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英語のオシゴトと私 第11回 ―河村和也
若林先生と作ったテスト

2019年12月27日|英語のオシゴトと私

 県立広島大学の河村和也です。「教師生活25年」と聞いて『ど根性ガエル』の町田先生の顔を思い浮かべることのできるのはわたしと同世代の方々ですが、そんなわたしも教師生活30年を数えることとなってしまいました。中学校・高等学校の教員として15年を過ごし、思うところがあって大学院に学び、そのあとは大学の非常勤講師として暮らす日々が続きました。東京に生まれ育ったわたしですが、広島の大学に勤務することになり、もう3年が経とうとしています。今年、『英語教育』(大修館書店)の5月号にわたしの30年間を振り返る文章を掲載していただきました。ご興味がおありでしたら、お読みいただければ幸いです。
 さて、今回は白梅学園の細井俊克先生からバトンタッチを受けました。細井先生とは不思議なご縁をいただき今日に至っています。何を書いたものかとずいぶん考えましたが、細井先生との共通の恩師である若林俊輔先生(1931-2002)のことを書こうと思います。
 お若い方は、若林俊輔という名前になじみがないかもしれません。70歳で亡くなられて間もなく18年になりますが、1980〜90年代を中心に、日本の英語教育について積極的に発言された方です。最近、先生が雑誌等に書き残された数多くの文章から主だったものを採録した書物も出版され、その主張の内容があらためて注目されています。『英語は「教わったように教えるな」』(研究社、2016年刊)などわたしの関わらせていただいたものもありますので、ぜひ一度お手に取っていただければありがたく思います。
 若林先生の経歴をたどると、大学の卒業と同時に東京都文京区立第六中学校の教員となり、ELEC(当時は日本英語教育研究委員会、後に財団法人英語教育協議会)に主事補として移られました。その後、群馬工業高等専門学校、東京工業高等専門学校、東京学芸大学を経て東京外国語大学に転ぜられています。細井先生とはずいぶん世代差がありますが、ふたりともこの東京外国語大学で若林先生に教えをいただきました。
 先生のお仕事は多岐にわたります。この稿では、お若い頃、特にELECから2つの高専にかけての時期になさったお仕事のうち、世間にあまり知られていないものをご紹介しようと思います。
 それは、ある女性との出会いがきっかけでした。津田塾大学を卒業し母校のLLに勤務されていた三神順子さんとおっしゃる方がELECの事務局に入って来られたのです。若林先生ご自身、還暦記念論文集に「自分史」を書かれる中で、このときの出会いを振り返っていらっしゃいます。
 この女性は渋谷にある中高一貫の女子校にも非常勤講師として勤務されていました。当時の若林先生はLLの設計や運営に強い関心を寄せていらっしゃったこともあり、ELEC退職後は高専に勤務するかたわらその学校に非常勤講師として赴き、現場の中学校の先生たちと共同でリスニングテストを開発されたのです。先生がその学校で仕事をされたのは1964年4月から2年間とうかがっています。
 なぜわたしがそんなことを知っているかというと、わたしもその学校に勤務していた時期があるからなのです。今から20年ほど前のことです。当時もそのテストは「現役で」使われていました。
 三神順子さんは結婚され別の姓を名乗っていらっしゃいましたが、わたしが若林先生のゼミの出身であることを喜んでくださり、よく懐かしい話をしてくださったものです。このリスニングテストのことは「若林先生が作られたテスト」とか「若林先生と作ったテスト」とおっしゃっていたように思います。
 当時すでに考案から30年を経ていましたが、今思い出してもなかなか面白いものでした。テストの現物が手元に残っていないのが残念ですが、さまざまな問題形式の中で、とりわけ印象に残っているものをひとつご紹介しましょう。
 いわゆる定期試験です。生徒には問題と解答用紙が配られます。生徒の問題には、次のように印刷されています。

    1. at    2. of    3. to    4. with

 わたしたち教員は3人体制で放送室にいるのですが、この問題のときにはマイクに向かって次の英文を読み上げます。

       Meet me in front ♪ the library at 4 o’clock.

