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意識と無意識――柏木厚子

 
 
 イギリスで英語を勉強していた頃に「英語を話したいなら英語で考えなさい!」とイギリス人の先生に言われたことを今でも覚えています。一応は“I’ll try.”と答えはしましたが、「英語で考えろと言われてすぐに英語で考えられるぐらいなら苦労はしない」とつぶやいていました。
 
 小学校から大学まで全て日本の学校という典型的な「純ジャパ」の私にとって英語というのはずっと「読む」ものでした。中高の授業も見事なほどの「文法訳読方式」。大学の英語の授業は中高にさらに輪をかけたような伝統的授業で、禅についての英文を一人一人順番にひたすら訳した記憶があります(今から考えるとこれは鈴木大拙著『禅と日本文化』からの一節だったのですが、18歳の私には「??」でした)。
 
 そんな私がイギリスに留学したのは24歳の時。たどたどしい英語を話すのが精一杯で、英語で考えるなんて夢のまた夢でした。もちろん決まったフレーズは言えますが、少し込み入った話になるとまず日本語で考え、英文を組み立て、考えながら話していました。イギリスで2年、アメリカで2年の留学を終え日本に帰国した私のスピーキングは最初に比べればかなり流暢になっていましたが、その段階でもまだかなり日本語から英語に訳していたのを今でも覚えています。「英語で考えることなんて無理かもしれない、私って一生このままかも」と諦めの境地にいたと思います。
 
 ところが、留学から帰ってまず就職したところはサイマル・インターナショナルという帰国子女の牙城のようなところ。普通に日本語を話すように流暢に英語を操る彼女たち(女性が圧倒的に多かったです)は本当に別の生き物のようで、ショックを受けました。かなりミーハーですが(私も若かった…)、帰国子女たちが本当に格好よくて憧れたものです。
 
 その頃、言語習得理論では非常な影響力を持っていたStephen Krashenの「モニターモデル」という考え方がありました。簡単に言うと「学校で習った英語っていうのは実際のコミュニケーションでは全く使えない。実際に使える英語というのは、英語を聞いたり読んだりする中で無意識に習得したものだけだ」ということで、受験英語で青春を送った私などからみると「私の立場無いよね」と正直思いました。でも、周りの帰国子女たちの颯爽とした姿に憧れた私はKrashenの言う「無意識の習得」とやらに賭けてみようと思ったのです。
 
 それからは、日本にいながら自分をとにかく英語漬けにしました。英語のみを聞き、読み、話す。ひたすら「無意識」を信じてそれを続けていた29歳のある日、何を話していたかは忘れたのですが、日本語で考えずに英文がぽっと口をついて出てきました。「えっ、今のどこから出てきたの?」という不思議な感覚を今でも覚えています。それからは、そういったエピソードが加速度的に増え、30代の前半には「英語で考える」ということができるようになっていました。また、同時期に、英文を聞いただけで直観的に「それはちょっと変、言わないよ」という判断もできるようになっていました。つまり「無意識の習得」が起こっていたということでしょう。
 
 ある意味、Krashenのおかげで「英語で考える」ことができるようになったとは思うのですが、実はKrashenの言うことを全部信じているわけではありません。Krashenは「意識的な学習は自然な習得にはつながらない」と主張しましたが、私は自分の受験英語、つまり意識的な学習は確実に自然な習得につながったと感じているからです。白井恭弘氏が著書の『外国語学習の科学』(岩波新書)でも書いているように、意識的な学習はふつうに聞いているだけでは気づかないことを気づかせることによって、自然な習得を促進させる役割があります。文法をしっかりと理解していること、ある程度の語彙を形式的にでも知っていることは自然な習得をスピードアップさせる力があるということです。
 
 私の所属している学科は学生全員が留学することが必修ですが、学生には大体大きく分けて2タイプあります。1つ目のタイプは「全てが説明できないと納得しない」タイプ。このタイプは文法が好きで辞書が好きで、細かいことにこだわる傾向があります。昔の私ですね。2つ目は「語学の勉強なんて机でするものではない、留学すれば何とかなる」タイプ。根拠のない楽天家で、英語ができないのは学校の教え方が悪いから、と密かに思っています。
 
