博士(他称)の(ちょっと長めの)つぶやき

博士(他称)の(ちょっと長めの)つぶやき 第4回
COVID-19の時代の英語③

◆造語要素としての“corona”

 日本語では「コロナ禍」のように新型コロナウイルスを「コロナ」と略して新造語の要素に用いることが広く行われています。「コロナワクチン」「コロナ太り」「コロナ疲れ」「コロナ破産」など、何となく意味が推測できる言葉は日常よく目にします。また「コロナ」を後置した「ウィズコロナ」「アフターコロナ」「ゼロコロナ」などの「英語風和製語」も一部のカタカナ語愛好家(なぜかお役所関係に多い)の間で重宝されているようです。
 いずれにいたしましても、こうした表現は臨時的な意味合いの強い複合語ですから、将来的に国語辞典の見出しになるような事態には至らないものと思われます。
 では英語の“corona”はどうでしょうか。実は既存の紙版英語辞典で“corona”単独の形をcoronavirusの意味に用いる省略用法を認めているものはありません。ところが最新の使用実態を反映したオンライン辞典になりますと、私が調べた限りでは、大御所のOEDを筆頭としてcoronaをcoronavirusの省略形とする用法を容認するものばかりです(MW, OALD, Macmillan, Collinsなど)。
 参考までにOEDの記述を示します[*1]

corona, n.3
  A coronavirus; (now) esp. that which causes Covid-19. Also: infection with or disease caused by a coronavirus; (now) esp. Covid-19. Frequently as a modifier, as in corona crisiscorona pandemic, etc.

 

 こうした事例を踏まえますと、これからの学習英和辞典はcoronaに「=coronavirus」の語義を与えることが必要不可欠だと思われます。厳密に考えればOEDのように新規見出し語を立てるべきですが、使いやすさを優先すれば既存のcoronaに新しい語義を追加するのが妥当でしょう。とりあえずこんな感じで。

corona  C コロナウイルス(coronavirus),(特にCOVID-19を引き起こす)コロナウイルス;コロナウイルスが原因の感染症,(特に)COVID-19;《形容詞的に》コロナウイルスが原因の[による]∥~ crisisコロナ危機,コロナ禍

 また辞典編集的観点から申しますと、coronaに「コロナウイルス」の意味を認めると、ネットの新語紹介サイトなどによく登場する「corona+xx」型新語の語源を説明する際にいちいちcoronavirusのvirusを取って、などと言わずに済むという「利点」もあります。もっとも、この種の新語が紙版辞典の見出しに採択される可能性は限りなくゼロに近いので、利点が生かされる機会はまず訪れないでしょうが。
 それでは続いて、花本先生の『新語リポート』の分類に沿った形で、オンライン辞典にも未掲載と思われる「corona+xx」型新語からいくつかご紹介しましょう。なお、ここでは「英語辞典の見出しになる可能性」という観点から“corona pandemic”のような二次複合語(分離複合語)は除外します。
 「既存の独立した2語の結合による複合語」は数としてはあまり多くなく、「corona+crisis(危機)」からcoronacrisis「コロナ危機、コロナ禍」、「corona+bond(債券)」からcoronabond(s)「コロナ債券」、「corona+check(検査)」からcoronacheck「コロナウイルスの病態に関するデータの検証」、「corona+baby(赤ん坊)」からcoronababy「コロナベビー;コロナ禍による巣ごもり中にできた赤ん坊」。
 「独立語と接辞からなる派生語」としては「corona+ –phobia(恐怖症)」からcoronaphobia「コロナウイルス恐怖症」。
 「単語の一部を省略し組み合わせて作る混成語(かばん語)」は「corona+xx」型新語の中でも数が多く、英語の造語力の旺盛さにつくづく感心させられます。「corona+podcast(ネット放送)」からcoronacast「コロナウイルスに関する質問に答えるネットサービス」、「corona+economics(経済政策)」からcoronanomics「コロナ禍が引き起こした不況からの回復を目指す経済政策」、「corona+insomnia(不眠症)」からcoronasomnia「コロナ不眠症」、「corona+rollercoaster(ジェットコースター)」からcoronacoaster「コロナウイルスのパンデミックによる感情の激しい起伏」、「corona + Apocalypse(黙示録;世界の終わり)」からcoronapocalypse「コロナ禍による世界の終わり」、「corona+Armageddon(ハルマゲドン;世界最終戦争、大破壊)」からcoronageddon「コロナ禍による世界の破滅的状況」、「corona+staycation(自宅で過ごす休暇)」からcoronacation「外出禁止期間中に自宅で楽しむ休暇」、「corona+haircut(散髪)」からcoronacut「コロナカット;外出自粛中に自分で散髪した結果の(みっともない)髪形」、「corona+Millenial(新世紀人)」からcoronials「(2020年以降に生まれたcoronababiesが成長した)コロナ世代」。
 なお、covidiotと同工異曲の混成語として、「moron(ばか、間抜け)+coronavirus」からmoronavirus「コロナウイルス感染対策をわざと無視するばか者」があります。coronavirusを後に持ってくるところが珍しいですね。
 こうして見ましても、混成語(かばん語)には特に滑稽な効果を狙ったものが多いようです。
 なお繰り返しになりますが、これらはいずれもnonce words(臨時語)の類であり、日本語の「コロナ」関連新造語と同じく、将来的に紙版辞典に掲載される可能性は限りなく低いことは改めてお断りしておきます。

