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英語のオシゴトと私 第7回 ―今井康人
英語教育と生きる―学びは人生を変える―

2019年6月5日|英語のオシゴトと私

 尊敬する島原先生からエッセイを書かないかというお誘いをいただいた。お題は「英語のオシゴトと私」である。元々、執筆が嫌いではないので、すぐに興味を感じたが、そこはいい大人である。一呼吸おいて、少し落ち着いて考えた。もちろん、その程度で断る理由もなく、承諾のメールを送らせていただいたことから現在に至っている。

 僕は京都(烏丸)に住んでいる。長いこと北海道で英語教員をしてきたが、縁あって、京都と大阪の生徒を中心に英語を教えさせてもらっている。そもそも僕が英語教員になると決めたのは、中学校で出会った故・倉田秀夫先生の情熱的なご指導に触れてのことである。倉田先生が教える生徒たちはなぜか皆、優秀な成績を残した。先生はもともと田舎の小さな分校のような学校で教えていたが、そこから優秀な生徒が何人も輩出し、大きな学校に転勤された先生であった。当時の僕は英語が好きで、一生懸命に勉強していた。僕が中学2年生になったとき、その学校の倉田先生のクラスになり、ますます喜んで英語の授業を受けていた。当時、先生は音読を授業の中心においていた。教科書の英文を何度も何度も繰り返し音読した。英語はいつしか得意教科となり、将来、英語教員になるという夢を僕に与えてくれた。大学も外国語学部英語学科に入り、英語教員になるという目標を胸に、学生生活を送っていた。
 大学4年の時、ある財団主催の留学試験を受けた。1年間の留学費用が全額無料になるという制度で僕は最終審査に残った。2年越しの挑戦であった。合格までもう一歩のところまできていた。ここで留学が決まれば、人生が変わると思っていた。かなり力が入っていたことは間違いない。そこで僕は、英語の質疑応答で宗教的な話題になったとき、キリスト教について詳しくもないのに熱弁をふるった。熱心な信者でもない僕が話した内容は極めて薄く、信ぴょう性のないものとなり、面接官の方々の苦々しげな表情は今でも忘れられない。結果はもちろん、不合格。このショックは大きかった。自分を良く見せようとしたことが失敗の原因だった。面接の受け方をここで思い知ったのだ。この苦い経験が、その後、教員採用試験で逆に力となった。そして今も生徒の面接指導に生きている。
 今年、教え子の一人が東京大学理科一類工学部に推薦入試で合格した。面接練習も行った。「自分を良く見せようとするから緊張する。今の自分を正直にそして正確に見てもらうことが面接では重要」と指導している。
 大学卒業と同時に教員として採用され、以来、高校で英語を教えてきた。教科書執筆の機会もいただき、新しい指導方法を研究開発し、幸運にも本や問題集も執筆している。現在、教え子たちは大きく羽ばたいている。高校3年間で、共に英語を学んだ生徒たちの活躍が何より嬉しい。2年間浪人していた教え子が、推薦書を依頼してきた。もちろん全力で書いた。センター試験が終わり、教え子から合格したとの連絡が来た。合格先は、奈良県立医科大学医学部であった。彼の医者になる夢が現実となった。受験は厳しいが、乗り越えれば人生は変わる。逃げずに挑戦する者に夢の実現は訪れる。

 英語学習に近道はないが、王道はある。基礎(語彙と文法)を充実させ、理解し、内在化し、発信することが言語習得を促す。活動は、Q&Aが軸となるだろう。summaryやopinionを自分で作成できるようになることが重要だ。その方法を学び、実行できるようにすることが何より大切なのだ。英語は音と文字が意味を示す。この音、文字、意味の認知を進め、表現できるようにする力を鍛えるべきである。最終的に、堂々とdiscussionできる人材になってほしい。
 英語は言語、つまり人の思いを乗せて伝えるものだ。分かり合える瞬間に感動がある。学びには人生を変える喜びがある。「英語のオシゴト」は今まさに僕の生きがいとなっている。深謝。

【プロフィール】今井 康人(いまい・やすひと)
立命館中学校・高等学校(京都)教諭(マイスター・ティーチャー)。高等学校で教鞭をとって37年目。2014年に新英作文指導法を研究開発し、その指導法は全国に広がっている。英語教育セミナーを全国で行い、さらに英語教育今井塾(英語教員対象)を展開し、後輩の育成に尽力している。著書に『英語を自動化するトレーニング』(アルク)、『ゼスター総合英語』(Z会出版)、『英語力が飛躍するレッスン』(青灯社)など。

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