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英語のオシゴトと私 第17回―丸山大樹
ぼくはただ、おいしいラーメンが食べたいだけなんだ

2020年10月26日|英語のオシゴトと私

 自分は英語教員になるべきではなかった。この職に就いてもうすぐ20年になろうとしている今でもよくそう思う。
 親が教員だったせいか、何となく自分は教員になるものだと思っていた。特に勉強熱心でもなかったし、周囲からの人望があったわけでもなかったのに、ただ、何となく。案の定、大学の教職課程では、担当の先生に「君みたいな人がなぜ教員になろうとするのか理解できない」と言われ、教育実習の研究授業では、「こんなひどい授業は初めて見た」と言われた。でも当時は、若かった。少しだけ落ち込みもしたが、そのうちなんとかなると思っていた。
 大学を卒業後、母校で非正規の講師として働きはじめた。生徒たちは皆優しかったので、面と向かって厳しい評価を聞いたりはしなかったが、自分自身はよくわかっていた、この授業ではダメだ。教育実習で酷評された授業と、そう変わらない授業を毎日繰り広げていた。ラーメンは放っておけばのびるが、英語教員は放っておいても伸びなかった。そして当時(2000年代初頭)は、様々な面で学校に「余裕」が残っている頃で、同僚には「別に講師がいなくても学校は回るけどね」と軽く言われたし、インターネット上には「教員がつらいなら辞めればいい。代わりはいくらでもいる」という声が散見された。
 最初の2年は何回か辞めてしまおうかとも思った。しかし、曲がりなりにもプロになった以上、そして、結婚をして新たな家族が増えたこともあって、なんとかしなければならないと思い、とにかく勉強をすることにした。TOEICや英検など英語の資格試験も何度か受けて、人様から文句を言われない程度の点数も取った(その節は旺文社の参考書に大変お世話になりました)。また、授業を少しでも良くしようと、専門書や実践家のブログを読み漁り、授業理念やテクニックを学んだ。
 しかし、勉強すればするほど、英語と授業は奥が深く、上には上がいることを思い知った。全国には、英語でも授業でも「怪物」のようなすごい人がたくさんいることがわかった。その中の1人が、松井孝志さんだ。松井さんの圧倒的な英語力に裏打ちされた緻密な授業実践は、例えるなら材料一つ一つにこだわる職人が作った塩ラーメンのようだ。おいしいラーメンがあれば食べに行ってみたいと思うように、松井さんに会ってみたいと思ったことは自然な流れだった。東京で行われたセミナーで松井さんから直接ライティングの指導を受けた。その後、松井さんが主催した「山口県英語教育フォーラム」に2回参加し、この原稿の執筆を紹介していただいた好村直子さんともお会いした(好村さんとは2019年末に開かれた松井先生の文字指導セミナーで数年ぶりに再会し、一緒に激辛ラーメンを食べに行った)。
 他にも、英語教育学会や大学の先生や企業が企画する勉強会にも参加した。また、何年か前には自分も県内の研究会のまとめ役になった。素晴らしい授業実践や英語教師たちに出会うことを10年ほど繰り返し、顔は広くなったが、やはり授業はそんなに上手くならないし、英語もできるようになったとは全く思わない。
 それでも時々、「英語の授業が楽しみです」とか、「先生のおかげで英語が苦手じゃなくなりました」とか(気を遣って)言ってくれる生徒がいて、たまらない。「授業をやるのが難しいです。怖いです」と言う若手教員に、「大丈夫、俺も20年経ってもそうだから」と何が大丈夫か全くわからないアドバイスしかできない中堅教員だが、これからもきっと退職まで、授業と英語を恐れ(畏れ)ながら、勉強し続けるのだと思う。
 何人もの仲間が、現場を去った。教員を取り巻く状況は、以前とは比べ物にならないくらい厳しい(上からもいろんなものが降ってくる)。自分が良い教員だと思える日は来なくても、いないよりはマシだということに確固たる自信を持って、おいしいラーメンを食べながら頑張っていきたい。

 

 

【プロフィール】丸山 大樹(まるやま・ひろき)
1979年長野県大町市生まれ、飯山市育ち、雪国のやつはだいたい友達。中央大学文学部英米文学専攻で八王子ラーメンの研究に没頭し、卒業後、長野県立高校英語科教員として飯山照丘高校、飯山北高校、阿南高校に赴任し県内のラーメンを食べ歩く。2016年から飯山高校勤務。昨年度は夏の野球部甲子園出場で泣き、3月の卒業式でクラスを送り出して泣き、この4月からは教務主任という罰ゲームを課せられ毎日泣いている。でも、気の良い生徒や保護者の皆様、愉快な同僚に囲まれ、涙の数だけ強くなれるよ。長野県教育文化会議外国語研究会会長、新英語教育研究会長野県事務局長。

英語のオシゴトと私 第16回―工藤泰三
色覚異常が英語教師になるきっかけに…?