(⇒COVID-19の時代の英語④につづく)


*1 Oxford English Dictionary
https://oed.com/view/Entry/89105071

 

【筆者プロフィール】
少し前まで @olex_editorsの中の人。辞典の蘊蓄、園芸に関する投稿多数。今はバッハを歌ったり絵を描いたり植物の世話をしたりの日々。

博士(他称)の(ちょっと長めの)つぶやき 第3回
COVID-19の時代の英語②

◆注目される新語 “covidiot”

 ロンドンのKing’s Collegeで“language consultant”を務める言語学者Tony Thorneは、COVID-19パンデミックに関連して英語に出現した新しい言い回し(Thorneのいう“coronaspeak”)は、2020年4月の時点で1,000語以上に達すると述べています[*1]
 また第1回でご紹介した米国のオンライン辞典サイトDictionary.comにはその名も“New Words We Created Because Of Coronavirus”と題したブログ記事があり、28の注目すべき新語・新表現を紹介しています[*2]

 

 Thorneがcoronaspeakの例として言及し、Dictionary.comが注目すべき28のNew Wordsのひとつに取り上げていて、しかもすでに複数のオンライン辞典に収録されている新語がひとつだけあります。それが“covidiot”です。ちなみにNOW Corpusではcovidiots523件、covidiot260件の計783件ヒットします(2021年6月7日現在)。「COVID-19の時代」が生んだ多くの新語の中でも生き残る可能性が最も高い語と見ていいでしょう。
 ということで、もし“covidiot”を学習英和辞典に追加するとしたら、と仮定して記述内容を検討してみましょう。
 まずはオンライン辞典で定義を確認します。

OALD [*3]

covidiot  noun (informal, disapproving)
a person who annoys other people by refusing to obey the social distancing rules designed to prevent the spread of COVID-19

Cambridge Dictionary [*4]

covidiot  noun[C] informal (also Covidiot)
someone who behaves in a stupid way that risks spreading the infectious disease Covid-19

Macmillan Dictionary [*5]

covidiot  NOUN INFORMAL
an insulting term for someone who ignores health advice about Covid-19, hoards food unnecessarily, etc.

