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英語のオシゴトと私 第13回―松井孝志
「甲子園」と「タンバリン」

2020年4月3日|英語のオシゴトと私

 3月は英語でMarch。この原稿を書いている2020年3月中旬現在、COVID-19の感染拡大から、入場行進のテーマ曲も毎年話題を呼ぶ、甲子園での選抜高等学校野球大会も中止となりました。教室での授業という私の「オシゴト」も宙に浮いてしまったのですが、その一方で、世界を飛び回るWeb上の「英語ニュース」をじっくり読む時間が増えました。

 今回は、細井俊克先生から河村和也先生へと渡されたバトンを私が受け取りましたが、両先生とは大学の同窓であり、細井先生とは同郷、河村先生とはかつての同僚でもありました。そんなつながりを感じられるようなエピソードから少しお話ししたいと思います。
 細井先生は水泳(競泳)のコーチとして豊富な実績をお持ちですが、私は自分の「本業」をロウイング (ボート競技) のコーチ、「生業」を英語教育、と公言してきました。英語教師と並行して、母校の東京外国語大学のボート部のコーチを12シーズン務めた後、国体の指導者として山口県の体育協会に招かれ、県の国体チームの監督として高校生や大学生、社会人の指導を12年ほどした後に、また関東へと戻ってきました。
 ボート競技というのは、後ろ向きに漕いでゴールを目指すスポーツですので、「教室」で黒板に向かう教師の姿に準えて、
— Facing backward is my second nature. (後ろ向きが私の第二の天性)
と英語での自己紹介の際には付け加えています。

 「生業」の英語教育でも30年以上に渡り、都立高校で2校、都内の私学で2校、地方の私学で1校と多くの同僚を得ましたし、かつての「オーラル・コミュニケーション」や「ライティング」の検定教科書の著者として、また研究会や学会、シンポジウム等では、日本を代表する英語教師や研究者の方と仕事をしてきました。その数多の英語教師の中で、「この人の英語はずっと聞き続けていたい」と思わせてくれる音声の主が河村先生でした。
 私は、北海道は帯広という町に生を受け高校卒業まで過ごしたのですが、ある日、当時同僚だった河村先生から
— 「自分の育った土地のことば」に何か「音声面・音韻面での特徴」があるか?
と尋ねられたことがあります。
 「音声・音韻」での特徴ということで、私は「幼稚園(ようちえん)」という語のアクセントが、共通語と私の土地のことばとでは違いますね、という返答をして、2種類のアクセントを声で示したと思うのですが、そのことを河村先生はよく覚えておいでで、ご自分のブログ記事に書かれていました。(細井先生も同郷ですので、恐らく、私と同じようなアクセントで「幼稚園」と音声化できるのではないかと思います。)
 河村先生が素晴らしいのは、その前者と後者の「アクセント」の差を、誰もがよく分かる別の語(この原稿のタイトルにある2語です)を引き合いに出して示されていたことです。英語教師である前に、自分の母語を良く知っておくこと、そして教師たるもの「具体例」の引き出しが豊かであり、要所要所で「典型例」を示せることが大事だと、再認識させてくれるエピソードです。

 私の英語の授業でいえば、典型例とも言える「持ちネタ」のひとつに、untiedなどの他動詞の過去分詞由来の形容詞の指導があります。
— 「制服のリボンを結ぶのがtie 、結ばれた状態が tied。結んであるものを解くのがuntie。untie されると、untiedで安泰だ」
というものです。unanswered 「答えのない;返事がない」などの形容詞では、answerからansweredという分詞形容詞がまず作られ、その対義概念として、unansweredができる、という語形成なのに対して、tieの場合は、動詞の段階で反意語のuntieが存在しますから、do対undoのように、一度したことを元に戻す動詞の対があるよ、という注意喚起で使っています。

 COVID-19の対策に関しても最適解が見えにくい unansweredな状態が続いています。その影響が収束して、不安から「解き放たれる」日は、まだ遠いようにも思いますが、新年度の授業に向けては、日々「前向き」に準備して臨みたいと思っています。

本原稿のBGM: 『三百六十五歩のマーチ』 (水前寺清子)

 

 

【プロフィール】松井 孝志(まつい たかし)

