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英語のオシゴトと私 第18回―村上裕美
素敵な外国の方々との出会い

2021年1月20日|英語のオシゴトと私

 大学で英語および英語教育を指導させていただく今の私にとって、振り返ってみると、幼少期の体験が原点となっています。
 私が初めて外国語として英語に接する機会を得たのは、幼稚園の時でした。ベルギー人の神父様が知人の家から我が家にいらっしゃることになり、私が知人の家から自宅に着くまでご案内したときのことを、今も鮮明に記憶しています。自宅につくまでの分かれ道や曲がり角のたびに、神父様が私の顔を優しい笑顔で見つめてくださり、進む方向を指で訪ねてくださる。その時に、指で示して答えると、“Oh, good girl.” や “Left?”,“Right!”,“This way?” などと繰り返し言って、コミュニケーションをとってくださいました。その声の調子や、温かい眼差しから、違う言葉でも理解してもらえること、なんだかわからないけれど、褒めていただいていることを全身で感じた日となりました。神父様の繰り返し発しておられた言葉が耳に残り、その日以来、神父様の英語のフレーズを反復して口にしていたそうです。このささやかな経験が、英語という言葉が私にとり身近で、ある種の自己肯定感を持つことができる言葉となりました。
 中学校の3年間は、姉妹都市交流でアメリカから日本に留学中の方と家族ぐるみの交流があり、私の茶道や華道のお稽古にお連れして、拙いながら通訳したり様々な場所に出かけていたことから、私にとって、英語は学習対象ではなく、言葉が異なる方と交流できる大切な言語として位置付けられていました。高校の3年間は、毎週土曜日に、日本赤十字社大阪支部主催のLanguage Schoolでアメリカ人講師による、発音指導はもとより、英語漬けのオーラル指導やディベートなど、通常の高校での英語学習では受けられない英語教育を受けることができました。この時のアメリカ人講師の先生の指導法や教育への情熱、このあとの私の人生に大きな影響を与えることになります。大学生になると、Language Schoolで受けた教育を活かし、社会貢献する活動として日本赤十字社大阪支部の語学奉仕団に参加しました。通訳ガイド班に所属し、主にツアーガイドを行い、多くの国々の方々と交流させていただく機会を得ました。このころから、大学卒業後の進路を考え、通訳や外国語を使うことが求められる外資系企業への就職も考えていました。しかし、大学4年生の教育実習の経験が私の進路を大きく変えるきっかけとなりました。
 高校での教育実習の期間、参観させていただく英語の授業で机に伏して寝る人が多く、興味関心が持てない気持ちを全身で表わす人があまりに多かったことに衝撃を受けました。私は、英語を学ぶことが大好きだったことから、その反対側の人の気持ちに初めて向き合う機会になりました。一人でも英語嫌いの人をなくしたいと願う気持ちがむくむくと湧き上がり、Language Schoolで出会った生涯の恩師のような指導がしたいと願うようになりました。大学院に進学と同時に、ご縁をいただき、公立高校と私立高校にて英語非常勤講師を3年間務めさせていただく中で、自分にできることの小ささを痛感するとともに、教員の育成が重要であると痛感しました。大学院を修了後、現職の関西外国語大学にて教壇に立たせていただき、様々な種類の授業を担当させていただきながら、まず自分が、学習者のニーズに応え、学びがいのある授業を提供できるよう、日々努力しています。また、英語教員育成の任においては、英語学習の楽しさや異文化理解の楽しさを指導できる教員の育成に励んでいます。
 英語が大好きで、英語を使うことが生活の一部になっていた時には、思いもしなかった英語教師というお仕事につかせていただいていることを、感慨深く思うと同時に、大好きな英語に関われる喜びを噛み締めています。そして、教育実習の際に決意した思いをしっかり胸に刻みながら、次代を担う英語教員育成という責任を遂行できるよう努力しています。ベルギー人神父様との出会いから始まった英語とのわり。そのような素敵な出会いを生徒・児童の皆さんにも経験してもらいたい、そして英語への関心を持ち続けてもらいたいと願っています。

 

【プロフィール】村上 裕美(むらかみ・ひろみ)
関西外国語大学短期大学部英米語学科准教授。大谷女子大学大学院文学研究科英語学英米文学専攻博士後期課程修了(単位修得修了、文学修士)。2011年熊本学園大学大学院国際文化研究専攻博士後期課程修了(単位修得終了)。専門は、文体論および英語授業学研究。2006年~2015年日本リメディアル教育学会関西支部長。代表的な著書としては、『学びのデザインノート:MH式ポートフォリオ 大学英語学習者用』(単著、ナカニシヤ出版、2012)、『大学教員のためのFD手帳:MH式ポートフォリオ 大学教員用』(ナカニシヤ出版、2013)、『英語授業学研究の最前線 JACET応用言語学研究シリーズ1』(ひつじ書房、2020)など。