 おおよその意味は「social distancing(社会的距離)の規制に従わないなど、新型コロナウイルス感染対策を無視するはた迷惑な人、不要な食料品を買いだめする人」といったところでしょうか。どこの国にもいるのですね、こういう人。
 お気づきの方も多いでしょうが、covidiotはCOVID-19とidiot(全くのばか、間抜け)の混成語(かばん語)です。
 見出し語表記のバリアントとしては、理論上COVIDIOT, COVIDiot, Covidiotあたりが想定されますが、Cambridge Dictionaryが大文字始まりのCovidiotを挙げている程度ですので、念のために((ときにC- ))としておけばいいでしょう。
 ちなみに、OED(誰もがひれ伏す英語辞典の最高峰)オンライン版とMerriam-Webster(事実上米系英語辞典の最高権威)オンライン版は2021年5月末時点ではcovidiotを見出し語にしていません。こういうところに、言葉の最新の動向を積極的に反映しようとする「身軽な」中型辞典と、言葉の規範を示すことを主眼とする「慎重な」大型辞典の違いが表れるようです。
  発音は『オーレックス英和辞典』の表記方式では/kóᴜvɪdiət/となります。従って見出しの分綴はco・vi・di・otです。構成要素である“idiot”の分綴(id・i・ot)とは異なるので要注意。
 可算名詞ですので複数形「~s/-s/」も示します。ラベル表示はOALDを参考に《口》《けなして》としておきます。語源解説(COVID-19+idiotより)も必要ですね。なお『オーレックス英和』の混成語の語源解説では、2語で重複する綴り字(この場合はid)は後の語の方を斜体にすることになっています。

 

 問題は訳語です。単純に「コロナばか」としても今ひとつ面白くありませんし、下手をすると「新型コロナウイルスに感染して認知機能が衰えた人」のような意味に取られかねません。COVID とidiot のid の語呂合わせが「かばん語」特有の滑稽な効果を醸し出している所がキモなので、ここは何とかしゃれっ気の利いた訳語にしたいところです。もちろん「((新型コロナウイルス感染対策をわざと無視する人))」などの補足説明は付け加えるとして。
 で、候補となる訳語を考えてみたのですが、「オロカモノウイルス感染者」、あるいは「新型オロカウイルス感染者」などではどうでしょう(「感染者」は「発症者」でもいいかもしれません)。「コロナ」と「オロカ」で母音の配列が一致します。音が「ロ」しか合っていないじゃないか、と言われると辛いですが。
 余談になりますが、もう30年近く前のことになりますか、“snail mail”(e-mailと対照して、届くまでに時間がかかる通常の郵便のこと)が新語として世に現れた時(英語辞典の初出は確かLongman Dictionary of English Language and Culture 1stだったでしょうか)、「でんでん虫メール」なる訳語をひねり出したことが懐かしく思い出されます。あの時は「電子メール」を「でんし–でんでんむし」と同音を重ねて引き伸ばすことで原語のニュアンスも少しは表せたか、と密かに快哉を叫んだものでしたが、あに図らんや、日本ではe-mailの訳語としての「電子メール」はあっという間にただの「メール」に取って代わられ、そもそも日本では通常の郵便による手紙を「メール」と呼ぶ習慣がないこともあり、せっかくの「名訳」も真価を発揮する時機を得ることなく現在に至っております。
 でもまあ、新語や新表現の訳にあれこれ工夫を巡らすのも辞典編集者に許された密かな楽しみなのかもしれません。

 

co・vi・di・ot / kóᴜvɪdiət /  C ((ときにC-))《口》《けなして》コービディオット,新型オロカウイルス感染者((新型コロナウイルス感染対策をわざと無視する人)) (COVID-19+idiotより)

⇒COVID-19の時代の英語③につづく)


*1 CBC radio
https://www.cbc.ca/radio/thecurrent/the-current-for-april-22-2020-1.5540906/covidiots-quarantinis-linguist-explains-how-covid-19-has-infected-our-language-1.5540914

*2 Dictionary.com  New Words We Created Because Of Coronavirus
https://www.dictionary.com/e/s/new-words-we-created-because-of-coronavirus/#1

*3 Oxford Learner’s Dictionaries
https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/english/covidiot?q=covidiot

*4 Cambridge Dictionary
https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/covidiot

*5 Macmillan Dictionary
https://www.macmillandictionary.com/dictionary/british/covidiot

 

【筆者プロフィール】
少し前まで @olex_editorsの中の人。辞典の蘊蓄、園芸に関する投稿多数。今はバッハを歌ったり絵を描いたり植物の世話をしたりの日々。

博士(他称)の(ちょっと長めの)つぶやき 第2回
COVID-19の時代の英語①

 前回予告しましたように、本日はCOVID-19に関連して英語に出現した新語・新語義について、思いつくままにつぶやいてみようと思います。

 その前にひとこと。英語の新語・新語義の作られ方や種類全般に関しては、当サイト内の花本金吾先生による「新語リポート(全6回)」が詳しい解説となっていますので、まだ読んでいらっしゃらない方はぜひご一読ください。