北海道帯広市出身。東京外国語大学卒業後、都立高校教諭、都内私立高校教諭などを経て、現在はフリーランスの英語講師。ライティング指導、評価を専門としている。主な著書に『パラグラフ・ライティング指導入門』(2008年、大井恭子・田畑光義と共著;大修館書店)、『学習英文法を見直したい』(2012年、大津由紀雄監修、共著;研究社) など。「英語の講師が学びたい講師」として各種セミナーでも活躍。近年では文字指導のワークショップも手がけている。
日本スポーツ協会ボートコーチ4資格を持ち、東京外国語大学大学、山口県のチームで競技力向上に尽力。プライベートではフィギュアスケートの大ファンでもある。
座右の銘は「群れるな、連なれ」。

 

英語のオシゴトと私 第12回 ―浅野享三
ゴーホン!といえばのど飴,ではなく・・・

2020年2月17日|英語のオシゴトと私

 敬愛する東京の前田隆子先生からバトンを受けました。かつて陸上競技部で短距離を走っていましたので,円滑なバトンの受け渡しがレースを左右することは承知です。バトンを落とさぬように,まずは隆子先生と同様に私もNHKラジオ英語講座から始めます。私が中学生の頃は,誰にでもできる学習方法はラジオ講座だけでした。ある時,勉強がよくできる同級生のノザワ君が,その秘訣を「ラジオ講座」と教えてくれました。振り返ると不思議です。あのイガグリ頭の子との会話がなければ,ラジオ講座との出合いはなかったからです。
 お世話になったのは「続・基礎英語」の安田一郎先生とマックス・E・ラッシュ先生でした。放送の聴き取り問題で Max E. Lash or Rash と尋ねられたので記憶があります。“Hello, everybody! Let’s begin our English lesson.” で始まりました。everybody の発音がやや英国風だったなと,後に気がつきました。私のラジオ講座熱はその後も長く続き,松本亨先生の「英語会話」に心酔し,フランス語は朝倉季雄先生や丸山圭三郎先生のご担当でした。そしてスペイン語とロシア語もかじり,今でも発音の基礎は身に付いています。

 ところでその後,心理学の授業で動機付けには intrinsic と extrinsic の両面があることを学びました。外国語学習に関する限り,私のはほぼ完全な intrinsic motivation による自己決定の成果です。現在大学で担当する英語科指導法の授業では『どちらの動機付けも必要で,時に外発的な方が「好結果」が期待できることがある』などと論じています。しかし,現在の英語教育の課題の1つは,学習者自身が心から「英語が知りたい,読みたい,話したい」と思わされる原体験の無さに起因するのではないか,と思っています。
 何故それほどまでに私は,英語が知りたい,読みたい,話したいと切望したのか。中・高時代を振り返ると,生家が八百屋だったからだと確信します。若い世代の方は「八百屋」を知らないはずですが,親の営んでいた八百屋は,果物,野菜,鮮魚を含めた生鮮食料品など,食べられるものはほぼ全て取り扱う地域の繁盛店でした。私は子どもの頃,ダイコンやキャベツに囲まれて暮らしていたので,英語学習とは無縁のはずでした。しかし,買い物に来た外国人が,私を英語という異文化に導くきっかけを作りました。

 小学生時分の記憶では,名古屋にはまだ駐在外国人キャンプが街中にあり,父母はその近くに店を構えていました。時々お手伝いさんのような日本人女性が来店し,注文だけして帰っていく仕組みだったようです。ある日父に「配達を手伝え」と言われてついて行くと,そこで目にしたのは,白いフェンスに,濃い緑の芝生,そして水をたたえた真っ青のプールでした。中には大人の背丈より高いくらいの冷蔵庫があり,その前に父が届け物を置きました。生家の周辺からは想像すらできない異次元空間に,ただただ興奮するばかりでした。
 中2の夏の夕方,階上にいた私に,母が「外人が来て,何か言っとる!分からん。聞いてくれ」と叫びました。店に降りて行くと,1人で買い物に来た大柄な白人女性が「ゴーホン,ゴーホン」と繰り返していました。見せられたメモには “Gohon”とあったものの,理解できないままでした。すると買い物中だった近所の大学生のショーちゃんが,いきなり「ゼアリズノー」と言ったら,その女性は「オー」と発して帰っていったのです。ショーちゃんに聞くと,「ゴハンのことと思った」と打ち明けてくれました。
 Gohon からゴハンと推測したショーちゃんはさすがに優秀な大学生でした。単語の意味が不明でも,食料品を扱う店という文脈から推測することは可能でしたから。その時は ゼアリズが There is の発音だったことを気に留めなかった私ですが,教師になって,それが英国英語風の発音だったと気づきました。当時はまだ英国風が目立つ時代でした。また,正にこの瞬間こそ,私が初めて生きた英語による interaction に遭遇した瞬間でもありました。わずか3音節だけの,日本語ではない音声が人を動かすことを経験しました。

