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英語のオシゴトと私 第3回 ―山口美知代
サンドイッチの注文ができないとき

2018年9月25日|英語のオシゴトと私

 外国の店で食べ物を買おうとして、英語が聞き取れない、通じないという経験をした人は多いだろう。私もニューヨークのサンドイッチ店サブウェイで、尋ねられていることが聞き取れなくて何度も聞き返した。初めて海外に行った学生時代のことではない、つい一昨年のことである。「チーズ?」と聞かれているのだと最後にはわかったが、cheeseという簡単な単語が聞き取れなかったことに我ながら呆れた。特に癖のある発音だったわけではない。「ティー?」と聞こえて混乱したのだ。教壇に立つようになって二十余年。この期に及んでまだこういうことがあるのかと思った。やはり何事もシステムが理解できていないと聞き取れない、単語がわかっていてもだめ、などとその後もいろいろ考えた。折に触れ授業で言及してしまうような、自分としてはなかなか衝撃的な出来事だった。
 店頭でサンドイッチの注文ができなくて困る場面といえば、映画『マダム・イン・ニューヨーク』(2012)である。インド西部の都市プネーに住む主婦のシャシは英語が話せない。私立学校で英語による教育を受けている娘は、英語のできない母が保護者会に来ることを恥ずかしく思い、ビジネスマンの父に来てくれるように頼む。連邦公用語がヒンディー語、準公用語が英語であるインドにおいて、都市部のミドルクラスの家庭であっても、やはり英語が苦手な主婦もいるのだと、観客は引き込まれる。
 そんなシャシがニューヨークに住む姪の結婚式の準備を手伝うために、家族より前に単身渡米することになる。そして、昼食を買おうとしたマンハッタンの店で、店員に事細かに注文内容を尋ねられ、聞き取れず、話せずに立ち往生する。今年の2月、54歳で急逝したインドの人気女優シュリデヴィが、困ったように細かく首を振る仕草と、苛立ちを見せる女性店員の非協力的な様子が印象的な場面である。
 “What kind of filling do you want inside? Do you want cheese, tomatoes, lettuce?” “Huh?” “Lady, do you see, you’re holding up my line. This is not rocket science.”(字幕「中身はどうする? チーズ、トマト、レタス?」「え?」「ちょっと、後ろで人が待ってるの。簡単なことでしょ」)などと早口の英語にシャシが追い詰められていく様子には、何度見ても涙ぐみそうになる。
 この場面を大学の授業で見せて、感想を英語で書いてもらうことがある。総じて、英語非母語話者としての共感を綴る学生が多い。母語であれば簡単にできるやりとりが、外国語であるというだけで、聞き取れない、理解できない、恥をかく。こうした場面を見て、そこで直面する困惑と恥ずかしさ、そして英語が苦手な相手に向かってわかりやすく話そうともしない店員への怒りなどを覚えるのである。
 ところで、この夏、勤務する大学の提携校である中国の外国語大学で集中講義を行った。日本語学部大学院修士課程の2年生25名を対象に、日本人の英語に対する言語態度、英語を話す日本人の表象について日本語で話した。そのときに『マダム・イン・ニューヨーク』のこの場面も見てもらったのだが、そのあとの日本語作文を見て驚いた。「スマホの翻訳機能を使って対応すればいい」「スマホの辞書で調べて店員に見せればいい」「事前に食べ物、飲み物の英語表現を調べておくべき」という、問題解決型の内容が多かったのである。自分も英語や日本語を話すときに同じような経験をした、シャシが可哀そう、店員の態度はひどい、という感想もあったが、少数派だった。
 これだけのことで一般化はできないが、どうも日本の大学生の方が、英語が聞き取れない、話せないシャシへの感情移入の度合いが高いようである。英語が苦手ということをわが身に引き付けて受け止める傾向が強いともいえよう。私もその例に漏れない。そして、国をあげてのスピーキング力向上の掛け声が高まる昨今の入試改革についても、思いを巡らさずにはいられない。

山口先生

【プロフィール】山口 美知代(やまぐち・みちよ)
京都府立大学教授。専門は英語学・英語学史。『世界の英語を映画で学ぶ』(松柏社)、『英語の改良を夢みたイギリス人たち―綴り字改革運動史1834-1975』(開拓社)ほか。

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