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英語のオシゴトと私 第8回 ―三谷裕美
「へぇ~」から始まる英語の愉しみ

2019年7月22日|英語のオシゴトと私

 「英語の先生になる!」と子供のころから一度も思ったことがなかった私が、英語を教える仕事に就いたのはなぜだろう、と改めて考えてみた。中学・高校でも、英語は特に好きでも得意でもなかった。ただ、子供のころから知らなかったことを知ると「へぇ~」となるのが楽しかった。英語学習も留学も英語を教えることもまさにこの「へぇ~」の連続であり、「へぇ~」の楽しみを繰り返して今に至ったのかもしれない。
 アメリカへの大学院留学を目指して勉強していたときは、さすがにいちいち感動する余裕もなく膨大な数の英単語を脈絡もなくひたすら丸暗記した。stratosphere(成層圏)とか、amphibian(両生類)、embezzlement(横領)などはそのころ覚えた単語である。留学準備のおかげで知っている単語の数が飛躍的に増えたが、実際にアメリカ生活が始まると、住んでみないとわからないことばが次々に現れ、「へぇ~」と思うたびにメモを取り始めた。
 アメリカではreading assignmentsと呼ばれる課題に毎日明け方まで追い立てられて、友だちとゆっくりおしゃべりする時間もなかったので、生活の英語を学んだのは主にテレビからだった。テレビのそばに常にメモ帳とペンを置いておき、気になった単語や言い回しを書き留めていたら、「思い出の単語帳」のようなものができた。
 私はTVアニメのThe Simpsonsが大好きで、登場人物のせりふから多くのことばを学んだのだが、どんな場面でどの登場人物が発したことばなのかもいまだに覚えている。たとえば、resilientという単語は、多くの辞書では「跳ね返る力のある、弾力のある」が第一語義である。ところが、崇敬している社長に叱られてひどく落ち込んでいる男性秘書Mr. Smithersについて、Lisa(シンプソン家の娘)が、「きっと大丈夫よ。彼はresilientな(落ち込んでも立ち直れる)人だから」と言う場面があり、resilientは何かの素材だけでなく、人間の性質を形容するのにも使えることを新たに知った。また、I’ll find out what he is up to. (彼が何を企んでいるのか突き止めてやる)は、庭で一心不乱に穴を掘り続けるBurt(シンプソン家の息子)を心配する母親を安心させるために、Homer(父親)が言うせりふで、be up to (something)(何かに取り組む、何かを企む)という慣用表現はこのせりふで覚えた。単純な単語の組み合わせだが、文脈がないと意味と使い方がわかりにくいことばの一例である。
 アニメのほか、野球の実況中継でアナウンサーが叫ぶ Holy cow!(なんてこった!)が面白くて、「なぜに牛?」と辞書を引いたし、日本でも放送されていたFamily TiesFull Houseなど、古いsitcom(コメディードラマ)からもたくさんのことばを学んだ。ある日、ドラマの中で赤ちゃんを見た女性が「ドァブル」と言っているように聞こえたが、つづりがわからない。そのままdoable、drableなど、辞書で引いてもわからず、とりあえずメモして、後日アメリカ人の友だちに文脈と一緒に説明すると、それはadorable(愛らしい)に違いない、と即答された。動詞adoreの辞書的な意味(崇拝する、敬愛する)は知っていたが、「へぇ~、赤ちゃんについて使うんだ」と驚き、以後、赤ちゃんを褒める形容詞としてadorableは私の語彙にしっかり定着した。
 アメリカから戻って10年後にイギリスにも留学したが、イギリスでも新たな「思い出の単語帳」が生まれた。同じ英語の国ながら、イギリスではアメリカで生活していたときにはなじみがなかったことばにたくさん出合ったからである。まず大学で履修する「科目」はアメリカではcourse、イギリスではmoduleで、「指導教官」はアメリカではadvisor、イギリスではsupervisorと呼んでいた。統計学の授業では、先生が0.005を「ノゥポイントノゥノゥファイヴ」と読んだので、「ゼロはnoなの?」とびっくりしたが、イギリスではよく数字のゼロをnaughtと読むのだと友だちが教えてくれた。大学で入寮申込書を記入するときにも、duvet(アメリカではcomforterと呼ばれる掛け布団)、en suite(トイレ・シャワー付きの部屋)などは辞書なしでは意味がわからなかったし、ハンバーガーに用いるような丸くて少し平べったいパンはアメリカではbuns、私が留学したイギリス北東部ではbapsだったので、これもメモした覚えがある。アメリカとイギリス、2回の留学を経て、私の「へぇ~」の記録となる2冊の単語帳ができたのだった。
 留学から戻って大学で英語を教えているが、授業の準備も新しい学びにつながる。最近ニュースでもよく取り上げられているが、大量のプラスチックのゴミが海に浮遊していて、魚や鳥、そして人間に悪影響を与えうることは、10年ほど前にリーディングの教科書で読んで初めて知った。また、陽の光も届かぬ深い海の底にhydrothermal vents(熱水噴出孔)があって、もうもうと硫化水素やミネラルを含む熱水を噴き出しており、その周りには巨大なtubeworms(チューブワーム、管棲虫)など奇妙な生物が大繁殖していることなど、「へぇ~」と驚きながら授業の準備をしている。
 知らないことが知っていることに変わるのは楽しい。知らないことは世の中にいくらでもあるので、楽しみの種は無尽蔵だ。簡単な情報の交換なら自動翻訳機で十分、という時代になりつつあるが、外国語を学ぶということは、知らないことを知るという人間の根源的な歓びを味わうことができる最も簡単な方法の一つであり続けると思う。その楽しさを学習者と共有しながら教師を続けていきたいと考えている。

 

【プロフィール】三谷 裕美(みたに・ひろみ)
獨協大学専任講師。専門は応用言語学。訳書にデイヴィッド ・クリスタル著『消滅する言語—人類の知的遺産をいかに守るか』(斎藤兆史氏と共訳、中公新書、2004年)など。動物(特に犬と猫とマナティーとワオキツネザル)好き。