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英語のオシゴトと私 第16回―工藤泰三
色覚異常が英語教師になるきっかけに…?

2020年9月7日|英語のオシゴトと私

 「お前は色弱だから理系は無理だ」・・・これは私が高校3年生の時にミシン屋兼電気屋の父から言われた言葉です。この言葉がなければ、今ごろ私は英語教育には携わっていなかったかもしれません。
 私が将来の職業として教職を意識し始めたのは16歳のころでした。小さいころはプロ野球選手、小学校中学年あたりではなぜか印刷業、中学で吹奏楽を始めてからはテューバ吹き、高校でバンドを始めてからはベーシストなど、いろいろな「将来の自分」を想像しながら高2の夏を迎えました。
 その時ふと思い出したのが、中学のころ友人と定期試験前によくやっていた勉強会です。比較的成績の良かった私はいつも指導役になり、父の店の事務所に集まった友人たちとともに夜遅くまで(時には朝まで)勉強していました。成果がどれほどあったのかはよくわかりません(どちらかというと、単にみんなで集まって遅くまでワチャワチャやるのが楽しかったのでしょう)が、教えることで自分自身の理解を確認することができましたし、試験が終わった後に友人から「助かったよ、ありがとう」なんて言われると「あ、そう?」なんてそっけない振りをしながら内心喜んだりしていました。
 その思い出に導かれるように教職を目指すことにした私でしたが、問題なのは「どの教科の教員になるか」ということでした。当時の私はバンド活動にうつつを抜かしっぱなしだったので、成績も超低空飛行、得意な科目などありません。志望する教科は高3になってから考えることとし、とりあえず高3は文系の日本史選択にし、あわせて自由選択で地学を履修することにしました。地学を選択したのは、国立大学受験には理科のいずれかの科目を共通一次試験で選択する必要があり、私の高校では地学だけが高3の授業で全範囲をカバーしてくれる理科科目だったから、という切羽詰まった理由からでした。ところがこの地学、勉強しだすと面白くて面白くて、いくら学んでいても全く苦痛に感じることはありませんでした。模試の成績も地学だけは全国トップレベル(と言っても受験者数はいつも他科目に比べ圧倒的に少なかったですが)になり、調子に乗った私は「よし、地学の教員を目指そう」と決心し、両親にもそう伝えたのでした。
 ・・・そこで返ってきたのが冒頭の父の台詞です。今でこそ色覚異常で職業適性を判断することはほとんどないでしょうが、当時はまだ学校の健康診断でもしっかり色覚検査をしていた時代で、色覚は今よりも重視されていました。電気回路に使う抵抗器も表面に塗られた色の組み合わせで抵抗値を表示しているし、地学分野でも星の色によってその表面温度を判断するなど、理系の分野では確かに色覚は文系の諸分野より大事なのかもしれません。私は半ばポカーンとしながらようやく「あ、そ、そうか・・・」と返事をしたのを覚えています。
 その後私は、きわめて粛々と、模試の成績が地学に次いで良かった英語の教師を目指すことを選択し、教育学部の中学校教員養成課程英語専攻に進みました。英語の教師になった人の多くはきっと、英語の魅力や面白さに惹かれてその道を選ばれたことと思いますが、そんなわけで私はそれには当てはまらないタイプの英語教師なのです。ときどき「こんな私が英語を教えるような仕事をしていていいものだろうか」と疑問に感じることもありますが、英語という言語を単に「かっこいい」とか「おしゃれ」とかという目で見ることなく若干の距離を置いて見られる点、「英語は苦手/嫌い」という生徒・学生に対し英語の道具的有用性を超えた視点で英語の学習意義を語れる点などは、かえって利点なのかもしれません。
 そんな私が最近研究の中心に据えているのが内容言語統合型学習(Content and Language Integrated Learning: CLIL)です。英語と地球的課題(global issues)を絡めて扱い、生徒・学生の高次思考を高めながら地球市民意識を涵養することをねらいとした授業実践を行っています。やはりどうやら私は、英語そのものを対象とした学習(教授)よりも、地学のように学際的要素を持った学習(教授)の方が好きなようです。

 

【プロフィール】工藤 泰三(くどう・たいぞう)
桜丘中学・高等学校(東京)英語科教諭、筑波大学附属坂戸高等学校外国語科教諭を経て、現在は名古屋学院大学国際文化学部准教授。横浜国立大学教育学部卒業、Saint Michael’s College MATESL Program修了。日本CLIL教育学会(J-CLIL)西日本支部副支部長、外国語教育メディア学会(LET)中部支部事務局長などを務める。