 

そもそもCOVID-19とは

 COVID-19は coronavirus disease 2019 (2019年に報告された、コロナウイルスによって引き起こされる病気)の語列に含まれる文字と数字から作られた略語です。coronavirusのcoとvi、diseaseのd、それに2019の下二桁の組み合わせですから、略語の形成方法としてはずいぶん変則的です。花本先生の『新語レポート』の分類によれば、「端折り語」「頭文字語」「混成語」のミックスということになるのでしょうか。
 COVID-19という単語が世に現れた日付は記録としてはっきり残っています。2020年2月11日、WHO(世界保健機関)が発表した報告書が初出です。WHOはこの1か月後の2020年3月11日にCOVID-19を「パンデミック」であると宣言しました。
 Oxford University Press (OUP) のコーパス分析サイトでは、COVID-19は登場した2020年2月のうちに、coronavirusやpandemicなどと共に「最も注目すべき単語(keywords)」に加えられています[*1]
 英語における新語・新表現の動向に常に目を光らせている米英の言語学者や辞典編集者がCOVID-19の出現から受けた衝撃の一端は、前回ご紹介した辞典出版各社のWOTY特集ページや、以下のサイトなどからも伺うことができます。
Social change and linguistic change: the language of Covid-19[*2]
Dictionary.com Adds Coronavirus Words To The Dictionary[*3]

 ということで、元辞典編集者の端くれたる博士(他称)としましても、この英語史上稀な大事件の主役となった単語 “COVID-19” を英和辞典に記載するにあたって必要と思われる事柄を、この場を借りて書き留めておこうと思います。
 まず見出し語の表記について。語形成の方法が変則的であるのに加え、短期間のうちに膨大な文献で用いられたためでしょうか、あたかもウイルスが次々と変異型を作り出すように、語形態(word form)にはかなりの揺れが見られます。
 英国が世界に誇る大辞典 Oxford English Dictionary (OED) オンライン版は見出し語をCovid-19とし、バリアントとしてCOVID-19とCoViD-19、及びそれぞれのハイフンなしのCOVID19、CoViD19、Covid19、さらに異綴りのCORVID-19、CorViD-19、Corvid-19、及びそれぞれのハイフンなしの計12パターンを挙げる徹底ぶりです[*4]。こういうところが非省略辞典の非省略たる所以ですね。
 米国のMerriam Webster(MW)オンライン版は見出し語をCOVID-19とし、あまり使わないバリアントとしてCovid-19、covid-19、COVID、Covid、covidを挙げています。Covid-19以外はOEDが挙げていない語形です[*5]
 OUPのコーパス分析によれば、英国ではCovid-19とCOVID-19が6対4くらいの比率で使われ、米国ではCOVID-19が8割以上を占めるとの結果が出ています。小文字だけのcovid-19は英米ともにほとんど使われないようです[*6]
 辞典編集的に気になるハイフンの有無に関しては、調べた限りのオンライン辞典はすべてハイフン付きを見出し語としており、ハイフン無しのバリアントを挙げているのは非省略のOEDだけです。参考までにNOW Corpus (News On the Web)を検索すると、ハイフンなしのCOVID19も確認できますが、ハイフン付きを100とすれば0.8弱の割合ですので、一般向け英語辞典では無視していいレベルでしょう[*7]
 以上の結果を踏まえますと、中~上級学習英和辞典の見出し語としては、一応米語を優先して「COVID-19, Covid-19」のように併置するのがいいと思われます。

