英語教育の現状をなんとか変えたい。

そのために辞書として何ができるのか。

私たちは、自らにそう問いかけました。そして、その問いに対する私たちなりの答えが「オーレックス英和辞典」「オーレックス和英辞典」「コアレックス英和辞典」です。私たちが目指したのは、生きている英語を忠実に反映すること、日本人学習者のニーズを徹底的に追求すること、そして、「英語は楽しい」と感じて頂ける紙面にすること。レックスシリーズは、そのための仕掛けが満載です。ぜひ、手に取って辞書を読む楽しさを発見してください。(野村恵造)
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英語のオシゴトと私 第11回 ―河村和也
若林先生と作ったテスト

 県立広島大学の河村和也です。「教師生活25年」と聞いて『ど根性ガエル』の町田先生の顔を思い浮かべることのできるのはわたしと同世代の方々ですが、そんなわたしも教師生活30年を数えることとなってしまいました。中学校・高等学校の教員として15年を過ごし、思うところがあって大学院に学び、そのあとは大学の非常勤講師として暮らす日々が続きました。東京に生まれ育ったわたしですが、広島の大学に勤務することになり、もう3年が経とうとしています。今年、『英語教育』(大修館書店)の5月号にわたしの30年間を振り返る文章を掲載していただきました。ご興味がおありでしたら、お読みいただければ幸いです。
 さて、今回は白梅学園の細井俊克先生からバトンタッチを受けました。細井先生とは不思議なご縁をいただき今日に至っています。何を書いたものかとずいぶん考えましたが、細井先生との共通の恩師である若林俊輔先生(1931-2002)のことを書こうと思います。
 お若い方は、若林俊輔という名前になじみがないかもしれません。70歳で亡くなられて間もなく18年になりますが、1980〜90年代を中心に、日本の英語教育について積極的に発言された方です。最近、先生が雑誌等に書き残された数多くの文章から主だったものを採録した書物も出版され、その主張の内容があらためて注目されています。『英語は「教わったように教えるな」』(研究社、2016年刊)などわたしの関わらせていただいたものもありますので、ぜひ一度お手に取っていただければありがたく思います。
 若林先生の経歴をたどると、大学の卒業と同時に東京都文京区立第六中学校の教員となり、ELEC(当時は日本英語教育研究委員会、後に財団法人英語教育協議会)に主事補として移られました。その後、群馬工業高等専門学校、東京工業高等専門学校、東京学芸大学を経て東京外国語大学に転ぜられています。細井先生とはずいぶん世代差がありますが、ふたりともこの東京外国語大学で若林先生に教えをいただきました。
 先生のお仕事は多岐にわたります。この稿では、お若い頃、特にELECから2つの高専にかけての時期になさったお仕事のうち、世間にあまり知られていないものをご紹介しようと思います。
 それは、ある女性との出会いがきっかけでした。津田塾大学を卒業し母校のLLに勤務されていた三神順子さんとおっしゃる方がELECの事務局に入って来られたのです。若林先生ご自身、還暦記念論文集に「自分史」を書かれる中で、このときの出会いを振り返っていらっしゃいます。
 この女性は渋谷にある中高一貫の女子校にも非常勤講師として勤務されていました。当時の若林先生はLLの設計や運営に強い関心を寄せていらっしゃったこともあり、ELEC退職後は高専に勤務するかたわらその学校に非常勤講師として赴き、現場の中学校の先生たちと共同でリスニングテストを開発されたのです。先生がその学校で仕事をされたのは1964年4月から2年間とうかがっています。
 なぜわたしがそんなことを知っているかというと、わたしもその学校に勤務していた時期があるからなのです。今から20年ほど前のことです。当時もそのテストは「現役で」使われていました。
 三神順子さんは結婚され別の姓を名乗っていらっしゃいましたが、わたしが若林先生のゼミの出身であることを喜んでくださり、よく懐かしい話をしてくださったものです。このリスニングテストのことは「若林先生が作られたテスト」とか「若林先生と作ったテスト」とおっしゃっていたように思います。
 当時すでに考案から30年を経ていましたが、今思い出してもなかなか面白いものでした。テストの現物が手元に残っていないのが残念ですが、さまざまな問題形式の中で、とりわけ印象に残っているものをひとつご紹介しましょう。
 いわゆる定期試験です。生徒には問題と解答用紙が配られます。生徒の問題には、次のように印刷されています。

    1. at    2. of    3. to    4. with

 わたしたち教員は3人体制で放送室にいるのですが、この問題のときにはマイクに向かって次の英文を読み上げます。

       Meet me in front ♪ the library at 4 o’clock.

 放送室には鉄琴があります。放送の始めと終わりに「ピンポンパンポン」と鳴らすあの楽器です。チャイムとかビブラとも呼ぶそうですが、この英文の ♪のところで、これを1回だけたたくのです。3人で放送室にいたのは、読み上げる係と鉄琴を叩く係、それにタイムキーパーが必要だったからです。緊張の生放送でした。タイミングをはずすわけにはいきません。50分の試験時間のうち30分ほどを使ったテストでしたが、終わるとぐったりしていたことを思い出します。
 この問題に出会ってから20年。類似の出題形式を見たことがありません。もっとも、それは「寡聞にして知らない」ということなのかもしれません。インターネットの世界に発信する機会を得ましたので、この試験の由来等についてご専門のみなさまからご教示いただければ幸いです。
 最後にもうひとつ思い出したことがあります。このテストは「リスニングテスト」や「ヒアリングテスト」ではなく「ラボ」のテストと呼ばれていました。語学ラボラトリーの「ラボ」です。この響きに、この問題が作られたであろう1960年代半ばの英語教育の様子がしのばれるように思います。
 英語教育の歴史に関心を寄せ研究のテーマとするようになったわたしですが、若林先生ご自身のお仕事について詳しくうかがうことはほとんどありませんでした。恩師が30代の頃に作られたリスニングテストのことを思うにつけ、そのことが悔やまれてなりません。英語教育史研究は先生がわたしに与えてくださった大きな宿題です。派手なところのない仕事ですが、今後も一歩ずつ進めて行きたいと思っています。


【プロフィール】河村 和也(かわむら・かずや)
県立広島大学総合教育センター准教授。専門は英語教育史。
東京都足立区出身、広島県庄原市在住。
主だった著作に、『外国語活動から始まる英語教育:ことばへの気づきを中心として』(あいり出版、2014)、『英語は「教わったように教えるな」』(研究社、2016)がある(いずれも共著)。
日本英語教育史学会理事、日本英学史学会中国・四国支部理事、語学教育研究所評議員、庄原市教育事務評価検討委員。
趣味は舞台鑑賞。OSK日本歌劇団と宝塚歌劇団の大ファン。

 

 

オーさまより
オーレックス英和辞典の「COMMUNICATIVE EXPRESSIONS」からオーさまがつぶやきます。
[  ]内の単語はその文章がある見出し語です。

編集部より