紀書房)をご一読ください)。カントリーサイドを回るには、電車やコーチ(coach:英国の長距離バス)よりも車が断然便利、かつ安上がりです。さらに、英国は日本と同じ左側運転で、しかも高速は無料。こうなると、ドライブをしなければ何のために英国に来たのかわからないというものです。英国の田舎と言えばコッツウォルズが有名ですが、そのほかにも、町中からちょっと足を延ばすだけですばらしい風景に出会えるのが英国の魅力です。

ちなみに、レンタカーを借りるときには ‘I want to borrow a car.’ なんて言わないでくださいね。どうして? と思った方は『オーレックス英和辞典』のborrowの項目をご覧ください。

 

オススメは中華とカレー!― 英国の素顔の食事事情

英国はこと、食べ物に関しては悪評高いです。モームは「イングランドでうまい食事が食べたければ、朝、昼、晩とブレックファーストを食べればよい」と言っ ていますが(確かに、英国では1日中 breakfastを出すお店も多い)、英国を当てもなくドライブして食事に困ったら、中華かカレーのtakeaway(アメリカ英語のtakeout) を食べておけばまず間違いない、というのが、私の経験から得られた結論です。田舎の村や町であってもたいてい見つかりますし、味に関しても大きなはずれが ない。夜遅くでも食いっぱぐれる心配もありません。ちなみに、同じメニューでもtakeawayの方が安いのが普通です。早めの時間であれば、これまた英 国であればどこにでもあるパブで「パブめし」もいいですが、どこでも食事を出しているとは限らず、時間も限られている場合が多いのです。

 <パキスタンカレーのテイクアウェイ>

 

写真に撮るのは至難の業 リンカーン大聖堂

さて、我が家では、ドライブをして近くに大聖堂があると必ずそこを訪れるのですが、大聖堂は川村家にとってだけでなく、(当然ながら)英国人にとっても非常に重要なものです。少なくともかつては、大聖堂のない町(town)はどれだけ人口があろうとも、市(city)にはなれませんでした。町の中心できわめて自然に市民の憩いの場になっていることも多く、町中を散策中に「xx大聖堂へはどう行くんですか」と道を聞くと、実はすぐ目の前にそびえていたりして恥ずかしい思いをすることがよくあります。さらに、そういう大聖堂の場合、写真を撮ろうとしても周りが建物ばかりだと後ろに下がれず、よほどの広角レンズでないと全体を収められないのがつらいところです。広角を使い、かつ十分後ろに下がれた場合でも、今度は周りの建物まで入ってしまう。ただし、大聖堂マニアとして一言言わせてもらうと、「こんな町中にこんなでかい建物が!」という驚きがまたよいのです。私の独断と偏見ですが、その意味でのNo.1はリンカーン大聖堂です。

 <リンカーン大聖堂は遠くからでなければ撮影は困難>

 <エクセター大聖堂周辺でくつろぐ人々>

 

ゆとりの時間 エクセター大聖堂とクリームティー

憩いの場としてのNo.1はエクセター大聖堂です。天気の良い日には、大聖堂を囲む芝生の広場に若者から老人までがのんびりひなたぼっこしているのをよく見かけます。私たち夫婦も新婚の頃は買い物帰りにぼおっと空を見ながら時間を過ごしたりしました。そしてクリームティー(cream tea:クリームとジャムを添えたスコーンと一緒に楽しむティー)を楽しんだものです。エクセター市のあるデヴォン州はスコーンにつきもののクロテッドクリーム(clotted cream)発祥の地で、大聖堂前のティールームHansonsは、クロテッドクリームをふんだんに使ったクリームティーで有名です。ただし、中までぎっしり詰まったスコーンが1人前で2個というのは日本人、特に女性には少し重いので、日本から留学中の女の子たちの間では少し歩いたエグゼ川沿いのRoger’s Tea Room(こちらは1人前スコーン1個)が人気でした。

ちなみに、少し前の英和辞典にはクリームティーのことを「クリームを入れたお茶」と説明しているものも結構あったので、日本から辞書関係者が来るたびにわざとらしくHansonsに連れて行ったりしました。辞書を執筆しているとはいっても、こういう事物に関するものはやはり実際に経験してみないとわからないことが多いものです。クリームティーに関してはいいところを見せられましたが、自分も教えられることが多く、やはり一生勉強なのだなと反省することがしょっちゅうあります。

 <これが 「クリームティー」>

英国内でも、南西部以外ではあまりお目にかかることのなかったクロテッドクリーム。バーミンガムやコベントリーから食べに行ったこともありました。最近は勤務先そばの成城石井でも買えるので、世界は狭くなったものだと感心すると同時に時の流れも実感します。

 

【プロフィール】 川村 晶彦 (かわむら あきひこ)

成城大学社会イノベーション学部准教授。専門は語用論と辞書学。『オーレックス英和辞典』では語用論、コミュニケーション情報の執筆を担当。

My hobby ― 内田 諭

2010年11月29日|執筆者リレーエッセイ

 英語のhobbyと日本語の「趣味」は少し意味合いが異なる。hobbyは「何かをつくったり、研究したりする能動的な意味合いの強い語」(『オーレックス英和辞典』)であり、「趣味は何ですか」と聞かれて、「映画を見ることです」と答えることは全く問題ないが、“What are your hobbies?”(または“Do you have any hobbies?”)と聞かれて、“My hobby is watching movies.”と答えるのは違和感があるだろう。映画を見たり、読書をしたりすることは、hobbyではなくpastime(気晴らし)である。