 発音は『オーレックス英和辞典』の表記方式で示せば/kòᴜvɪdnaɪntíːn/となります。
 なお、見出しを全部大文字のCOVID-19にするなら、発音記号を示しても分綴(シラビケーション)を示す必要はありません。
 ではCovid-19には分綴を示してCo・vid-19とするべきなのかどうか。これは今後の検討課題としておきましょう。といっても、こんなことで悩むのは見出し語に分綴を示すのが必須事項になっている米国と日本の英語辞典の編集者くらいのものでしょうが(英国の辞典は一部の学習辞典を除いて見出し語に分綴を示しません)。
 次に品詞表示について。COVID-19に関しては、私が調べたオンライン辞典はすべて名詞としており、略語とする理由も特にありませんので、不可算名詞でいいでしょう。
 英和辞典の名詞の「訳語」としては、アルファベットと数字だけの「COVID-19」では少々収まりが良くないような気もします。ここは『オーレックス英和辞典』で CD-ROM の訳語をアルファベットのカタカナ転写の「シーディーロム」としたのに倣って、「コービッド19」としておきましょう。これに加えて、厚生労働省のウェブサイトにある「新型コロナウイルス感染症について」というページの英語版タイトル「Novel Coronavirus (COVID-19)」[*8]を参考に、COVID-19の信頼できる日本語訳として「新型コロナウイルス感染症」を併置することにします。
 学術的に認定された疾患名ですので、訳語の頭に専門用語であることを示す百科記号〖医〗を付けます。補足説明として「((2019年に確認[発見]された新型コロナウイルスによる呼吸器感染症))」のような解説記事が必要です。もちろん語源解説( coronavirus disease 2019の略)も不可欠です(略語を形成するco,vi,d,19をイタリックにします)。

 

COVID-19, Covid-19/kòᴜvɪdnaɪntíːn/  U〖医〗コービッド19,新型コロナウイルス感染症((2019年に確認[発見]された新型コロナウイルスによる呼吸器感染症)) ( coronavirus disease 2019の略)

(⇒COVID-19の時代の英語②につづく)


*1 Oxford English Dictionary
https://public.oed.com/blog/corpus-analysis-of-the-language-of-covid-19/

*2 Oxford English Dictionary
https://public.oed.com/blog/the-language-of-covid-19/

*3 Dictionary.com Adds Coronavirus Words To The Dictionary
https://www.dictionary.com/e/new-coronavirus-words-added-to-dictionary/

*4 Oxford English Dictionary
https://oed.com/view/Entry/88575495

*5 Merriam Webster.com
https://www.merriam-webster.com/dictionary/COVID-19

*6 Oxford English Dictionary
https://public.oed.com/blog/using-corpora-to-track-the-language-of-covid-19-update-2/

*7 NOW Corpus (News on the Web)
https://www.english-corpora.org/now/

*8 厚生労働省 Novel Coronavirus (COVID-19)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00079.html

 

【筆者プロフィール】
少し前まで @olex_editorsの中の人。辞典の蘊蓄、園芸に関する投稿多数。今はバッハを歌ったり絵を描いたり植物の世話をしたりの日々。

博士(他称)の(ちょっと長めの)つぶやき 第1回
「コロナの年」のWord of the Year

ごあいさつ

 長年旺文社オーレックスサイトの@olex_editorsツイッターをご覧いただいている皆様、お久しぶりです。博士(他称)です。
 このたび@olex_editorsさんから、字数制限のない所でもう少しつぶやいてみないかというお誘いをいただきました。ということで、@olex_editorsを離れてから少々時間が経ちますが、この場をお借りして、辞典編集に関係のあるようなないような「よしなしごと」のあれこれを、ちょっと長めにつぶやいてみようかと思います。
 博士(他称)の過去のツイートを覚えていらっしゃる方ならご承知かと存じますが、ややもするとtrivialな話題に傾きがちなことは自覚しております(辞典編集のための自作格言「重箱の隅をいくつ集めても重箱にはならない」)。
 それではしばしの間お付き合いください。


 

 米英の有力な辞典出版社が毎年11月に「今年の言葉」Word of the Year(以下WOTYと略)を発表していることは、@olex_editorsツイッターでも折に触れて紹介してきました。

 2020年は、中国に端を発し、瞬く間に世界中に広がった新型コロナウイルスCOVID-19の惨禍によって人類の歴史に大きく刻まれる年となりました。加えてアメリカ合衆国では4年に一度の大統領選挙が行われました。この大変動の年に米英の出版社がWOTYに選んだ語は何だったのでしょうか。