英語のオシゴトと私 第15回―好村直子
子供の世界を歩む

2020年7月14日|英語のオシゴトと私

 そぼ降る雨が連想される梅雨ですが、今年は豪雨と晴天を繰り返し、足早に夏へと季節を進めているように感じられます。休校中に植えたアサガオが教室のベランダに花を添えています。そして、お世話になった方々や友人の暮らしを気に留めながら、少しずつ日常を取り戻しています。

 松井孝志先生からエッセイのお話をいただいたのは、休校のまま3学期の修了式を迎えた3月でした。まだ県内ではCOVID-19の感染者が確認されていないものの、ニュースサイトで他国の状況を知るたびに、世界の形はどうなっていくのかと、心が恐怖で満たされていた頃でした。リレー記事のそうそうたる執筆陣に、場違いではないかとの思いもありましたが、「いろいろなバックグラウンドで英語教育に携わっている人がいることを知ってもらいたい」とのお言葉に、お受けすることにしました。リレー記事のバトンだけでなく、松井先生から教わったことが、日々子供たちと向き合う私の中に生き、同僚へ伝播していると言っても過言ではありません。それに、2014年に初めてお会いしてからというもの、松井先生には英語そのものから、教師としての姿勢に至るまで、多くの教えをいただいています。中でも昨年末に受講した、文字指導・handwriting指導法セミナーで得たことは、今年度の私の柱となっています。

 大学卒業後に高校で英語教師として13年間勤めた後、ご縁があり、現在はイマージョン教育を取り入れている小学校に勤務しています。児童は、English、Math(4年生まで算数の授業時数の半分を英語で行っています)、Art、P.E.を英語で学習しており、私はイマージョン科目には補助教員として関わっています。

 勤めて仕事に少しずつ慣れてきた頃、「高校生と比べて小学生はどうか」と同僚から尋ねられることがあり、興味の対象や学習姿勢が異なることを熱っぽく語ったのを今でも覚えています。ある児童が鹿の絵を描き、その説明を英語でしようとした時に、それがdeerではないと訴えてきたのです。彼が求めていた語はmoose。ヘラジカの角のカッコよさを伝えたかったのです。死刑制度や税制度、環境問題について語ることはないけれど、彼らには語りたい彼らの世界があり、そしてそのために必要な語を私がそんなに持ち合わせていないことに気づいた瞬間でした。それからというもの、児童用のリーディング教材を読むことを習慣にしています。
 また、2年生から英語日記を書かせていますが、4月から6月の終わりまで、“I like ….”の文を毎週3文ずつ書き続けた女の子がいました。担当教員とどうしたものかと、彼女のノートを前に指導法について話し合いを重ねているうちに7月になり、彼女が嬉しそうに持ってきたノートには、“I went to ….”と書かれていたのです。それからは毎週やったことや行った場所、食べたものについて書き続け、5年生になった現在も日記に日々の出来事や感じたことを綴っています。英語で書く自信を子供が持てるまで、焦らずに待つ姿勢が大切だと身をもって学びました。

 今年度は初めて1年生の担任となり、子供たちの「やりたい!知りたい!学びたい!」気持ちが満ちあふれた教室で、奮闘しています。まさに文字指導の入り口です。松井先生の文字指導のセミナーで学んだことは、国語の指導にも生きています。鉛筆の持ち方、書く時の姿勢、書き始め、とめ、はらいなど、一つひとつのステップを一緒に確認していきます。小さな手で鉛筆をぎゅっと握って力を入れすぎてしまう子には、指の置き場が分かりやすい鉛筆を用意したり、文字を絵のように認識してしまう子には、書き順やどの部分をどの場所に書くかを番号で示したりといった個々の配慮が欠かせません。そして、英語の文字指導でも、ひらがなの学習と同じように、子供たちに見せるフォントを揃え、絵と音と文字を繋げていきます。6月半ば現在、Jolly Phonicsのグループ1“s, a, t, i, p, n”を終えたところですが、絵を見てそれが表す語を言うことができても、文字を読んで発音するには十分な時間が必要だと感じています。

 マスクと消毒とソーシャル・ディスタンスが合言葉になっていますが、世界の形が変わっていく中で、音を束ね、言葉を束ねて学んでいく子供たちとの日々の暮らしを、より鮮やかに色づけられるように、努力を重ねていきたいと考えています。

 

 

【プロフィール】好村 直子(よしむら・なおこ)

岡山県在住。私立高校教諭を経て、現在は就実小学校教諭。趣味は旅行、ミュージカル・演劇・映画・音楽鑑賞ですが、最近では何をするにも難しいので、スパイスカレー作りを始めました。