2020年9月7日|英語のオシゴトと私

 「お前は色弱だから理系は無理だ」・・・これは私が高校3年生の時にミシン屋兼電気屋の父から言われた言葉です。この言葉がなければ、今ごろ私は英語教育には携わっていなかったかもしれません。
 私が将来の職業として教職を意識し始めたのは16歳のころでした。小さいころはプロ野球選手、小学校中学年あたりではなぜか印刷業、中学で吹奏楽を始めてからはテューバ吹き、高校でバンドを始めてからはベーシストなど、いろいろな「将来の自分」を想像しながら高2の夏を迎えました。
 その時ふと思い出したのが、中学のころ友人と定期試験前によくやっていた勉強会です。比較的成績の良かった私はいつも指導役になり、父の店の事務所に集まった友人たちとともに夜遅くまで(時には朝まで)勉強していました。成果がどれほどあったのかはよくわかりません(どちらかというと、単にみんなで集まって遅くまでワチャワチャやるのが楽しかったのでしょう)が、教えることで自分自身の理解を確認することができましたし、試験が終わった後に友人から「助かったよ、ありがとう」なんて言われると「あ、そう?」なんてそっけない振りをしながら内心喜んだりしていました。
 その思い出に導かれるように教職を目指すことにした私でしたが、問題なのは「どの教科の教員になるか」ということでした。当時の私はバンド活動にうつつを抜かしっぱなしだったので、成績も超低空飛行、得意な科目などありません。志望する教科は高3になってから考えることとし、とりあえず高3は文系の日本史選択にし、あわせて自由選択で地学を履修することにしました。地学を選択したのは、国立大学受験には理科のいずれかの科目を共通一次試験で選択する必要があり、私の高校では地学だけが高3の授業で全範囲をカバーしてくれる理科科目だったから、という切羽詰まった理由からでした。ところがこの地学、勉強しだすと面白くて面白くて、いくら学んでいても全く苦痛に感じることはありませんでした。模試の成績も地学だけは全国トップレベル(と言っても受験者数はいつも他科目に比べ圧倒的に少なかったですが)になり、調子に乗った私は「よし、地学の教員を目指そう」と決心し、両親にもそう伝えたのでした。
 ・・・そこで返ってきたのが冒頭の父の台詞です。今でこそ色覚異常で職業適性を判断することはほとんどないでしょうが、当時はまだ学校の健康診断でもしっかり色覚検査をしていた時代で、色覚は今よりも重視されていました。電気回路に使う抵抗器も表面に塗られた色の組み合わせで抵抗値を表示しているし、地学分野でも星の色によってその表面温度を判断するなど、理系の分野では確かに色覚は文系の諸分野より大事なのかもしれません。私は半ばポカーンとしながらようやく「あ、そ、そうか・・・」と返事をしたのを覚えています。
 その後私は、きわめて粛々と、模試の成績が地学に次いで良かった英語の教師を目指すことを選択し、教育学部の中学校教員養成課程英語専攻に進みました。英語の教師になった人の多くはきっと、英語の魅力や面白さに惹かれてその道を選ばれたことと思いますが、そんなわけで私はそれには当てはまらないタイプの英語教師なのです。ときどき「こんな私が英語を教えるような仕事をしていていいものだろうか」と疑問に感じることもありますが、英語という言語を単に「かっこいい」とか「おしゃれ」とかという目で見ることなく若干の距離を置いて見られる点、「英語は苦手/嫌い」という生徒・学生に対し英語の道具的有用性を超えた視点で英語の学習意義を語れる点などは、かえって利点なのかもしれません。
 そんな私が最近研究の中心に据えているのが内容言語統合型学習(Content and Language Integrated Learning: CLIL)です。英語と地球的課題(global issues)を絡めて扱い、生徒・学生の高次思考を高めながら地球市民意識を涵養することをねらいとした授業実践を行っています。やはりどうやら私は、英語そのものを対象とした学習(教授)よりも、地学のように学際的要素を持った学習(教授)の方が好きなようです。

 

【プロフィール】工藤 泰三(くどう・たいぞう)
桜丘中学・高等学校(東京)英語科教諭、筑波大学附属坂戸高等学校外国語科教諭を経て、現在は名古屋学院大学国際文化学部准教授。横浜国立大学教育学部卒業、Saint Michael’s College MATESL Program修了。日本CLIL教育学会(J-CLIL)西日本支部副支部長、外国語教育メディア学会(LET)中部支部事務局長などを務める。