 最近、hobbyと呼べそうなものができた。いや、厳密には復活したというべきかもしれない。それは学生時代に打ち込んだ弓道である。高校生のころは、「文武両道」が自らに課した目標だったが、勉強をそっちのけにして弓道に没頭した。夜遅くまで道場にいて先生に見つかり、謹慎を食らったこともあった(その甲斐もあって(?)、団体戦でインターハイに行ったことを付記せねばなるまい。補欠だったが)。大学でも続けたのは自然な流れだった。卒業後、大学院に「入院」して以来、時間がなくなりしばらく離れていたが、最近またよく弓を引くようになった。弓を引くことは単純であるがゆえに奥が深い。的と対峙する時間は静かで一切のことを忘れさせてくれる。放った矢には思考(試行)の結果が如実に表れ、未熟な部分が露になる。それを反省し、次射に生かすということを繰り返す。研鑽の結果が射技としてまた的中として現れるのである。今ふたたび弓を引いていると、自分の原点はここにある、そんな気持ちにさえなる。

 なぜ再び弓を手にすることになったのか、その話をしよう。今年の1月~3月にカリフォルニア大学のバークレー校に客員研究員として派遣される機会を得た。出国の前夜、ふと「アメリカにも弓道場はあるのかな」と思い、Berkeley, Kyudoで検索した。すると、Seishinkan(清心館)という道場がキャンパスのすぐ近くにあるではないか。これはと思い、渡米後すぐにアメリカ人のオーナーに連絡を取った。返信メールの内容によると、実際の射場ではなく、巻き藁(練習用に近距離で打つ藁のこと)しかないが、よければ一緒に練習しないかと誘ってくれた。日曜日に練習しているということだったので、週末に早速訪問することにした。弓道のことを英語で話す必要があるだろうと容易に想像できたので、事前に自分の弓歴や流派について話せる準備をしておいた。

 カリフォルニアは雨季だったので、想像していたよりもずっと雨が多かったが、初めて道場に行った日は曇天ながら幸い雨は降っていなかった。期待に胸を膨らませ、ドアをたたく。そこは大きな倉庫に巻き藁がいくつも並べられた小さな日本だった。「こんにちは」と非常に流暢な日本語であいさつをされたので、helloではなく、私も「こんにちは」と返した。その後の会話はすべて日本語だった。後から考えれば道場主は日本通であるはずで、日本語が堪能であることは想像に難くない(実際は堪能どころか日英翻訳の仕事をしているプロだった!)。事前の英語の準備は幸い(?)徒労に終わった。

弓道場 同じ趣味を持つもの同士は国境を越えても打ち解けるのが早い。道場主の弓道に対する熱い気持ちを聞いていると、私の中で眠っていたものが目を覚ました。またじっくり弓を引きたい、そんな気持ちが心の底からわいてきて、この道場には雨の日も風の日も毎週通い続けることとなった。まさか、アメリカでこうなるとは全く思いもしなかった(おかげで高校の同期には弓道留学と揶揄された!)。しかし、ここで得たものは弓術のことだけではない。道場にはアメリカ人も通っているので、弓道の指導はすべて英語で行われる。大学時代の弓道部には留学生もいたのだが、あの時こう説明すればよかったのか、という目から鱗の表現を多く学んだ。また、道場に通う地元の人にはいろいろと街を案内してもらい、普通の観光客が行かないようなところ(off the beaten track)にも行くことができた。

 海外に長期滞在するようなことがあれば、まずは趣味から人脈を広げてみるのが一番早いだろう。自分の趣味に関する話は、ある程度英語で話せるようにしておくとよい。即興で話すのは難しいこともあるので、あらかじめ「ネタ」を仕込んでおく(これは英会話一般にもいえることで、自分の得意なテーマのストックを持っておくと、会話が続く)。また、日本の文化については質問されることが多いので、説明できるように準備しておくとよい。たとえば、「弓道」を辞書で引くと、たいていJapanese archeryとかかれているが、『オーレックス和英辞典』に(◆説明訳)と記載されているように、単に説明的に英語にしたものであって、Japanese archeryなる概念が英語にあるわけではない。アーチェリーと違って、補助器具を使わず弓と弦だけで矢を飛ばすこと、得点制ではなく的に当たったか否かで勝負が決まること、的との距離は28メートルであること、など、私のように徒労になるかもしれないが(!)準備しておくに越したことはない。また、写真が一枚あれば説明がずっと楽になるので持ち歩くのもよいだろう。

hobbyは人をつなぎ、文化をつなぐ。“Do you have any hobbies?”と聞かれたら、「何か」だけではなく内容やきっかけなどを詳しく説明できるように準備しておきたい。

2002年全日本学生弓道選手権大会(於名古屋)【プロフィール】 内田 諭 (うちだ さとる)
東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。現在、東京外国語大学特任講師。専門は認知意味論・辞書学。『オーレックス英和辞典』ではNAVI表現を担当。

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