 米国を代表する辞典出版社Merriam-Websterが選定した2020年のWOTYは “pandemic”でした[*1]。同じく米国のオンライン辞典サイトDictionary.comもやはり“pandemic”をWOTYに選びました[*2]

pandemic  [疫病が)全国[世界]に広がる
 ➖ C全国[世界]的流行病
(『オーレックス英和辞典 第2版』より)

 米英の辞典検索サイトの記録によりますと、pandemicの検索件数は2020年2月ごろから徐々に増え始めていましたが、3月11日にWHOがCOVID-19はpandemicであると宣言したのを機に爆発的に増加したのだそうです(後述のNOWコーパスのデータも参照)。3.11は世界的大災厄を記憶に留める日付として、従来に増して重い意味を担うことになったわけです。
 語源はギリシャ語の“pan-(すべての)”+“dēmos(人々)”。“pan-”は連結形として英語化し、Pan-American (汎(はん)米主義の)などの新造語の構成要素として活躍?しています。“dēmos”を語源とする英語にはdemocracy(民主主義)、demagogue(デマゴーグ)などおなじみの語の他、pandemicの兄弟語といえるendemic(風土病(の))、epidemic(流行病(の))があります。
 大抵の英語辞典の見出でpandemicとpandemonium(万魔殿、伏魔殿)が仲良く並んでいるのも意味深な光景です。pandemoniumは英国の大詩人Milton(1608-1674)の造語で、“pan-”とギリシャ語“daimōn”がラテン語化した“daemonium(デーモン、悪魔)”を組み合わせて地獄の首都の名称としたもの。転じて現在では「大混乱、修羅場」の意味の普通名詞としても使われます。
 すぐそばにあるPandora’s box(パンドラの箱)といえば、ギリシャ神話であらゆる災いと罪悪がそこから出て世界中に広がったとされる「諸悪の根源」ですが、主神Zeusに託されてこの決して開けてはいけない箱を人間界に持ってきて、好奇心に負けて開けてしまった女性の名がPandora。語源は“pan-”+“dōron(贈り物)”。とんだ贈り物もあったものですが、どうもpandemic界隈には縁起でもない語が多いですね。

 英国のCambridge社が運営する辞典サイトCambridge Dictionaryが選んだ2020年のWOTYは “quarantine”でした[*3]

quarantine U❶(防疫のための)隔離(状態);隔離期間;隔離所 ❷検疫(制度);検疫停船期間[港]❸(社会的な)制裁隔離,締め出し
❶・・・を隔離[検疫]する ❷(政治的・経済的に)・・・を孤立させる,締め出す
(『オーレックス英和辞典 第2版』より)

 この語、見るからに英語っぽくない雰囲気を漂わせていますが、それもそのはずで、語源はイタリア語の“quarantina (数字の「40」の意)”。14世紀イタリアの港湾都市では、外国船は伝染病の侵入を防ぐため40日の間接岸を許されなかったという故事にちなみます(他にも諸説あります)。
 この語が英語の文献に初めて現れるのは17世紀初頭とのこと。「検疫」を表す単語をわざわざ外国語から借りてきたということは、英国にはそれまで検疫制度がなかったのでしょうか。

 英国の出版社CollinsとMacmillanは揃って“lockdown”を2020年のWOTYに選びました[*4][*5]
 カタカナ語の「ロックダウン(都市封鎖)」も、コロナ禍から生まれた新語として、今や新聞やテレビで見聞きしない日とてありません。
 ところで『オーレックス英和辞典 第2版』のlockdownは「《米》囚人の独房への拘禁;厳重監視」の語義だけで、「都市封鎖」に類する語義は採録していません。

 実はlockdownは、辞典編集の観点から見るといささか複雑な背景を持つ語なのです。この機会に少し掘り下げてみましょう。

 まず、“lockdown”をWOTYに選出したCollinsのCollins English Dictionary(略称CED:オックスフォード系でない英国製の大型英語辞典として貴重な存在)の語義記述の概要は以下のとおり(Collinsのサイトで全文を見ることができます[*6]。以下、本稿の英語辞典引用箇所はすべて同様)。

lockdown in British English NOUN
1. a security measure in which those inside a building or area are required to remain confined in it for a time
2. the imposition of stringent restrictions on travel, social interaction, and access to public spaces