英語のオシゴトと私 第14回―弘山貞夫
ハムとマザーグースと“コソリティ”

2020年5月26日|英語のオシゴトと私

 浅野享三先生からバトンを受け継ぎました。愛知県の公立高校で再任用を含め40年以上教壇に立ち、定年後は10年間高専で英語多読授業を主に担当し、この3月教師生活にピリオドを打ちました。浅野先生とは、Readers Theatre (音読劇)を英語教育に生かしてゆこうと、ネット上の研究グループを立ち上げ、ご一緒に活動をしています。
 前置きとして、私と英語との個人史を少し記します。小学校5年生の時、アマチュア無線技士(通称:ハム)の資格を取得。高校時代は送受信機だけでなく、テレビアンテナのお化けのような八木アンテナも自作し、 “Hello, hello, CQ!”と海外のハムとの交信に明け暮れていました。将来は世界航路の船に乗り、通信士を夢見ていましたが、理数系の成績がガタ落ち。唯一の救いだった英語を生かすしかないと、外国語学部へ進むことになりました。松本享のラジオ英会話、國弘正雄のトークショーなどを熱心に視聴したことが、現在の自分を作ってくれたと感謝しています。
 大学では、mentorと呼べる恩師との出会いがあり、語学的文体論を専攻しました。プラーグ学派の機能言語学、アメリカのNew Rhetoricsなどを学ぶ機会にも恵まれました。師が私たち学生を叱咤激励する口癖が今も耳に残っています。「まずは語感を持って読んだり書いたりを目指せ。次に実感を持って読み書けるように。そして究極は、霊感、インスピレーションを持って読み書きできる境地に達せよ。」そこでニヤッとされ、「だが尺貫法はもう古いし、五貫、十貫、と言ってもわからないだろう。ましてやレイカンは、ゼロ貫だから、それを期待するのはとうてい無理かな。」とも。
 さて、40歳に差し掛かる頃、マザーグースの魅力に取り憑かれ、授業にも取り入れたり、せっせと日英語の絵本、翻訳本、研究書、CD、ビデオ、グッズなどを買い漁りました。その数は千点余り。小さなMother Goose Museumが開けそうです。一番興味を惹かれたのは、英米の雑誌・新聞にマザーグースの一節が何気なく引用されている点です。特に見出しなどに効果的に使われ、大人から子供まで英語文化圏の共有文化財になっています。「マザーグースを知らずして、英語教育を語るなかれ」と自戒した次第です。マザーグース研究家の藤野紀男氏(十文字学園女子大学名誉教授)と一緒に、「マザーグース研究会(現在は、学会)」を設立し、30年以上活動を続けています。ただ、ここ10年、そういった引用が少なくなってきました。英語が脱英米化してきた反動かもしれません。
 紙幅が残り半分です。真面目に辞書を引かなかった失敗談を、恥ずかしながら披露します。The New York Times International Editionを読むのが日課ですが、ある時、どうも意味が取れない箇所がありました。arguablyという単語です。それまでは、動詞argueが「言い争う」だから、「言い争うことができる→疑わしくて」と勝手に解釈していました。辻褄が合わないので、辞書を引いてみてびっくり!「⦅しばしば比較級・最上級の前で⦆ほぼ間違いなく、おそらく (反対されそうな発言に根拠や理由などを加える。絶対とは言えないが、自分はそう信じているというニュアンスがある)」(『コアレックス英和辞典 第3版』旺文社)、とあるではありませんか。不勉強を恥じた次第です。 
 それからは極力、辞書を引いて読むようにしました。そこで、思わぬ発見もありました。ある英和辞典でnextが元は最上級だったと知った時です。nighが原級、そしてnearが比較級だったと。一番近いからnextが「隣、次の」という意味になったんだと分かり、思わず膝を叩きました。
 今は、せっせと英字紙などから生きた用例を集めています。「無観客での(試合)」というときに、spectator-freeという簡潔な言い方を見つけ、ひとりほくそ笑んでいます。オーソリティになるのは無理にしても、せめて“コソリティ”にはなりたい、と夢を描いているseptuagenarianです!

 

【プロフィール】弘山貞夫(ひろやま さだお)
名古屋市出身。愛知県立大学外国語学部英米学科を卒業後、西三河地方で長年、愛知県立高校教員として勤務。共著『だから英語は教育なんだ』(研究社)。退職後、豊田工業高等専門学校で非常勤講師。マザーグース学会副会長。新英語教育研究会全国常任委員。
憧れは北斎の境地です。「七十年前画く所は実に取るに足るものなし 七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり 故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶(なお)其(その)奥意を極め 一百歳にして正に神妙ならんか 百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん」