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英語のオシゴトと私 第12回 ―浅野享三
ゴーホン!といえばのど飴,ではなく・・・

2020年2月17日|英語のオシゴトと私

 敬愛する東京の前田隆子先生からバトンを受けました。かつて陸上競技部で短距離を走っていましたので,円滑なバトンの受け渡しがレースを左右することは承知です。バトンを落とさぬように,まずは隆子先生と同様に私もNHKラジオ英語講座から始めます。私が中学生の頃は,誰にでもできる学習方法はラジオ講座だけでした。ある時,勉強がよくできる同級生のノザワ君が,その秘訣を「ラジオ講座」と教えてくれました。振り返ると不思議です。あのイガグリ頭の子との会話がなければ,ラジオ講座との出合いはなかったからです。
 お世話になったのは「続・基礎英語」の安田一郎先生とマックス・E・ラッシュ先生でした。放送の聴き取り問題で Max E. Lash or Rash と尋ねられたので記憶があります。“Hello, everybody! Let’s begin our English lesson.” で始まりました。everybody の発音がやや英国風だったなと,後に気がつきました。私のラジオ講座熱はその後も長く続き,松本亨先生の「英語会話」に心酔し,フランス語は朝倉季雄先生や丸山圭三郎先生のご担当でした。そしてスペイン語とロシア語もかじり,今でも発音の基礎は身に付いています。

 ところでその後,心理学の授業で動機付けには intrinsic と extrinsic の両面があることを学びました。外国語学習に関する限り,私のはほぼ完全な intrinsic motivation による自己決定の成果です。現在大学で担当する英語科指導法の授業では『どちらの動機付けも必要で,時に外発的な方が「好結果」が期待できることがある』などと論じています。しかし,現在の英語教育の課題の1つは,学習者自身が心から「英語が知りたい,読みたい,話したい」と思わされる原体験の無さに起因するのではないか,と思っています。
 何故それほどまでに私は,英語が知りたい,読みたい,話したいと切望したのか。中・高時代を振り返ると,生家が八百屋だったからだと確信します。若い世代の方は「八百屋」を知らないはずですが,親の営んでいた八百屋は,果物,野菜,鮮魚を含めた生鮮食料品など,食べられるものはほぼ全て取り扱う地域の繁盛店でした。私は子どもの頃,ダイコンやキャベツに囲まれて暮らしていたので,英語学習とは無縁のはずでした。しかし,買い物に来た外国人が,私を英語という異文化に導くきっかけを作りました。

 小学生時分の記憶では,名古屋にはまだ駐在外国人キャンプが街中にあり,父母はその近くに店を構えていました。時々お手伝いさんのような日本人女性が来店し,注文だけして帰っていく仕組みだったようです。ある日父に「配達を手伝え」と言われてついて行くと,そこで目にしたのは,白いフェンスに,濃い緑の芝生,そして水をたたえた真っ青のプールでした。中には大人の背丈より高いくらいの冷蔵庫があり,その前に父が届け物を置きました。生家の周辺からは想像すらできない異次元空間に,ただただ興奮するばかりでした。
 中2の夏の夕方,階上にいた私に,母が「外人が来て,何か言っとる!分からん。聞いてくれ」と叫びました。店に降りて行くと,1人で買い物に来た大柄な白人女性が「ゴーホン,ゴーホン」と繰り返していました。見せられたメモには “Gohon”とあったものの,理解できないままでした。すると買い物中だった近所の大学生のショーちゃんが,いきなり「ゼアリズノー」と言ったら,その女性は「オー」と発して帰っていったのです。ショーちゃんに聞くと,「ゴハンのことと思った」と打ち明けてくれました。
 Gohon からゴハンと推測したショーちゃんはさすがに優秀な大学生でした。単語の意味が不明でも,食料品を扱う店という文脈から推測することは可能でしたから。その時は ゼアリズが There is の発音だったことを気に留めなかった私ですが,教師になって,それが英国英語風の発音だったと気づきました。当時はまだ英国風が目立つ時代でした。また,正にこの瞬間こそ,私が初めて生きた英語による interaction に遭遇した瞬間でもありました。わずか3音節だけの,日本語ではない音声が人を動かすことを経験しました。

 50年前を振り返るとその瞬間こそが,この道に進んだ自分の中のビッグバンの始まりでした。本屋でテキストを買い,めくっても読めない英語にワクワクしました。安田先生のおかげで自己流発音が改善し,LとRの違いを克服し,east と yeast の違いも得意になりました。松本先生と講師のやり取りを細大漏らさずに聴き,“Other wives may have other secrets. But mine is, I look my best before him, and let him think that I am the best cook in the whole world.”などと,夫婦円満の秘訣を一度の放送で長期記憶に留めてしまうほどでした。
 親や先生から言われたわけでも,入試のためでもなく,ただ聴きたいから聴き続けました。高校の実力テストで学年トップの成績だと知っても,大して感動もなく「へえー」と内心で喜んだ程度でした。時が流れてやがて親になり,ラジオ講座をわが子に試しました。しかし長女は3年間,次女は2年間で挫折し,長男はテキストを購入しただけでした。結果,内発的な動機付けなど軽々に期待できないと実感するに至りました。外国語に好奇心を持たせてくれた神様に感謝です。

【プロフィール】浅野 享三(あさの けいぞう)
「けい」の漢字を口頭で伝えるのに苦労する。享保の改革,はまず理解されない。享受か享楽の「きょう」で,理解度約50%。イライラするので享年の「きょう」と言い換えても,100%は無理。「享」の字を英語で説明するときはenjoyと同じ意味,としている。「享年」とは人生をenjoyし終えた年のことか,と納得の向き多し。
南山国際高校・中学教諭・南山短期大学講師を経て,現南山大学外国語学部教授。愛知県出身。

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