英語のオシゴトと私 第17回―丸山大樹
ぼくはただ、おいしいラーメンが食べたいだけなんだ

2020年10月26日|英語のオシゴトと私

 自分は英語教員になるべきではなかった。この職に就いてもうすぐ20年になろうとしている今でもよくそう思う。
 親が教員だったせいか、何となく自分は教員になるものだと思っていた。特に勉強熱心でもなかったし、周囲からの人望があったわけでもなかったのに、ただ、何となく。案の定、大学の教職課程では、担当の先生に「君みたいな人がなぜ教員になろうとするのか理解できない」と言われ、教育実習の研究授業では、「こんなひどい授業は初めて見た」と言われた。でも当時は、若かった。少しだけ落ち込みもしたが、そのうちなんとかなると思っていた。
 大学を卒業後、母校で非正規の講師として働きはじめた。生徒たちは皆優しかったので、面と向かって厳しい評価を聞いたりはしなかったが、自分自身はよくわかっていた、この授業ではダメだ。教育実習で酷評された授業と、そう変わらない授業を毎日繰り広げていた。ラーメンは放っておけばのびるが、英語教員は放っておいても伸びなかった。そして当時(2000年代初頭)は、様々な面で学校に「余裕」が残っている頃で、同僚には「別に講師がいなくても学校は回るけどね」と軽く言われたし、インターネット上には「教員がつらいなら辞めればいい。代わりはいくらでもいる」という声が散見された。
 最初の2年は何回か辞めてしまおうかとも思った。しかし、曲がりなりにもプロになった以上、そして、結婚をして新たな家族が増えたこともあって、なんとかしなければならないと思い、とにかく勉強をすることにした。TOEICや英検など英語の資格試験も何度か受けて、人様から文句を言われない程度の点数も取った(その節は旺文社の参考書に大変お世話になりました)。また、授業を少しでも良くしようと、専門書や実践家のブログを読み漁り、授業理念やテクニックを学んだ。
 しかし、勉強すればするほど、英語と授業は奥が深く、上には上がいることを思い知った。全国には、英語でも授業でも「怪物」のようなすごい人がたくさんいることがわかった。その中の1人が、松井孝志さんだ。松井さんの圧倒的な英語力に裏打ちされた緻密な授業実践は、例えるなら材料一つ一つにこだわる職人が作った塩ラーメンのようだ。おいしいラーメンがあれば食べに行ってみたいと思うように、松井さんに会ってみたいと思ったことは自然な流れだった。東京で行われたセミナーで松井さんから直接ライティングの指導を受けた。その後、松井さんが主催した「山口県英語教育フォーラム」に2回参加し、この原稿の執筆を紹介していただいた好村直子さんともお会いした(好村さんとは2019年末に開かれた松井先生の文字指導セミナーで数年ぶりに再会し、一緒に激辛ラーメンを食べに行った)。
 他にも、英語教育学会や大学の先生や企業が企画する勉強会にも参加した。また、何年か前には自分も県内の研究会のまとめ役になった。素晴らしい授業実践や英語教師たちに出会うことを10年ほど繰り返し、顔は広くなったが、やはり授業はそんなに上手くならないし、英語もできるようになったとは全く思わない。
 それでも時々、「英語の授業が楽しみです」とか、「先生のおかげで英語が苦手じゃなくなりました」とか(気を遣って)言ってくれる生徒がいて、たまらない。「授業をやるのが難しいです。怖いです」と言う若手教員に、「大丈夫、俺も20年経ってもそうだから」と何が大丈夫か全くわからないアドバイスしかできない中堅教員だが、これからもきっと退職まで、授業と英語を恐れ(畏れ)ながら、勉強し続けるのだと思う。
 何人もの仲間が、現場を去った。教員を取り巻く状況は、以前とは比べ物にならないくらい厳しい(上からもいろんなものが降ってくる)。自分が良い教員だと思える日は来なくても、いないよりはマシだということに確固たる自信を持って、おいしいラーメンを食べながら頑張っていきたい。

 

 

【プロフィール】丸山 大樹(まるやま・ひろき)
1979年長野県大町市生まれ、飯山市育ち、雪国のやつはだいたい友達。中央大学文学部英米文学専攻で八王子ラーメンの研究に没頭し、卒業後、長野県立高校英語科教員として飯山照丘高校、飯山北高校、阿南高校に赴任し県内のラーメンを食べ歩く。2016年から飯山高校勤務。昨年度は夏の野球部甲子園出場で泣き、3月の卒業式でクラスを送り出して泣き、この4月からは教務主任という罰ゲームを課せられ毎日泣いている。でも、気の良い生徒や保護者の皆様、愉快な同僚に囲まれ、涙の数だけ強くなれるよ。長野県教育文化会議外国語研究会会長、新英語教育研究会長野県事務局長。

英語のオシゴトと私 第16回―工藤泰三
色覚異常が英語教師になるきっかけに…?