 どちらも不幸です。最初のタイプには「大丈夫、今、分からなくてもいつか分かるから。自分の脳を信じて、とにかくインプットを入れてごらん」というアドバイス。2番目のタイプには「今、しっかりと基礎を固めておかないと、英語のシャワーを浴びてもザルが水を通すように全部流れていってしまうよ」というアドバイスをすることにしています。
 
 意識的な学習と無意識の習得、この2つのプロセスをうまく利用できるようになったら学習者としても一人前になったと言えるのでしょう。
 
 
 
【プロフィール】柏木 厚子(かしわぎ あつこ)
昭和女子大学人間学部教授、2009年より同学部国際学科学科長。早稲田大学法学部を卒業後、イギリス留学を経て米国コロンビア大学大学院より応用言語学・英語教授法修士号取得。
『オーレックス和英辞典』では校閲・「日本紹介」執筆を担当。

ある英語教師の苦労もしくは苦行について――楠部与誠

 
 
 昨年の夏、私はロンドンのレストランでsteak and kidney pieを食べた。私は内臓料理が苦手である。腎臓なんて食べたいとは思わない、絶対に。では、なぜそんな無茶をしたのかと聞く人がいるかもしれない。きっかけは、今教えている英語の教科書にある。steak and kidney pieが話に出てくるのである。

 俊という名の登場人物は、夏休みを利用してロンドンにいる親戚の家に遊びに行く。そのロンドン滞在中の出来事がいくつか切り取られて教科書には載っているのだが、ある日訪れたレストランで俊はsteak and kidney pieを注文するのである。fish and chipsやsandwichesでは面白さに欠ける、と教科書の執筆者たちは考えたのかもしれない。代表的なイギリス料理で、なおかつインパクトのあるものとしてsteak and kidney pieは選ばれたのだろうか。
 だとしたら、そのねらいは十分に成功したと言える。steak and kidney pieについて説明した時、教室がざわついたのである。fish and chipsやsandwichesでは決して得られない関心の高まりである。そして、実はその関心の高まりが私の苦労の引き金となる。ある生徒が当然のごとく、「先生は食べたことがあるんですか?」と聞いてきたのだ。想定できた質問であったし、別に虚を突かれたというわけではなかったが、一瞬たじろいだ。生徒たちの熱い視線が私一点に集中したからである。

 ここで教師は大方2つのタイプに分けられる。授業のノリを優先して堂々とホラを吹けるタイプと、事実を優先して正直に答えるタイプ。私は前者タイプの教師にちょっぴり憧れはするが、嘘が上手くつけない後者タイプの教師である。だからこの時も、「いや、ないんだ」と弱々しく答えた。
 こちらにぴんと向けられていた生徒たちの視線が四方八方に解かれていく。「やっぱり、たいしたことねぇーな」とクラスの大半が思ったに違いない。だから、私は焦ってつい余計な一言を付け加えてしまったのである。「今度の夏、研修でイギリスに行く。その時必ず食ってきてやるよ」教師としての意地が苦手意識を凌駕した瞬間であった。負けず嫌いの教師にはこの種の苦労が絶えない。
 こうして、昨年夏のイギリス訪問には、ケンブリッジでの研修という素敵な目的のほかに、ロンドンでsteak and kidney pieを食べるという「苦行」が追加されたのであった。
 
 
 8月のある日曜の昼下がり、私は覚悟を決めてレストランに向かった。テムズ川沿いにあるそのレストランは遅めのランチを楽しむ人々で賑わっていた。古い建物を改装して作られた店内は、温もりのある落ち着いた内装で統一され、テラス席からはタワーブリッジが間近に見える。そんな居心地と立地の良さから、新鮮な肉料理を提供してくれるというこのレストランは観光客にも人気らしかった。私は窓際の小さなテーブルに案内された。
 「steak and kidney pieをください」と私は唐突に注文した。
 「steak and kidney puddingならあります。pieもpuddingも同じですよ」
 「では、それをください」

 しばらくすると、steak and kidney puddingはテーブルに運ばれてきた。小さなホールケーキほどの大きさと厚みがあり、見た目にもずしりと重たい。
 

 
 一口食べてみた。何の味、何のにおいと言えばいいのだろう。婉曲的な表現が思いつかない。「イギリス料理は素材の味を楽しめるようにできている」とどこかで聞いたことがあるが、腎臓そのもの(その機能も含意する)の素材の味と言えばよいだろうか。もっとも、私には到底その素材の味は楽しめなかったが。
 その印象的な味とにおいは、頑張って本体を飲み込んだ後もなかなか消えてくれない。そこでたまたま注文してあったビールをぐいと飲む。そしてまた食べる。そしてまたビールを飲む。ひたすらこの作業の繰り返しであった。途中でビールをお代わりしたのは言うまでもない。そうやって、全部を食べきったのである。

 食べ終わってしばらくすると、ウェイトレスがやってきて、“Did you enjoy your food, sir?”というお決まりの質問をしてきた。enjoyという言葉に私の思考は多少混乱したが、すぐに気持ちを立て直して、“Yes.”とぎこちなく答えた。この時ばかりはうそをついた。疲れていて正直に返答するのが面倒だったというのもあるが、上品なレストランで「ちょっとおしっこ臭かったです」と答えるのはどうも憚られたのである。
 ぎこちないYesであったが、ウェイトレスはそれを真に受けたようだった。考えてみれば当然である。ちょっとお洒落なレストランに男一人でやってきて、steak and kidney puddingを単品で注文し、ビールを2杯も飲みながら、がつがつとそのpuddingを比較的短時間で食べ終えたわけである。傍目には、よっぽどsteak and kidney puddingが好きな日本人観光客と映ったに違いない。

 さて、夏休み明け。生徒たちはsteak and kidney pieのことなんかすっかり忘れていた。何も聞いてこないので、私も何も語っていない。だから、ここに記した私の苦労を生徒たちは知らない。教師の苦労、生徒知らず。生徒の苦労はわかってあげたいけれど、その逆は別にいいのかもしれない。やっぱりちょっと寂しいけれど。
 
 
 

研修で滞在したケンブリッジのHomerton Collegeにて

【プロフィール】楠部 与誠(くすべ よしなり)
武蔵高等学校中学校教諭。
『オーレックス和英辞典』では、PLANET BOARD と巻末付録「よりよい英文をプロデュースするために」を担当。

むかしむかしあるところに辞書の好きな男の子がいました  ―石井康毅

 
 海外の事情や英語学習に役立つ話は、他の執筆者の方々に任せて、私は辞書が大好きで、それが高じて仕事にまでしてしまった人の話を書かせていただきます。
 
[小学生時代]
 小学校の時、国語の宿題の中に「意味調べ」というものがありました。「教科書の文章を読んで、意味の分からないことばや、気になることばがあったら国語辞典で調べて、ノートに意味を書きましょう」というものでした。10個も調べれば十分なところなのですが、私は一度気になると放っておけない性格で、この宿題が出るといつも、かなり遅くまでかかって、とにかく辞書を引いては、それを書き写していたことを覚えています。気になることが全て解消するととてもすっきりした気分になり、何かに取り憑かれたかのように(?)辞書を引きまくりました。その頃から、「辞書によって書いてあることに違いがある」ということに薄々気が付いていたような気がします。今思うと、この経験が私が辞書に興味を持つきっかけだったのでしょう。
 
[中学生時代]
 中学生になると、英語の勉強が始まります。NHKラジオの英語講座を聴き始め、中学1年で『基礎英語』、2年で『続基礎英語』、3年で『上級基礎英語』と聴き続けました。今よりも番組の区分数が少なかったNHKのテキストは、辞書を引かなくてもなんとかなる学校の教科書よりも、文法も語彙も進度が速かったため、だんだんと英和辞典を引くことが増えてきました。『続基礎英語』の頃には、テキストを隅から隅まで読んで理解しようと思うと、小学校の卒業記念でもらった中学生用の一番易しい英和辞典では足りないという場面が増えてきて、大人用の辞書を引くようになりました。ところが、家にあった英和辞典は父が大昔に使っていた辞書でした。それが何だったのかは今では分からないのですが、古くて規模も多少心許ないこともあり、新しい辞書を買ってもらいました。それが旺文社の『Comprehensive英和中辞典』でした。これが私の(大げさですが)辞書人生の本格的な始まりでした。その時から、辞書にない見出し語や語義があると、それが載っている新しい辞書がほしくなるという「病気」が始まりました。
 