 放送室には鉄琴があります。放送の始めと終わりに「ピンポンパンポン」と鳴らすあの楽器です。チャイムとかビブラとも呼ぶそうですが、この英文の ♪のところで、これを1回だけたたくのです。3人で放送室にいたのは、読み上げる係と鉄琴を叩く係、それにタイムキーパーが必要だったからです。緊張の生放送でした。タイミングをはずすわけにはいきません。50分の試験時間のうち30分ほどを使ったテストでしたが、終わるとぐったりしていたことを思い出します。
 この問題に出会ってから20年。類似の出題形式を見たことがありません。もっとも、それは「寡聞にして知らない」ということなのかもしれません。インターネットの世界に発信する機会を得ましたので、この試験の由来等についてご専門のみなさまからご教示いただければ幸いです。
 最後にもうひとつ思い出したことがあります。このテストは「リスニングテスト」や「ヒアリングテスト」ではなく「ラボ」のテストと呼ばれていました。語学ラボラトリーの「ラボ」です。この響きに、この問題が作られたであろう1960年代半ばの英語教育の様子がしのばれるように思います。
 英語教育の歴史に関心を寄せ研究のテーマとするようになったわたしですが、若林先生ご自身のお仕事について詳しくうかがうことはほとんどありませんでした。恩師が30代の頃に作られたリスニングテストのことを思うにつけ、そのことが悔やまれてなりません。英語教育史研究は先生がわたしに与えてくださった大きな宿題です。派手なところのない仕事ですが、今後も一歩ずつ進めて行きたいと思っています。


【プロフィール】河村 和也(かわむら・かずや)
県立広島大学総合教育センター准教授。専門は英語教育史。
東京都足立区出身、広島県庄原市在住。
主だった著作に、『外国語活動から始まる英語教育:ことばへの気づきを中心として』(あいり出版、2014)、『英語は「教わったように教えるな」』(研究社、2016)がある(いずれも共著)。
日本英語教育史学会理事、日本英学史学会中国・四国支部理事、語学教育研究所評議員、庄原市教育事務評価検討委員。
趣味は舞台鑑賞。OSK日本歌劇団と宝塚歌劇団の大ファン。

 

 