 50年前を振り返るとその瞬間こそが,この道に進んだ自分の中のビッグバンの始まりでした。本屋でテキストを買い,めくっても読めない英語にワクワクしました。安田先生のおかげで自己流発音が改善し,LとRの違いを克服し,east と yeast の違いも得意になりました。松本先生と講師のやり取りを細大漏らさずに聴き,“Other wives may have other secrets. But mine is, I look my best before him, and let him think that I am the best cook in the whole world.”などと,夫婦円満の秘訣を一度の放送で長期記憶に留めてしまうほどでした。
 親や先生から言われたわけでも,入試のためでもなく,ただ聴きたいから聴き続けました。高校の実力テストで学年トップの成績だと知っても,大して感動もなく「へえー」と内心で喜んだ程度でした。時が流れてやがて親になり,ラジオ講座をわが子に試しました。しかし長女は3年間,次女は2年間で挫折し,長男はテキストを購入しただけでした。結果,内発的な動機付けなど軽々に期待できないと実感するに至りました。外国語に好奇心を持たせてくれた神様に感謝です。

 

【プロフィール】浅野 享三(あさの けいぞう)
「けい」の漢字を口頭で伝えるのに苦労する。享保の改革,はまず理解されない。享受か享楽の「きょう」で,理解度約50%。イライラするので享年の「きょう」と言い換えても,100%は無理。「享」の字を英語で説明するときはenjoyと同じ意味,としている。「享年」とは人生をenjoyし終えた年のことか,と納得の向き多し。
南山国際高校・中学教諭・南山短期大学講師を経て,現南山大学外国語学部教授。愛知県出身。