2020年9月7日|英語のオシゴトと私

 「お前は色弱だから理系は無理だ」・・・これは私が高校3年生の時にミシン屋兼電気屋の父から言われた言葉です。この言葉がなければ、今ごろ私は英語教育には携わっていなかったかもしれません。
 私が将来の職業として教職を意識し始めたのは16歳のころでした。小さいころはプロ野球選手、小学校中学年あたりではなぜか印刷業、中学で吹奏楽を始めてからはテューバ吹き、高校でバンドを始めてからはベーシストなど、いろいろな「将来の自分」を想像しながら高2の夏を迎えました。
 その時ふと思い出したのが、中学のころ友人と定期試験前によくやっていた勉強会です。比較的成績の良かった私はいつも指導役になり、父の店の事務所に集まった友人たちとともに夜遅くまで(時には朝まで)勉強していました。成果がどれほどあったのかはよくわかりません(どちらかというと、単にみんなで集まって遅くまでワチャワチャやるのが楽しかったのでしょう)が、教えることで自分自身の理解を確認することができましたし、試験が終わった後に友人から「助かったよ、ありがとう」なんて言われると「あ、そう?」なんてそっけない振りをしながら内心喜んだりしていました。
 その思い出に導かれるように教職を目指すことにした私でしたが、問題なのは「どの教科の教員になるか」ということでした。当時の私はバンド活動にうつつを抜かしっぱなしだったので、成績も超低空飛行、得意な科目などありません。志望する教科は高3になってから考えることとし、とりあえず高3は文系の日本史選択にし、あわせて自由選択で地学を履修することにしました。地学を選択したのは、国立大学受験には理科のいずれかの科目を共通一次試験で選択する必要があり、私の高校では地学だけが高3の授業で全範囲をカバーしてくれる理科科目だったから、という切羽詰まった理由からでした。ところがこの地学、勉強しだすと面白くて面白くて、いくら学んでいても全く苦痛に感じることはありませんでした。模試の成績も地学だけは全国トップレベル(と言っても受験者数はいつも他科目に比べ圧倒的に少なかったですが)になり、調子に乗った私は「よし、地学の教員を目指そう」と決心し、両親にもそう伝えたのでした。
 ・・・そこで返ってきたのが冒頭の父の台詞です。今でこそ色覚異常で職業適性を判断することはほとんどないでしょうが、当時はまだ学校の健康診断でもしっかり色覚検査をしていた時代で、色覚は今よりも重視されていました。電気回路に使う抵抗器も表面に塗られた色の組み合わせで抵抗値を表示しているし、地学分野でも星の色によってその表面温度を判断するなど、理系の分野では確かに色覚は文系の諸分野より大事なのかもしれません。私は半ばポカーンとしながらようやく「あ、そ、そうか・・・」と返事をしたのを覚えています。
 その後私は、きわめて粛々と、模試の成績が地学に次いで良かった英語の教師を目指すことを選択し、教育学部の中学校教員養成課程英語専攻に進みました。英語の教師になった人の多くはきっと、英語の魅力や面白さに惹かれてその道を選ばれたことと思いますが、そんなわけで私はそれには当てはまらないタイプの英語教師なのです。ときどき「こんな私が英語を教えるような仕事をしていていいものだろうか」と疑問に感じることもありますが、英語という言語を単に「かっこいい」とか「おしゃれ」とかという目で見ることなく若干の距離を置いて見られる点、「英語は苦手/嫌い」という生徒・学生に対し英語の道具的有用性を超えた視点で英語の学習意義を語れる点などは、かえって利点なのかもしれません。
 そんな私が最近研究の中心に据えているのが内容言語統合型学習(Content and Language Integrated Learning: CLIL)です。英語と地球的課題(global issues)を絡めて扱い、生徒・学生の高次思考を高めながら地球市民意識を涵養することをねらいとした授業実践を行っています。やはりどうやら私は、英語そのものを対象とした学習(教授)よりも、地学のように学際的要素を持った学習(教授)の方が好きなようです。

 

【プロフィール】工藤 泰三(くどう・たいぞう)
桜丘中学・高等学校(東京)英語科教諭、筑波大学附属坂戸高等学校外国語科教諭を経て、現在は名古屋学院大学国際文化学部准教授。横浜国立大学教育学部卒業、Saint Michael’s College MATESL Program修了。日本CLIL教育学会(J-CLIL)西日本支部副支部長、外国語教育メディア学会(LET)中部支部事務局長などを務める。