英語のオシゴトと私 第8回 ―三谷裕美
「へぇ~」から始まる英語の愉しみ

2019年7月22日|英語のオシゴトと私

 「英語の先生になる!」と子供のころから一度も思ったことがなかった私が、英語を教える仕事に就いたのはなぜだろう、と改めて考えてみた。中学・高校でも、英語は特に好きでも得意でもなかった。ただ、子供のころから知らなかったことを知ると「へぇ~」となるのが楽しかった。英語学習も留学も英語を教えることもまさにこの「へぇ~」の連続であり、「へぇ~」の楽しみを繰り返して今に至ったのかもしれない。
 アメリカへの大学院留学を目指して勉強していたときは、さすがにいちいち感動する余裕もなく膨大な数の英単語を脈絡もなくひたすら丸暗記した。stratosphere(成層圏)とか、amphibian(両生類)、embezzlement(横領)などはそのころ覚えた単語である。留学準備のおかげで知っている単語の数が飛躍的に増えたが、実際にアメリカ生活が始まると、住んでみないとわからないことばが次々に現れ、「へぇ~」と思うたびにメモを取り始めた。
 アメリカではreading assignmentsと呼ばれる課題に毎日明け方まで追い立てられて、友だちとゆっくりおしゃべりする時間もなかったので、生活の英語を学んだのは主にテレビからだった。テレビのそばに常にメモ帳とペンを置いておき、気になった単語や言い回しを書き留めていたら、「思い出の単語帳」のようなものができた。
 私はTVアニメのThe Simpsonsが大好きで、登場人物のせりふから多くのことばを学んだのだが、どんな場面でどの登場人物が発したことばなのかもいまだに覚えている。たとえば、resilientという単語は、多くの辞書では「跳ね返る力のある、弾力のある」が第一語義である。ところが、崇敬している社長に叱られてひどく落ち込んでいる男性秘書Mr. Smithersについて、Lisa(シンプソン家の娘)が、「きっと大丈夫よ。彼はresilientな(落ち込んでも立ち直れる)人だから」と言う場面があり、resilientは何かの素材だけでなく、人間の性質を形容するのにも使えることを新たに知った。また、I’ll find out what he is up to. (彼が何を企んでいるのか突き止めてやる)は、庭で一心不乱に穴を掘り続けるBurt(シンプソン家の息子)を心配する母親を安心させるために、Homer(父親)が言うせりふで、be up to (something)(何かに取り組む、何かを企む)という慣用表現はこのせりふで覚えた。単純な単語の組み合わせだが、文脈がないと意味と使い方がわかりにくいことばの一例である。
 アニメのほか、野球の実況中継でアナウンサーが叫ぶ Holy cow!(なんてこった!)が面白くて、「なぜに牛?」と辞書を引いたし、日本でも放送されていたFamily TiesFull Houseなど、古いsitcom(コメディードラマ)からもたくさんのことばを学んだ。ある日、ドラマの中で赤ちゃんを見た女性が「ドァブル」と言っているように聞こえたが、つづりがわからない。そのままdoable、drableなど、辞書で引いてもわからず、とりあえずメモして、後日アメリカ人の友だちに文脈と一緒に説明すると、それはadorable(愛らしい)に違いない、と即答された。動詞adoreの辞書的な意味(崇拝する、敬愛する)は知っていたが、「へぇ~、赤ちゃんについて使うんだ」と驚き、以後、赤ちゃんを褒める形容詞としてadorableは私の語彙にしっかり定着した。
 アメリカから戻って10年後にイギリスにも留学したが、イギリスでも新たな「思い出の単語帳」が生まれた。同じ英語の国ながら、イギリスではアメリカで生活していたときにはなじみがなかったことばにたくさん出合ったからである。まず大学で履修する「科目」はアメリカではcourse、イギリスではmoduleで、「指導教官」はアメリカではadvisor、イギリスではsupervisorと呼んでいた。統計学の授業では、先生が0.005を「ノゥポイントノゥノゥファイヴ」と読んだので、「ゼロはnoなの?」とびっくりしたが、イギリスではよく数字のゼロをnaughtと読むのだと友だちが教えてくれた。大学で入寮申込書を記入するときにも、duvet(アメリカではcomforterと呼ばれる掛け布団)、en suite(トイレ・シャワー付きの部屋)などは辞書なしでは意味がわからなかったし、ハンバーガーに用いるような丸くて少し平べったいパンはアメリカではbuns、私が留学したイギリス北東部ではbapsだったので、これもメモした覚えがある。アメリカとイギリス、2回の留学を経て、私の「へぇ~」の記録となる2冊の単語帳ができたのだった。
 留学から戻って大学で英語を教えているが、授業の準備も新しい学びにつながる。最近ニュースでもよく取り上げられているが、大量のプラスチックのゴミが海に浮遊していて、魚や鳥、そして人間に悪影響を与えうることは、10年ほど前にリーディングの教科書で読んで初めて知った。また、陽の光も届かぬ深い海の底にhydrothermal vents(熱水噴出孔)があって、もうもうと硫化水素やミネラルを含む熱水を噴き出しており、その周りには巨大なtubeworms(チューブワーム、管棲虫)など奇妙な生物が大繁殖していることなど、「へぇ~」と驚きながら授業の準備をしている。
 知らないことが知っていることに変わるのは楽しい。知らないことは世の中にいくらでもあるので、楽しみの種は無尽蔵だ。簡単な情報の交換なら自動翻訳機で十分、という時代になりつつあるが、外国語を学ぶということは、知らないことを知るという人間の根源的な歓びを味わうことができる最も簡単な方法の一つであり続けると思う。その楽しさを学習者と共有しながら教師を続けていきたいと考えている。

 

【プロフィール】三谷 裕美(みたに・ひろみ)
獨協大学専任講師。専門は応用言語学。訳書にデイヴィッド ・クリスタル著『消滅する言語—人類の知的遺産をいかに守るか』(斎藤兆史氏と共訳、中公新書、2004年)など。動物(特に犬と猫とマナティーとワオキツネザル)好き。

英語のオシゴトと私 第7回 ―今井康人
英語教育と生きる―学びは人生を変える―

2019年6月5日|英語のオシゴトと私

 尊敬する島原先生からエッセイを書かないかというお誘いをいただいた。お題は「英語のオシゴトと私」である。元々、執筆が嫌いではないので、すぐに興味を感じたが、そこはいい大人である。一呼吸おいて、少し落ち着いて考えた。もちろん、その程度で断る理由もなく、承諾のメールを送らせていただいたことから現在に至っている。

 僕は京都(烏丸)に住んでいる。長いこと北海道で英語教員をしてきたが、縁あって、京都と大阪の生徒を中心に英語を教えさせてもらっている。そもそも僕が英語教員になると決めたのは、中学校で出会った故・倉田秀夫先生の情熱的なご指導に触れてのことである。倉田先生が教える生徒たちはなぜか皆、優秀な成績を残した。先生はもともと田舎の小さな分校のような学校で教えていたが、そこから優秀な生徒が何人も輩出し、大きな学校に転勤された先生であった。当時の僕は英語が好きで、一生懸命に勉強していた。僕が中学2年生になったとき、その学校の倉田先生のクラスになり、ますます喜んで英語の授業を受けていた。当時、先生は音読を授業の中心においていた。教科書の英文を何度も何度も繰り返し音読した。英語はいつしか得意教科となり、将来、英語教員になるという夢を僕に与えてくれた。大学も外国語学部英語学科に入り、英語教員になるという目標を胸に、学生生活を送っていた。
 大学4年の時、ある財団主催の留学試験を受けた。1年間の留学費用が全額無料になるという制度で僕は最終審査に残った。2年越しの挑戦であった。合格までもう一歩のところまできていた。ここで留学が決まれば、人生が変わると思っていた。かなり力が入っていたことは間違いない。そこで僕は、英語の質疑応答で宗教的な話題になったとき、キリスト教について詳しくもないのに熱弁をふるった。熱心な信者でもない僕が話した内容は極めて薄く、信ぴょう性のないものとなり、面接官の方々の苦々しげな表情は今でも忘れられない。結果はもちろん、不合格。このショックは大きかった。自分を良く見せようとしたことが失敗の原因だった。面接の受け方をここで思い知ったのだ。この苦い経験が、その後、教員採用試験で逆に力となった。そして今も生徒の面接指導に生きている。
 今年、教え子の一人が東京大学理科一類工学部に推薦入試で合格した。面接練習も行った。「自分を良く見せようとするから緊張する。今の自分を正直にそして正確に見てもらうことが面接では重要」と指導している。
 大学卒業と同時に教員として採用され、以来、高校で英語を教えてきた。教科書執筆の機会もいただき、新しい指導方法を研究開発し、幸運にも本や問題集も執筆している。現在、教え子たちは大きく羽ばたいている。高校3年間で、共に英語を学んだ生徒たちの活躍が何より嬉しい。2年間浪人していた教え子が、推薦書を依頼してきた。もちろん全力で書いた。センター試験が終わり、教え子から合格したとの連絡が来た。合格先は、奈良県立医科大学医学部であった。彼の医者になる夢が現実となった。受験は厳しいが、乗り越えれば人生は変わる。逃げずに挑戦する者に夢の実現は訪れる。

 英語学習に近道はないが、王道はある。基礎(語彙と文法)を充実させ、理解し、内在化し、発信することが言語習得を促す。活動は、Q&Aが軸となるだろう。summaryやopinionを自分で作成できるようになることが重要だ。その方法を学び、実行できるようにすることが何より大切なのだ。英語は音と文字が意味を示す。この音、文字、意味の認知を進め、表現できるようにする力を鍛えるべきである。最終的に、堂々とdiscussionできる人材になってほしい。
 英語は言語、つまり人の思いを乗せて伝えるものだ。分かり合える瞬間に感動がある。学びには人生を変える喜びがある。「英語のオシゴト」は今まさに僕の生きがいとなっている。深謝。

 

【プロフィール】今井 康人(いまい・やすひと)
立命館中学校・高等学校(京都)教諭(マイスター・ティーチャー)。高等学校で教鞭をとって37年目。2014年に新英作文指導法を研究開発し、その指導法は全国に広がっている。英語教育セミナーを全国で行い、さらに英語教育今井塾(英語教員対象)を展開し、後輩の育成に尽力している。著書に『英語を自動化するトレーニング』(アルク)、『ゼスター総合英語』(Z会出版)、『英語力が飛躍するレッスン』(青灯社)など。