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英語のオシゴトと私 第22回―ファーみちわ
英語(のお仕事)と私

2021年9月14日|英語のオシゴトと私

 私の英語のお仕事は高校の英語教員だけれど、そこから始めた話は、いつのまにか「学校の仕事」に変わって、つい愚痴になり、かといって、前向きさを加味しようとするとまるっきり担任のHRトークになってしまう。職業病かな。直接は見知らない人々に向けて、たぶんかなり私的になってしまう文章を書くのは難しいなぁと今さら後悔しつつ、「英語と私」の雑な話を連ねてみる。

 アメリカ出身の夫と暮らしていると、「家では英語? ペラペラね」などと言われることがあるが、夫婦の会話なんて、日々の生活の決まったパタンばかりだから、一緒に暮らしているだけで「ペラペラ」には決してならない。強いて言えば、母語じゃなくてもめげずに口論できる度胸がついたくらいだろう。

 それでも、一度は離れた教職に戻ってみようと思えたり、以来かれこれ十数年、「英語の仕事」へのモティベーションをそこそこ維持できているのは、この少々ユルい「英語の生活」のおかげだと思う。

 もともとホームステイ経験もなく、根はシャイだからすれ違う外国人とお友達になるようなこともできず、特に英文学好きでもなかった私は、自分の生徒・学生時代の英語の「学習経験」を元にした授業を一通りやってみてしまうと、次に授業をブラッシュアップするための、自分自身の新しい英語経験を追加できなくて、困ってしまった。

 ところが、思いがけず日常に「英語をつかう生活」をするようになって、「ああ、こういう語彙こそ必要だぁ」とか、「あの構文、ほんとに使うんだ」とか。再び学習者目線で、英語に新鮮な発見ができるようになった。

 そして、オットはネイティブなのに、ときどきスペルがアヤシかったり、自分の親しんだ英語以外の訛りはさっぱり聞き取れなかったりするし、私は漢字の成り立ちを聞かれるたびに、イライラしながら漢和辞典を開いたりして、言語がらみの失敗や笑い話をそれぞれ更新している。そのたびに、母語でも外国語でも言語習得の道は常に厳しいのだ、と生徒のヘタる気持ちや、わかりたい気持ちに共感している。

 さらに、単語の意味も文法構成もわかるのに、その現場や背景知識がないと結局チンプンカンプンだということも、エンジニアのオットのために、何かの装置のマニュアルを訳したりするときに、多大なストレスを伴って実感する。逆に、お互いに意思伝達ツールとしての言語がおぼつかなくても、話題にしたい世界に精通していれば、片言と身振りで必要なことを理解し合えるし、なんならココロも通じてしまう場面も、オットと日本人技師さんたちとのやりとりのなかで目撃してきた。雑学とか教養とかの面白みや、人とつながるココロみたいなものを、どうやって生徒に伝えたらいいのか、いつまでたっても手探りだ。

 とかなんとか。つまり、「言語で伝わる、つながる」経験を自分でもできるようになって、「英語の仕事」のモティベーション補給になっているという話。だったら最初の職場でもできたのでは、と反省するけど、仕事に直結する研修や勉強会とはちがう、仕事を離れたインプットが、カリカリしないモティべーションに繋がるのかなと思う。

 こんなふうに書きながら、実は最近、「英語の仕事」がそのまま「英語の生活」になりそうだな、という気配も、何かと過渡期の学校現場に漂っていることに気がついた。タブレットで一瞬で集められる生徒のリアクションには、一人を指名して得られるものとは別ものの発見があるし、興味深いアクティビティや探究タイプのプログラムを提供してくれそうな団体からは毎日のようにセミナー案内が届く。一人の授業でできることではないし、足元を確かめながら歩を進めたい、とワクワクとビクビクが入り混じる今日この頃だが、こんな刺激が、そのまま仕事のモティベーションになることは素直に認めたい。

 もちろん、我が家の英語の生活と平和はこれからも大切にしようと改めて思う。

 今回、図らずも身のまわりをふり返って、つたない文章を書くことになったけれど、そういえば、このバトンを渡してくださった文教大学の渡辺先生とは「ふり返り」の研究がきっかけだった。いろんなご縁に、改めて感謝して…。

 

【プロフィール】ファー みちわ(Fir Michiwa)

大学卒業後、民間企業勤めを経て、名古屋の私立高校へ。離職後、長野に移り、公立高校3校目に勤務中。

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