英語のオシゴトと私 第15回―好村直子
子供の世界を歩む

2020年7月14日|英語のオシゴトと私

 そぼ降る雨が連想される梅雨ですが、今年は豪雨と晴天を繰り返し、足早に夏へと季節を進めているように感じられます。休校中に植えたアサガオが教室のベランダに花を添えています。そして、お世話になった方々や友人の暮らしを気に留めながら、少しずつ日常を取り戻しています。

 松井孝志先生からエッセイのお話をいただいたのは、休校のまま3学期の修了式を迎えた3月でした。まだ県内ではCOVID-19の感染者が確認されていないものの、ニュースサイトで他国の状況を知るたびに、世界の形はどうなっていくのかと、心が恐怖で満たされていた頃でした。リレー記事のそうそうたる執筆陣に、場違いではないかとの思いもありましたが、「いろいろなバックグラウンドで英語教育に携わっている人がいることを知ってもらいたい」とのお言葉に、お受けすることにしました。リレー記事のバトンだけでなく、松井先生から教わったことが、日々子供たちと向き合う私の中に生き、同僚へ伝播していると言っても過言ではありません。それに、2014年に初めてお会いしてからというもの、松井先生には英語そのものから、教師としての姿勢に至るまで、多くの教えをいただいています。中でも昨年末に受講した、文字指導・handwriting指導法セミナーで得たことは、今年度の私の柱となっています。

 大学卒業後に高校で英語教師として13年間勤めた後、ご縁があり、現在はイマージョン教育を取り入れている小学校に勤務しています。児童は、English、Math(4年生まで算数の授業時数の半分を英語で行っています)、Art、P.E.を英語で学習しており、私はイマージョン科目には補助教員として関わっています。

 勤めて仕事に少しずつ慣れてきた頃、「高校生と比べて小学生はどうか」と同僚から尋ねられることがあり、興味の対象や学習姿勢が異なることを熱っぽく語ったのを今でも覚えています。ある児童が鹿の絵を描き、その説明を英語でしようとした時に、それがdeerではないと訴えてきたのです。彼が求めていた語はmoose。ヘラジカの角のカッコよさを伝えたかったのです。死刑制度や税制度、環境問題について語ることはないけれど、彼らには語りたい彼らの世界があり、そしてそのために必要な語を私がそんなに持ち合わせていないことに気づいた瞬間でした。それからというもの、児童用のリーディング教材を読むことを習慣にしています。
 また、2年生から英語日記を書かせていますが、4月から6月の終わりまで、“I like ….”の文を毎週3文ずつ書き続けた女の子がいました。担当教員とどうしたものかと、彼女のノートを前に指導法について話し合いを重ねているうちに7月になり、彼女が嬉しそうに持ってきたノートには、“I went to ….”と書かれていたのです。それからは毎週やったことや行った場所、食べたものについて書き続け、5年生になった現在も日記に日々の出来事や感じたことを綴っています。英語で書く自信を子供が持てるまで、焦らずに待つ姿勢が大切だと身をもって学びました。

 今年度は初めて1年生の担任となり、子供たちの「やりたい!知りたい!学びたい!」気持ちが満ちあふれた教室で、奮闘しています。まさに文字指導の入り口です。松井先生の文字指導のセミナーで学んだことは、国語の指導にも生きています。鉛筆の持ち方、書く時の姿勢、書き始め、とめ、はらいなど、一つひとつのステップを一緒に確認していきます。小さな手で鉛筆をぎゅっと握って力を入れすぎてしまう子には、指の置き場が分かりやすい鉛筆を用意したり、文字を絵のように認識してしまう子には、書き順やどの部分をどの場所に書くかを番号で示したりといった個々の配慮が欠かせません。そして、英語の文字指導でも、ひらがなの学習と同じように、子供たちに見せるフォントを揃え、絵と音と文字を繋げていきます。6月半ば現在、Jolly Phonicsのグループ1“s, a, t, i, p, n”を終えたところですが、絵を見てそれが表す語を言うことができても、文字を読んで発音するには十分な時間が必要だと感じています。

 マスクと消毒とソーシャル・ディスタンスが合言葉になっていますが、世界の形が変わっていく中で、音を束ね、言葉を束ねて学んでいく子供たちとの日々の暮らしを、より鮮やかに色づけられるように、努力を重ねていきたいと考えています。

 

 

【プロフィール】好村 直子(よしむら・なおこ)

岡山県在住。私立高校教諭を経て、現在は就実小学校教諭。趣味は旅行、ミュージカル・演劇・映画・音楽鑑賞ですが、最近では何をするにも難しいので、スパイスカレー作りを始めました。