 大意は《英国用法》「1 建物や区域内のものがしばらくの間中に閉じ込められたままでいることを命じられる保安上の措置;建物などの一時的封鎖」「2 旅行・社交・公共の場へのアクセスに厳しい制約を課すること」といったところでしょうか。
 Collinsのサイトの検索ページにはWebster’s New World College Dictionary 4th(略称WNWCD:米国の「非メリアム系ウェブスター」を代表する中型(カレッジ版)辞典。伝統的に米語用法を重視することで知られる)のlockdownも掲載されています。

lockdown in American English NOUN
an emergency security practice in which prison inmates are locked in their cells and denied the usual privileges of dining, showering, etc. outside of them

 大意は《米国用法》「刑務所の収監者が独房に閉じ込められ、独房の外でなら受けられる食事・入浴など通常の恩恵を与えられない緊急保安対策」。
 見てのとおり2つの辞典の掲げる意味はかなり異なりますが、CEDは“in British English”、WNWCDは “in American English”の「地域ラベル表示」を付けていることから、英国・米国という国(地域)による違いであることが分かります。また『オーレックス英和辞典 第2版』の語義はWNWCDにほぼ一致しています。
 次に同じく“lockdown”をWOTYに選出したMacmillan社のオンライン辞典Open Dictionary(ベースになっているのはMacmillan English Dictionary for Advanced Learnersだと思われます。この辞典は英系非英語母語話者向け学習英語辞典として、OxfordのOALD、LongmanのLDOCE、 CollinsのCOBUILD、 CambridgeのCIDE/CALD(いわゆるEFL辞典のBig 4)と並ぶ高評価を得ていましたが、現在紙版辞典の刊行は停止されています)を見ると、また少し異なる(新しい)情報が得られます[*7]

lockdown NOUN COUNTABLE/UNCOUNTABLE
1 MAINLY AMERICAN an occasion or time when prisoners are locked in their cells
2 MAINLY AMERICAN an occasion or time when access to a place is restricted because of some danger
3 a time when large numbers of people are ordered to stay at home either most or all of the time

 Macmillan Open Dictionaryが挙げる語義は3つ。「1 《主に米用法》囚人が独房に閉じ込められる期間」「2 《主に米用法》場所へのアクセスがある種の危険のために制限[禁止]される期間」、「3 多くの人が大部分のもしくはすべての時間、自宅にとどまることを命じられる時;外出禁止令発動期間」。Macmillan社のサイトではOpen Dictionaryの語義3に2020年3月24日と記されています(新規追加か更新かは不明)。英国が1回目のロックダウンに入ったのが2020年3月23日ですから、いち早く最新情報を取り入れています。こういうところがオンライン辞典の強みですね(履歴が見えないのは少し不便)。
 また、Macmillan Open Dictionaryは語義1,2が《主に米用法》で、語義3が地域ラベル表示なしですので、「英国では主に語義3の意味で使われる」ことになります。
 CEDが語義2「 旅行・社交・公共の場へのアクセスに厳しい制約を課すこと」を《英国用法》としていることと併せて、「一般人の行動の制限、外出禁止(令)」に当たる用法(カタカナ語の「ロックダウン」もほぼこの意味ですね)は英国起源であることが推定されます。
 なお、CEDの語義1《英国用法》「 建物や区域内のものがしばらくの間中に閉じ込められたままでいることを命じられる保安上の措置;建物などの一時的封鎖」と、Macmillan Open Dictionaryの語義2「 《主に米用法》場所へのアクセスがある種の危険のために制限[禁止]される期間」はほぼ同じことを言っているように見えますが、地域ラベル表示が正反対なのは不思議です(ひょっとしたらCEDのミス?)。

 以上の記述に加え、Merriam-Webster, Dictionary.com, Oxford University Press, Cambridge Dictionaryなどのオンライン辞典サイトをnetsurfして、“lockdown”の来歴を整理してみました。

・lockdownは1970年代初め、米国で「囚人の独房への一時的収監;拘禁」の意味で使われ始めた。前出のWNWCD4の他、Webster’s New CollegiateAmerican Heritage Oxford American Englishなど名だたる米系の中・大型辞典の多くはこの語義だけを、またはこの語義を第1語義として採録している。
・「囚人を独房に収監すること=独房に鍵を掛ける」からの連想で「建物に鍵を掛けて封鎖する」の意味が生じた。建物から発展して、特定の地域、場所を封鎖する意味にもなった。英米どちらで先に使われ始めたかは不明。
・「独房の囚人、転じて封鎖された建物[場所]にいる人」の立場で考えて、「人がある場所に閉じ込められる」→「そこから出られない状態を強いられる」→「外出禁止(命令)」の意味が生じた。
・「外出禁止(命令)」の意味は、英国のCEDが《英用法》とし、同じく英国のMacmillan Open Dictionaryが「英国では主にこの語義で用いる」としていることから、おそらく英国起源の比較的新しい用法と思われ、最近では米国でも使われている。

 ちなみに、Merriam-Websterの2020年WOTY特集ページはpandemic以外の注目すべき語として11語を列挙していて、quarantineは5番目に出てきますが、lockdownはありません[*1]。Dictionary.com のWOTY解説でもlockdownは比較的軽い扱いとなっています[*2]。これらの資料を見る限り、米国では「外出禁止(命令)」を表す言葉として、lockdownよりもquarantineの方が普通に用いられていると考えていいようです。英国のCambridge Dictionaryのquarantineの2番目の語義(「外出禁止[制限]令」に相当)に“mainly US”《主に米用法》とあることも、この推定の補強材料となります[*8]

quarantine noun
[U] mainly US  a general period of time in which people are not allowed to leave their homes or travel freely, so that they do not catch or spread a disease

 なお、2015年のWOTYに“😂‘Face with Tears of Joy’ emoji(うれし泣きの絵文字)”を選ぶなど、常にWOTYに対する社会的関心を集めてきた英国のOxford University Press (OUP)は、2020年は「ひとつの言葉で的確に対応できる年ではない」という理由でWOTYを選出しませんでした[*9]

 参考までに、2020年のWOTYに選ばれた3語について、NOWコーパス(News on the Web:英語圏のウェブベースの新聞や雑誌からの最新データを含む)における出現回数を2019年→2020年で比較してみました[*10]

pandemic  2,316 → 1,764,663(697倍!) 
quarantine  3,984 → 251,759 (63倍) 
lockdown 7,693 → 581,793 (75倍)

 世界を揺るがすような未曾有の社会的大変動は、必ず「それ」を言い表すための新しい表現を必要とし、生み出します。新語が作られることもあれば、従来あまり使われなかった語や忘れられていた語が(時にはまったく新しい意味で)使われることもあります。その意味でも、2020年のWOTYに選ばれた3語は、現在の英語が文字どおり「言葉のるつぼmelting pot」の只中にあることの鮮やかな証拠となるでしょう。
 次の機会には、主に新語・新語義の生成という観点から「COVID-19の時代の英語」について考えてみたいと思います。
 それではまた。


*1  Merriam Webster’s Word of the Year 2020
https://www.merriam-webster.com/words-at-play/word-of-the-year 

*2  The Dictionary.com Word Of The Year For 2020 Is …
https://www.dictionary.com/e/word-of-the-year/

*3  Cambridge Dictionary’s Word of the Year 2020
https://dictionaryblog.cambridge.org/2020/11/24/cambridge-dictionarys-word-of-the-year-2020/

*4  The Collins Word of the Year 2020 is …
https://www.collinsdictionary.com/woty

*5  Open Dictionary Word of the Year 2020
https://www.macmillandictionaryblog.com/open-dictionary-word-of-the-year-2020

*6  Collins online dictionary
https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/lockdown

*7  Macmillan Dictionary Blog The English Learners Dictionary
https://www.macmillandictionary.com/dictionary/british/lockdown

*8  Cambridge Dictionary
https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/quarantine

*9  Oxford Languages  Word of the year 2020
https://languages.oup.com/word-of-the-year/2020/

*10  English-Corpora.org
https://www.english-corpora.org/now/

 

【筆者プロフィール】
少し前まで @olex_editorsの中の人。辞典の蘊蓄、園芸に関する投稿多数。今はバッハを歌ったり絵を描いたり植物の世話をしたりの日々。

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