英語のオシゴトと私 第11回 ―河村和也
若林先生と作ったテスト

2019年12月27日|英語のオシゴトと私

 県立広島大学の河村和也です。「教師生活25年」と聞いて『ど根性ガエル』の町田先生の顔を思い浮かべることのできるのはわたしと同世代の方々ですが、そんなわたしも教師生活30年を数えることとなってしまいました。中学校・高等学校の教員として15年を過ごし、思うところがあって大学院に学び、そのあとは大学の非常勤講師として暮らす日々が続きました。東京に生まれ育ったわたしですが、広島の大学に勤務することになり、もう3年が経とうとしています。今年、『英語教育』(大修館書店)の5月号にわたしの30年間を振り返る文章を掲載していただきました。ご興味がおありでしたら、お読みいただければ幸いです。
 さて、今回は白梅学園の細井俊克先生からバトンタッチを受けました。細井先生とは不思議なご縁をいただき今日に至っています。何を書いたものかとずいぶん考えましたが、細井先生との共通の恩師である若林俊輔先生(1931-2002)のことを書こうと思います。
 お若い方は、若林俊輔という名前になじみがないかもしれません。70歳で亡くなられて間もなく18年になりますが、1980〜90年代を中心に、日本の英語教育について積極的に発言された方です。最近、先生が雑誌等に書き残された数多くの文章から主だったものを採録した書物も出版され、その主張の内容があらためて注目されています。『英語は「教わったように教えるな」』(研究社、2016年刊)などわたしの関わらせていただいたものもありますので、ぜひ一度お手に取っていただければありがたく思います。
 若林先生の経歴をたどると、大学の卒業と同時に東京都文京区立第六中学校の教員となり、ELEC(当時は日本英語教育研究委員会、後に財団法人英語教育協議会)に主事補として移られました。その後、群馬工業高等専門学校、東京工業高等専門学校、東京学芸大学を経て東京外国語大学に転ぜられています。細井先生とはずいぶん世代差がありますが、ふたりともこの東京外国語大学で若林先生に教えをいただきました。
 先生のお仕事は多岐にわたります。この稿では、お若い頃、特にELECから2つの高専にかけての時期になさったお仕事のうち、世間にあまり知られていないものをご紹介しようと思います。
 それは、ある女性との出会いがきっかけでした。津田塾大学を卒業し母校のLLに勤務されていた三神順子さんとおっしゃる方がELECの事務局に入って来られたのです。若林先生ご自身、還暦記念論文集に「自分史」を書かれる中で、このときの出会いを振り返っていらっしゃいます。
 この女性は渋谷にある中高一貫の女子校にも非常勤講師として勤務されていました。当時の若林先生はLLの設計や運営に強い関心を寄せていらっしゃったこともあり、ELEC退職後は高専に勤務するかたわらその学校に非常勤講師として赴き、現場の中学校の先生たちと共同でリスニングテストを開発されたのです。先生がその学校で仕事をされたのは1964年4月から2年間とうかがっています。
 なぜわたしがそんなことを知っているかというと、わたしもその学校に勤務していた時期があるからなのです。今から20年ほど前のことです。当時もそのテストは「現役で」使われていました。
 三神順子さんは結婚され別の姓を名乗っていらっしゃいましたが、わたしが若林先生のゼミの出身であることを喜んでくださり、よく懐かしい話をしてくださったものです。このリスニングテストのことは「若林先生が作られたテスト」とか「若林先生と作ったテスト」とおっしゃっていたように思います。
 当時すでに考案から30年を経ていましたが、今思い出してもなかなか面白いものでした。テストの現物が手元に残っていないのが残念ですが、さまざまな問題形式の中で、とりわけ印象に残っているものをひとつご紹介しましょう。
 いわゆる定期試験です。生徒には問題と解答用紙が配られます。生徒の問題には、次のように印刷されています。

    1. at    2. of    3. to    4. with

 わたしたち教員は3人体制で放送室にいるのですが、この問題のときにはマイクに向かって次の英文を読み上げます。

       Meet me in front ♪ the library at 4 o’clock.

 放送室には鉄琴があります。放送の始めと終わりに「ピンポンパンポン」と鳴らすあの楽器です。チャイムとかビブラとも呼ぶそうですが、この英文の ♪のところで、これを1回だけたたくのです。3人で放送室にいたのは、読み上げる係と鉄琴を叩く係、それにタイムキーパーが必要だったからです。緊張の生放送でした。タイミングをはずすわけにはいきません。50分の試験時間のうち30分ほどを使ったテストでしたが、終わるとぐったりしていたことを思い出します。
 この問題に出会ってから20年。類似の出題形式を見たことがありません。もっとも、それは「寡聞にして知らない」ということなのかもしれません。インターネットの世界に発信する機会を得ましたので、この試験の由来等についてご専門のみなさまからご教示いただければ幸いです。
 最後にもうひとつ思い出したことがあります。このテストは「リスニングテスト」や「ヒアリングテスト」ではなく「ラボ」のテストと呼ばれていました。語学ラボラトリーの「ラボ」です。この響きに、この問題が作られたであろう1960年代半ばの英語教育の様子がしのばれるように思います。
 英語教育の歴史に関心を寄せ研究のテーマとするようになったわたしですが、若林先生ご自身のお仕事について詳しくうかがうことはほとんどありませんでした。恩師が30代の頃に作られたリスニングテストのことを思うにつけ、そのことが悔やまれてなりません。英語教育史研究は先生がわたしに与えてくださった大きな宿題です。派手なところのない仕事ですが、今後も一歩ずつ進めて行きたいと思っています。


【プロフィール】河村 和也(かわむら・かずや)
県立広島大学総合教育センター准教授。専門は英語教育史。
東京都足立区出身、広島県庄原市在住。
主だった著作に、『外国語活動から始まる英語教育:ことばへの気づきを中心として』(あいり出版、2014)、『英語は「教わったように教えるな」』(研究社、2016)がある(いずれも共著)。
日本英語教育史学会理事、日本英学史学会中国・四国支部理事、語学教育研究所評議員、庄原市教育事務評価検討委員。
趣味は舞台鑑賞。OSK日本歌劇団と宝塚歌劇団の大ファン。