[高校生時代]
 高校生になってからも、ラジオを聴き続けました。1年生で『英会話』、2年生で『やさしいビジネス英語』と進みました。さすがに『やさしいビジネス英語』は高校2年生には相当難しかったのですが、辞書と格闘しながら聴き続けました。高校生にもなると教科書も一気に難しくなり、分からない表現の意味が明らかになるまで調べないと気が済まない私には苦難の時代(?)でした。手持ちの辞書で一通り調べ、それでも分からないことは学校の図書館で大型の辞書で調べるようになりました。古典や漢文でも、図書館の大型辞書をひたすら引いたことを覚えています。そのうち、いちいち図書館に行くのも面倒になり、高校2年生の時くらいに、研究社の『新英和大辞典』(第5版)や、英語の先生が英作文の授業で引いていた『新編英和活用大辞典』などを買いました。さらに英英辞典にも手を出し始めました。最初に買った英英辞典は、先生が「面白い辞書が出た」と紹介してくれたCollins COBUILD English Dictionary (第2版)でした。COBUILDに加え、高校生のうちにOxford Advanced Learner’s Dictionary of Current English (第5版)、Longman Dictionary of Contemporary English (第3版)、Cambridge International Dictionary of Englishをそろえて、英和で足りない時には引いていました。これらの辞書が出たのが全て1995年で、私が英英辞典に興味を持ったのがちょうどその時だったということに、今思うと何か運命めいたものを感じます。
 そんな、辞書に囲まれたちょっと(ものすごく?)変わった高校生だった私は、高校2年生の頃には、「将来は英語の辞書を書きたい」、「もっと使いやすい英語の辞書を作りたい」と思うようになっていました。当時よく使っていた研究社の辞書の執筆者のところを見ると、東京外国語大学の先生の名前が多く挙がっていたため、深く調べもせずに「東京外大に行って大学の先生になれば辞書を書けるんじゃないか」と考え、英語が好きで得意だったこともあり、外大を目指しました。
 
[大学生時代]
 その希望は叶って外大に入学したわけですが、辞書好きはますます進化(?)します。英語辞書の最高峰であるOEDもたまに引くようになりました。持っている辞書の数も着実に増え続けていったのですが、英語に関するいろいろなことを学ぶ中で、辞書以外にも興味がわいてきました。ひとつは比喩です。もうひとつは大量のテキストデータをコンピューターで処理することで、母語話者の直感でも決して得られない面白いデータが多く得られるコーパス言語学です。学部の卒業論文では、これら全部に関わる、コーパス・比喩・辞書をテーマにした研究をしました。(これらの分野は10年ちょっと経った今でも私の主要な研究テーマです。)
 
[そして念願の辞書執筆へ]
 コーパス言語学を学んで、テキスト処理をしたりしていた関係で、外大の馬場彰先生と野村恵造先生から、旺文社の『レクシス英和辞典』でコーパスからのコロケーションデータ抽出を手伝わないかと声をかけていただきました。これが、辞書制作に携わった初めての経験です。その後、大学院在学中には、『コアレックス英和辞典』の本文執筆の経験もさせていただきました。その後は他の出版社の辞書でも執筆に参加する機会をいただき、大学の教員にもなれ、高校生の頃の夢は叶ってしまいました。でも叶ったのはまだ半分です。「もっと使いやすい英語の辞書を作りたい」という夢はまだこれからです。
 これからも好きな辞書を仕事にして、少しでもよりよい辞書作りに、そして英語を学ぶ多くの人たちが外国語を学ぶ楽しさや奥深さを知るきっかけとなるような、より使いやすい辞書を作るということに貢献できればと考えています。
 
 
 
【プロフィール】石井 康毅(いしい やすたけ)
成城大学社会イノベーション学部准教授。専門は認知意味論、コーパス言語学、辞書学。
『オーレックス英和辞典』では連語のコーパス検証とコンピューター関連語の執筆・校閲を担当。